| 訓読 |
4214
天地(あめつち)の 初めの時ゆ うつそみの 八十伴(やそとも)の男(を)は 大君(おほきみ)に まつろふものと 定(さだ)まれる 官(つかさ)にしあれば 大君の 命(みこと)畏(かしこ)み 鄙離(ひなざか)る 国を治(をさ)むと あしひきの 山川へなり 風雲(かぜくも)に 言(こと)は通へど 直(ただ)に逢はず 日の重なれば 思ひ恋ひ 息づき居(を)るに 玉桙(たまほこ)の 道来る人の 伝(つ)て言(こと)に 我れに語らく はしきよし 君はこのころ うらさびて 嘆かひいます 世間(よのなか)の 憂(う)けく辛(つら)けく 咲く花も 時にうつろふ うつせみも 常なくありけり たらちねの 御母(みはは)の命(みこと) 何しかも 時しはあらむを まそ鏡 見れども飽かず 玉の緒(を)の 惜(を)しき盛りに 立つ霧(きり)の 失(う)せぬるごとく 置く露の 消(け)ぬるがごとく 玉藻(たまも)なす 靡(なび)き臥(こ)い伏(ふ)し 行く水の 留めかねつと たはことか 人の言ひつる およづれか 人の告げつる 梓弓(あづさゆみ) 爪引(つまび)く夜音(よおと)の 遠音(とほおと)にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙 留めかねつも
4215
遠音(とほおと)にも君が嘆くと聞きつれば哭(ね)のみし泣かゆ相思(あひも)ふ我(わ)れは
4216
世間(よのなか)の常なきことは知るらむを心尽くすな大夫(ますらを)にして
| 意味 |
〈4214〉
天地開闢の時から、この世の中の数多くの廷臣たる者は、大君に服従すると定まっている身なので、大君の仰せに従って、都から遠く離れた国を治めるためにやって来た。山や川を隔て、風や雲の便りに消息は流れてくるものの、直にお逢いできないままに日が重なるので、思い遣っては恋しさが募り、ため息ばかりついているその矢先に、都から道を下って来る人が私に伝えた報せが、「ああ、愛しいあの方はこのごろ心がすさんで嘆き続けていらっしゃる。人の世の何とも悲しく辛いのは、咲く花も時と共に散り失せ、人の身も変わらずにいられないことです。母上様はどう思っておいでか、ほかに時はいくらもありましょうに、見ても見飽きず、まだまだ惜しい盛りのお年なのに、立つ霧が消え失せてしまうように、降く露が消え去ってしまうように、玉藻のように床に靡き伏されて、行く水の帰らぬように、お引き留めできませんでした」であったとは。でたらめを人が口走ったのか、それとも、惑わし言を人が告げたのか。梓弓を爪ではじく遠くかすかな夜の弦音を聞くような、遠い便りにも聞けば悲しく、流れ出る涙は留めようがありません。
〈4215〉
はるか遠くで聞いたことであっても、君がお嘆きとうかがったので、ただただ泣きに泣けてきます。あなたを思う私は。
〈4216〉
世の中の無常なことはご存じでしょうに、。嘆きのあまり心が尽きるようなことはなさいますな。ご立派な男子ではありませんか。
| 鑑賞 |
大伴家持の「挽歌一首」で、左注に「右は、大伴宿禰家持の、聟(むこ)の南の右大臣家の藤原二郎が慈母を喪(うしな)ふ患(うれ)へを弔(とぶら)ふ。 五月二十七日」とあります。「聟の南の右大臣家の藤原二郎」は、家持の女婿で、藤原南家の右大臣の次男、の意。南家の祖は藤原武智麻呂(むちまろ)で、右大臣とあるのはその長子の豊成(とよなり)、二郎とあるのは豊成の次男の継縄(つぐなわ)で、この時24歳。ただし異論もあり、豊成の弟、仲麻呂の第二子、久須麻呂(くすまろ)ではないかとする説もあります。家持はこの時33歳で、結婚している娘がいてもおかしくはなく、その娘とは、天平11年(739年)夏に亡くなった愛妾に「みどり子」がいたと歌われていた、その「みどり子」だと見られています。令のきまりでは3歳以下の子供を「みどり子」というと定められていましたから、その時3歳だったとすると、天平勝宝2年の今は14歳になります。女子の結婚は13歳から許されましたから、その亡妾の子である可能性はあり、「みどり子」が歌の上での表現だったとすれば、実際の年齢はもう1、2歳上だったかもしれません。
4214の「うつそみの八十伴の男」は、この世の中の数多くの廷臣。「官にしあれば」の主語は、作者の家持。「大君の命畏み」は、天皇の命令を恐れつつしんで。「鄙離る」は、辺境として都から遠く離れている意。「山川へなり」の「へなる」は、隔てている。「風雲に言は通へど」の「言」は、音信。「風雲」は、音信を託しうる物としていったもの。「玉桙の」は「道」の枕詞。「道来る人」は、京からの道を来る人。「はしきよし」は、形容詞「愛(は)し」に感動の「よし」がついたもので、ここは憐れみの感情。「君」は、左注にある藤原二郎。「うらさびて」は、心がすさんで。「時にうつろふ」は、時が来れば散る。「たらちねの」は「母」の枕詞。「何しかも時しはあらむを」は、どうしたことであろうか、死ぬ時もあろうのに。その死の早いことを嘆き訝かる意。「まそ鏡」は「見る」の枕詞。「玉の緒の」は、ヲの同音の「惜し」にかかる枕詞。「靡き臥い伏し」の「臥ゆ」は横たわる、「伏し」はうつ伏せになる。「行く水の留めかねつと」は、二郎の母の死を止められなかったこと。「たはこと」は、狂って発する言葉。「およづれ」は、人を惑わす不吉な言葉。「梓弓」は、梓の木で作った弓で、梓には魔除けの呪力があるとされました。「梓弓爪引く夜音の」の2句は「遠音」を導く譬喩式序詞。「遠音」は、越中で聞く京の便りをこう言っています。「にはたづみ」は、にわかに地上に現われる水のようにで、「流る」の枕詞。
4215の「哭のみし泣かゆ」は、声をあげて泣かれるばかりだ。「相思ふ」は、君を思っている。結句の表現は「情味あり、力あるものである」と窪田空穂は評しています。4216の「心尽くすな」は、心を傾け尽くして悲しむな。悲しみに心をすり減らして身を損なうな。世の無常を引き合いに、相手を励ますことで全体を締めています。

大伴家持の挽歌(長歌)
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