| 訓読 |
4187
思ふどち ますらをのこの 木(こ)の暗(くれ)の 繁(しげ)き思ひを 見明(みあき)らめ 心(こころ)遣(や)らむと 布勢(ふせ)の海に 小舟(をぶね)つら並(な)め ま櫂(かい)掛け い漕(こ)ぎ廻(めぐ)れば 乎布(をふ)の浦に 霞(かすみ)たなびき 垂姫(たるひめ)に 藤波(ふじなみ)咲きて 浜清く 白波騒き しくしくに 恋はまされど 今日(けふ)のみに 飽き足(だ)らめやも かくしこそ いや年のはに 春花(はるはな)の 茂(しげ)き盛りに 秋の葉の もみたむ時に あり通ひ 見つつ偲(しの)はめ この布勢の海を
4188
藤波(ふじなみ)の花の盛りにかくしこそ浦(うら)漕(こ)ぎ廻(み)つつ年に偲(しの)はめ
4189
天離(あまざか)る 鄙(ひな)としあれば そこここも 同(おや)じ心ぞ 家離(いへざか)り 年の経(へ)ゆけば うつせみは 物思(ものも)ひ繁(しげ)し そこゆゑに 心なぐさに 霍公鳥(ほととぎす) 鳴く初声(はつこゑ)を 橘(たちばな)の 玉にあへ貫(ぬ)き かづらきて 遊ばむはしも 大夫(ますらを)を 伴(とも)なへ立てて 叔羅川(しくらがは) なづさひ上(のぼ)り 平瀬(ひらせ)には 小網(さで)さし渡し 早き瀬に 鵜(う)を潜(かづ)けつつ 月に日に しかし遊ばね 愛(は)しき我(わ)が背子(せこ)
4190
叔羅川(しくらがは)瀬を尋ねつつ我(わ)が背子(せこ)は鵜川(うかは)立たさね心なぐさに
4191
鵜川(うかは)立ち取らさむ鮎(あゆ)のしが鰭(はた)は我(わ)れにかき向け思ひし思はば
| 意味 |
〈4187〉
親しい男同士が、木の下の暗がりのような思いを、よい景色を見て晴らし、憂いを追いやろうと、布勢の海に小舟を並べ連ねて、両舷に櫂をとりつけ、漕ぎ回ってみると、乎布の浦に霞がたなびき、垂姫の崎には藤の花が波打つように咲いていて、浜の光景は清らかで、白波が立ち騒ぎ、しきりに都恋しさはつのるけれど、今日一日のみで満足できようか。こうして年ごとに、春は花の盛りどきに、秋は紅葉が色づくときに、ここに通い続けて、光景を堪能しようではないか、この布勢の海を。
〈4188〉
藤の花の盛りのころ、このように浦々を漕ぎめぐりながら、年毎にこの眺めを楽しもう。
〈4189〉
都から遠く離れた田舎にあるので、そちらもこちらも同じ気持のはずです。都の家を離れて、年が経っていくので、この世に生きる身としては物思いにふけることしきりです。それゆえ、気晴らしにと、ホトトギスの鳴く初声を、橘の実と一緒に糸に貫いて髪飾りにして遊ぶそのころにでも、官人仲間と連れだって、叔羅川を難渋しながら遡り、流れの緩やかな浅瀬では小網を張り渡したり、早瀬では鵜をもぐらせたりして、月ごと日ごとそのようにして遊んで下さい、懐かしいあなた。
〈4190〉
叔羅川の瀬をあちこち辿り求めながら、あなたは鵜飼を楽しんでください。心の慰めに。
〈4191〉
鵜飼いをしてお獲りになった鮎の、その鰭(ひれ)くらいは、せめてこちらに向けて供えてくれませんか。私を思っていて下さるのなら。
| 鑑賞 |
大伴家持の歌。4187・4188は、題詞に「(天平勝宝2年4月)六日に、布勢の水海を遊覧して作れる」とある歌。「布勢の水海」は、富山県氷見市南部、二上山の西北麓にあった湖水。近世に干拓が進み、今の十二町潟(じゅうにちょうがた)がその名残といいます。布勢の水海への遊覧は、歌で見る限りでは、天平19年(747年)4月24日(巻第17-3991~3992)、同20年(748年)3月25日(巻第18-4044~4051)に続き、3度目です。
