| 訓読 |
4222
この時雨(しぐれ)いたくな降りそ我妹子(わぎもこ)に見せむがために黄葉(もみち)取りてむ
4223
あをによし奈良人(ならひと)見むと我が背子(せこ)が標(し)めけむ黄葉(もみち)地(つち)に落ちめやも
4224
朝霧(あさぎり)のたなびく田居(たゐ)に鳴く雁(かり)を留(とど)め得むかも我がやどの萩(はぎ)
| 意味 |
〈4222〉
この時雨よ、そんなにひどく降らないでくれ。愛しい我が妻に見せるため、黄葉を折り取っておきたいから。
〈4223〉
奈良の人が見るだろうと思って、あなたが標を結ったという黄葉は、どうして地に落ちることなどありましょう。
〈4224〉
朝霧がたなびいている田に鳴いている雁を、引き留めることができるだろうか、我が家の庭の萩は。
| 鑑賞 |
4222・4223は、題詞に「九月三日に宴(うたげ)する歌」とある2首。「九月三日」は太陽暦の10月11日。掾(じょう)の久米広縄の邸宅で開かれた宴会での歌と見られ、4222が広縄の歌、4223が大伴家持の歌。4222の「いたくな降りそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「我妹子」は、広縄自身の妻、あるいは家持の立場で歌ったとも考えられます。広縄の妻のことだとしたら、家持の次歌によって、その妻は奈良にとどまっていることが知られます。「黄葉取りてむ」は、黄葉を折り取ろうで、「て」は、完了の助動詞。強く言おうとしてのもの。宴の主人としての挨拶歌と見られます。
4223の「あをによし」は「奈良」の枕詞。「奈良人」は、前歌の「我妹子」を、奈良にとどまる広縄の妻と見たもの。「見むと」は、見るだろうと。「我が背子」は、広縄のこと。「標めけむ黄葉」は、他人に手を触れさせまいと標をしたと黄葉の意ですが、ここは、心の中にそう思ったろうということを強く言ったもの。「地に落ちめやも」の「地に落つ」は、散るの慣用的表現。「や」は、反語。なお、4223の作意について土屋文明は、「奈良から近く来る人でもあって、共々にそれを待つ心持ちであろうか。広縄の歌のワギモコを言って居るとも見られない。次に十月五日に河邊東人の伝誦を載せて居るから、或は此のナラヒトは東人などを心に置いたのかも知れない」と述べ、次歌と関連づける見方を示しています。
4224は、越中の国府に来た河辺東人(かはへのあづまひと)が伝誦した歌。左注に「右の一首は、吉野の宮に幸(いでま)す時に、藤原皇后(ふぢはらのおほきさき)作らす。ただし、年月いまだ審詳(つばひ)らかにあらず。十月五日に、河辺朝臣東人が伝へ誦(よ)みて云へり」とあります。聖武天皇が吉野に行幸した時のもので、「藤原皇后」は光明皇后のこと。河辺東人は、神護景雲元年(767年)従五位下、宝亀元年(770年)石見守。巻第8-1440に作があり、天平5年(733年)に藤原八束の使いとして病床にある山上憶良を見舞ったことのある人です。この時、東人が越中の国府に来た事情は不明で、官用か八束の用かなどで越中に来て、その折に宴会が催されたのだろうと想像されていますが、この頃はまだ卑官だったと思われます。
「田居」は、田。雲を「雲居」というのと同様、「居」はそれのある場所を意味する語。「留め得むかも」の「かも」は疑問の助詞で、引き留めうるであろうか。萩と雁との取り合わせは、秋の花鳥の代表であり、萩の花期は雁が渡来する少し前、あるいはほぼ同時と見なされていました。「やど」は、家の敷地、庭先。左注により、吉野宮と見る説もあります。窪田空穂はこの歌について、「雁に男性を、萩の花に女性を連想するのは、この時期の共通の詩情で、特殊なものではない。この歌もその範囲のものであるが、言い方がおおらかで、ほのかで、品位を持ったものである。『留め得むかも』と危殆の情をもっていっていられるのはすなわちそれで、それがまた一首の魅力となっている。ほのかな香気のような作である」と述べています。

『万葉集』を学ぶ意義
【PR】
|
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |