| 訓読 |
4220
海神(わたつみ)の 神の命(みこと)の み櫛笥(くしげ)に 貯(たくは)ひ置きて 斎(いつ)くとふ 玉にまさりて 思へりし 我(あ)が子にはあれど うつせみの 世の理(ことわり)と ますらをの 引きのまにまに しなざかる 越路(こしぢ)をさして 延(は)ふ蔦(つた)の 別れにしより 沖つ波 撓(とを)む眉引(まよび)き 大船(おほふね)の ゆくらゆくらに 面影(おもかげ)に もとな見えつつ かく恋ひば 老(お)いづく我(あ)が身 けだし堪(あ)へむかも
4221
かくばかり恋しくしあらばまそ鏡(かがみ)見ぬ日(ひ)時(とき)なくあらましものを
| 意味 |
〈4220〉
海神が櫛笥にしまいこんで大切にするという真珠、その真珠以上に大切な我が子ながら、この世の定めで、官人である夫の引き連れるままに、遠い越の国をさして、はるばる別れて行ったその日から、たおやかなあなたの眉がゆらゆらと面影がちらついてやりきれません。こんなに恋い慕ってばかりいたら、老いた身の私に、はたして堪えられるでしょうか。
〈4221〉
こんなにも恋しく思われるのだったら、鏡のように見ない日も時もなく過ごしたでしょうに。
| 鑑賞 |
題詞に「京師(みやこ)より来贈(おこ)する歌」とある、国守として越中に赴任した家持のもとにいる大嬢に宛てて、坂上郎女が与えた歌。天平勝宝2年(750年)の作。
4220の「海神」は、海を支配する神。「み櫛笥」の「み」は美称、「櫛笥」は櫛や鏡などの化粧道具を入れる箱。「斎くとふ」の「斎く」は大切にする。「とふ」は、といふ、の意。「玉」は、真珠。「うつせみの」は「世」の枕詞。「世の理と」は、妻が夫に従うのは世間の道理であるとして、の意。「ますらを」は、ここでは家持のこと。「引きのまにまに」は(夫の)引き寄せるままに。「しなざかる」は「越」の枕詞。家持の造語で、その影響と見られます。「延ふ蔦の」は、蔦の枝が延びて別れ別れにところから「別れ」にかかる枕言葉。「沖つ波」は、沖の波がうねりたわむところから「撓む」にかかる枕言葉。「撓む」は、たわむ、曲がる。「眉引」は、眉が長く引くさまで、大嬢の眉をたたえる表現。「大船の」は「ゆくらゆくら(ゆらゆらとの意)」の枕詞。「もとな」は、わけもなく、やたらに。「老いづく」は、年老いてゆく。「けだし」は、おそらくは。
4221の「かくばかり」は、これほどまでに、こんなにも。「恋しくしあらば」の「し」は、強意の副助詞。「まそ鏡」は、映りのよい白銅製の鏡のことで、「見」にかかる枕詞。「見ぬ日時なく」は、見ない日も、見ない時間もなく。「あらましものを」の「ましものを」は「〜だったらよかったのになあ(実際はそうではないので残念だ)」という反実仮想の余韻を残す詠嘆の表現。
『万葉集』に見える坂上郎女の最後の作であり、この時の郎女は50歳くらい、大嬢は28歳くらいだったとされます。子が離れていき、母としてまた女として深い孤独を感じる年齢だったのでしょう、ずいぶん弱気になっている様子が窺えます。郎女は、やがて帰京する家持と大嬢に再会したはずですが、これ以後のことは分かりません。一方、この歌より後に、家持が何も郎女に触れることがないことなどから、郎女は間もなく没したのではないかと見る向きもあります。

大伴坂上郎女の略年譜
大伴安麻呂と石川内命婦の間に生まれるが、生年未詳
16~17歳頃に穂積皇子に嫁す
715年、穂積皇子が死去。その後、宮廷に留まり命婦として仕えたか。
藤原麻呂の恋人になるが、しばらくして別れる
724年頃、異母兄の大伴宿奈麻呂に嫁す
坂上大嬢と坂上二嬢を生む
727年、異母兄の大伴旅人が太宰帥になる
728年頃、旅人の妻が死去。坂上郎女が大宰府に赴き、家持と書持を養育
730年 旅人が大納言となり帰郷。郎女も帰京
731年、旅人が死去。郎女は本宅の佐保邸で刀自として家政を取り仕切る
746年、娘婿となった家持が国守として越中国に赴任
750年、越中国の家持に同行していた娘の大嬢に歌を贈る(郎女の最後の歌)
没年未詳
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