本文へスキップ

巻第19(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第19-4177~4179

訓読

4177
我(わ)が背子と 手(て)携(たづさ)はりて 明けくれば 出で立ち向ひ 夕されば 振り放(さ)け見つつ 思ひ延(の)べ 見なぎし山に 八(や)つ峰(を)には 霞(かすみ)たなびき  谷辺(たにへ)には 椿(つばき)花咲き うら悲し 春し過ぐれば 霍公鳥(ほととぎす) いやしき鳴きぬ 独りのみ 聞けば寂(さぶ)しも 君と我(あ)れと 隔てて恋ふる 砺波山(となみやま) 飛び越え行きて 明け立たば 松のさ枝(えだ)に 夕さらば 月に向ひて あやめぐさ 玉(たま)貫(ぬ)くまでに 鳴き響(とよ)め 安寐(やすい)寝(ね)しめず 君を悩ませ
4178
我(あ)れのみし聞けば寂(さぶ)しも霍公鳥(ほととぎす)丹生(にふ)の山辺(やまへ)にい行き鳴かにも
4179
霍公鳥(ほととぎす)夜鳴きをしつつ我(わ)が背子を安寐(やすい)な寝(ね)しめゆめ心あれ

意味

〈4177〉
 あなたと手を取り合って、夜が明けると外に出て向き合い、夕方になれば振り仰いでは思いを述べ合った、その二上山の峰々には霞がたなびき、谷の辺りには椿の花が咲き、そんな物悲しい春の季節が過ぎる、ホトトギスがやってきてしきりに鳴くようになった。その声を独りだけで聞くのは寂しくてならない。ホトトギスよ、君と私とを隔てて恋しがらせている砺波山を飛び越えていって、夜明けには君の庭の松の枝にとまり、夕方になったら月に向かって、菖蒲草を薬玉に通す五月がくるまで、鳴き立てて、安らかな眠りができないほどに、君を悩ませなさい。
〈4178〉
 私ひとりで聞いているのは寂しい。ホトトギスよ、あの方のいる丹生の山辺に行って、そこで鳴いてくれないか。
〈4179〉
 ホトトギスよ、夜中じゅう鳴き続けて、あの方に安眠など決してさせるな。どうか私の思いを分かっておくれ。

鑑賞

 大伴家持の歌。題詞に「四月三日に越前の判官大伴宿禰池主に贈る霍公鳥の歌」また「感旧に意に勝(あ)へずして懐(おもひ)を述ぶる」とある歌です。「四月三日」は、太陽暦の5月16日。「越前」は、天平19年に池主が転出した先。福井県北部と石川県南部。「判官」は、官職名の包括的呼称で、ここは国司の三等官「掾(じょう)」を指しています。「感旧に意に勝へずして」は、昔をたまらなく懐かしく思って。

 
4177の「我が背子」は、池主のこと。「見なぎし山に」の「山」は、二上山。ここまで、池主とともに山を眺めた思い出をこめています。「うら悲し」は、心が感傷的になる意で、家持が愛用した言葉。「いやしき鳴きぬ」の「いや」は、ますます、いよいよ。「しき」は、しきりに繰り返す意の動詞「しく」の連用形。「砺波山」は、富山・石川県境の、倶利伽羅峠がある山。「あやめぐさ玉貫くまでに」は、菖蒲を薬玉として緒に貫く5月5日の節句のころまでも。「安寐寝しめず」の「安寐」は、安らかな眠り。「しめ」は、使役の助動詞「しむ」の未然形。安眠せしめずして。

 
4178の「我れのみし」の原文「吾耳」は訓みが定まらず、他にヒトリノミ、ワレノミシ、ワレノミニなどと訓むものもあります。「丹生の山」は、越前国府のあった武生市西方の山。「い行き鳴かにも」の「い」は、接頭語。「にも」は、希求の終助詞。4179の「ゆめ」は、「な寝しめ」の禁止を承けて強調する語。下に打消を伴うのが普通で、ここは珍しい例。「心あれ」は、心遣いをせよ。
 

大伴池主

 生没年不詳。天平18年(746年)ころ越中掾(じよう)として大伴家持の配下にあり、『万葉集』に、家持との間に交わした多くの贈答歌をとどめるが、大伴一族とあるのみで系譜は不明。祖父麻呂の庶子とみる説、牛養の子とする説などがある。のち越前掾に転じ、さらに中央官として都にかえった。天平宝字元年(757年)、橘奈良麻呂の変に加わって投獄され、その後の消息は不明となっている。『万葉集』に和歌作品29首が採録されており、勅撰歌人として『新勅撰和歌集』にも1首入集。漢詩もよくし、その才能は家持を上回っていたとされる。

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。