4187の「思ふどち」は、気の合った仲間同士。「ますらをのこ」は、ここは越中国府の官人たちのこと。「木の暗」は、夏の木の葉か繁って小暗くなる意で「繁き」にかかる枕詞。「繁き思ひ」は、多い物思い。「見明らめ」は、見て晴らし。「心遣らむと」は、鬱々とした気持ちを払おうと。「ま櫂」の「ま」は、接頭語。「い漕ぎ」の「い」は、接頭語。「乎布の浦」は、布勢の海の東南の景勝地。「垂姫」は、布勢の海の南岸で、同じく代表的な景勝地。今は垂姫を眼前に、乎布の浦を遠く望む位置にいます。「藤波」は、藤の花房が風に靡くさまを波に見立てた歌語。「しくしくに」は、しきりに。「飽き足らめやも」の「めやも」は、反語。「いや年のはに」は、いよいよ毎年。「偲はめ」は「かくしこそ」の結び。4188の「年に」は、年ごとに。
4189~4191は、題詞に「鵜を越前判官大伴宿禰池主に贈れる歌」、また左注に、「右は、九日に使に付けて贈る」とあり、すなわち4月9日、越前にいる池主に対し、鵜を持たせてやる使いに託して贈った歌です。鵜は鵜飼に使う鵜であり、水にいる鳥なので、原文は「水鳥」となっています。4月9日は太陽暦の5月22日にあたり、鮎の季節です。
4189の「天離る」は「「鄙」の枕詞。「鄙としあれば」の「し」は強意の副助詞で、鄙のこととて。「そこここ」の「そこ」は越前にいる池主、「ここ」は越中にいる家持を指しています。「同じ心」のオヤジはオナジに同じ。同じ侘しさである、という意。「うつせみ」は、生きて現世にある人間。「そこゆゑに」は、そのために。「心なぐさに」は、心を慰めるために。「霍公鳥鳴く初声を橘の玉にあへ貫き」の「玉」は、5月5日の節句の薬玉。「あへ貫き」は、交えて貫く。ホトトギスの声を橘の実と一緒に貫くというのは空想的な趣向であり、藤原夫人の歌(巻第8-1465)が初出で、奈良朝に入ると多くなります。「かづらきて」は、かづら(髪飾り」にして。「遊ばむはしも」の原文「遊波之母」で、アソバフハシモと訓むものもあります。「はし」は、間、時に。「大夫」は、ここは越前国府の官人。「叔羅川」は、越前国府のあった福井県武生市を流れる日野川か。「しかし遊ばね」の「しかし」は、そのようにして。下の「し」は強意。「ね」は希求。
4190の「鵜川」は、鵜飼をする川。「立つ」は設備する意で、「鵜川立つ」は鵜飼を行う意。「さ」は尊敬語、「ね」は希求。4191の「しが鰭」の「し」は、上の「鮎」をさす指示代名詞。「鰭(はた)」は「ひれ」の古語。「我れにかき向け」の「かき」は接頭語、「向け」は、陰膳にして自分に供えよ、あるいは自分に贈れの意か。鮎が獲れたらせめてヒレだけでもこちらに示すくらいの謝意を示してくれ、と戯れ半分に言っているものと見られます。「思ひし思はば」は、「思ひ思ふ」と、同じ意味の語を重ねて強調する語法の間に、強意の助詞「し」が入ったもの。

『万葉集』クイズ
次の歌の作者は誰?
【解答】
1.額田王 2.持統天皇 3.柿本人麻呂 4.山上憶良 5.高市皇子 6.高市黒人 7.大津皇子 8.鏡王女 9.聖武天皇 10.大伴家持
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