| 訓読 |
4225
あしひきの山の紅葉(もみち)に雫(しづく)合ひて散らむ山道(やまぢ)を君が越えまく
4226
この雪の消(け)残る時にいざ行かな山橘(やまたちばな)の実(み)の照るも見む
| 意味 |
〈4225〉
山の紅葉にしずくが落ちて集まって、その重さで散り敷く山道を、あなたは越えていかれるのですね。
〈4226〉
この雪が消え残っている間にさあ行こう。山橘の実が赤く照り輝いている様を見るために。
| 鑑賞 |
大伴家持の歌。4225は、10月16日、少目(しょうさかん)秦伊美吉石竹(はたのいみきいわたけ)が、朝集使(ちょうしゅうし)として奈良の都に旅立つのを送別する宴で詠んだ歌です。10月16日は、太陽暦の11月23日。「少目」は、国司の四等官。「朝集使」は、1年間の政情を記した報告書(朝集帳)を太政官に提出する使者のこと。秦伊美吉石竹は、天平宝字8年(764年)、藤原仲麻呂討伐の功により外従五位下、宝亀5年(774年)に飛騨守、同7年に播磨介になった人。『万葉集』に歌はありませんが、巻第18-4086題詞、4135左注に名が出ています。「あしひきの」は「山」の枕詞。「雫合ひて」は、時雨のしずくが落ちて集まって。「越えまく」は「越えむ」のク語法で名詞形。詠嘆を込めた終止。
公務を帯び、初冬の山道を越えて上京する一行の労苦を思いやって詠んだ送別歌であり、窪田空穂は、「『黄葉に雫合ひて散らむ山道』という想像は、初冬の山道のさびしく美しい情景を心細かく巧みに捉えたもので、優れた描写である。『君が越えまく』という結句も、それにふさわしい余情を持っている。目立たない歌であるが、家持の手腕の発揮された作である」と評しています。
4226は、12月、「雪の日に作る」歌。「この雪の消残る時に」は、この雪が解けきらずに残っている間に。雪の「白」を背景に設定する重要なフレーズとなっています。「いざ行かな」の「いざ」は、人を誘ったり、自分が行動を起こす時に発する掛け声で、さあ行こう。「山橘」は、常緑低木のヤブコウジ。夏に咲く花は目立ちませんが、冬になると真っ赤な実がなります。「実の照るも見む」は、実が(光を受けて)照り映えているのも見よう。大雪が少なくなった残雪の頃にみんなして行って、山橘の赤い実を見ようというので、斎藤茂吉は「『いざ行かな』と促した語気に、皆と共に行こう、という気乗のしたことがあらわれているし、『実の照るも見む』は美しい句で、家持の感覚の鋭敏さを示すものである」と評しています。
清冽で絵画的な美意識が光る一首であり、最大の魅力は、「雪の白」と「実の赤」の鮮烈な色彩の対比にあります。 モノトーンの雪景色の中に、ぽつんと灯るような山橘の赤。この色彩感覚は、家持が編纂に関わった『万葉集』の末尾に近い巻(特に家持自身の歌)によく見られる、繊細で都会的な「絵画的叙景」の典型です。「消残る時に」という言葉には、雪が解けてしまえばこの美しさは失われてしまう、という時間の限定性があります。家持は、季節が移り変わる一瞬の「はざま」にある美を、逃さず捕まえようとしています。長く厳しい越中の冬を過ごしていた家持にとって、雪の中から顔を出す赤い実は、春の訪れを予感させる希望の光でした。「照るも見む」という言葉には、どんよりとした北国の冬空から差し込む、久々の陽光への喜びが重なっています。

四度使と書類作成
諸国から帳簿を中央に提出する機会は大きく4つに分けられ、それぞれ、国司のメンバーのなかから使者を選んで都に派遣した。毎年の財務収支報告書である正税帳(しょうぜいちょう)を送る「正税帳使」、人々への賦課の基準となる計帳を送る「大帳使(だいちょうし)」、地方で徴収した調の物品と関係書類を送る「貢調使(こうちょうし)」、そして毎年の官人の勤務評価に関する書類を提出する「朝集使(ちょうしゅうし)」である。これらの使者をまとめて四度使(よどのつかい)と呼んでいる。
四度使のそれぞれの使者が主目的として提出する書類のほかに、関連する統計資料の付属書類もたくさんあり、それらは枝文(えだぶみ)と呼ばれた。四度枝文(よどのえだぶみ)を含めて考えると、諸国では一年中ほとんど書類づくりに追われていなければならない。これに加えて、戸籍や、田籍(でんせき)・田図(でんず)といった田地の登録関係帳簿が6年に1回作成される。
全国の官司には、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)という四等級の官職が置かれるのが原則で、四等官(しとうかん)と呼ばれる。しかし、書類の作成にあたる実務労働は、四等官だけではとても足りない。四等官の下には史生(ししょう)という書記官がいるが、これでも実際には足りないだろう。諸国での人員は、もっとも多い国でも長官1名、次官1名、判官2名、主典2名、史生3名、合計9名である。これでは、種々の帳簿の責任者を分担する程度のことしかできない。しかも、年間に数名は四度使として上京中である。
そこで、実際の書類作成労働の主力となる者が、かき集められることになる。こうして諸国の行政においては、書生(しょしょう)と呼ばれる者たちが実務に参加するようになっていった。書生は律令にはまったく規定されていない。必要に迫られて、諸国で設置されるようになった肩書きの者たちである。7世紀段階ではこうした存在は確認できていないので、大宝律令施行による書類扱い業務の膨大化に伴って生まれた存在ということができる。
各地の書生たちは、地元出身の者であった。書生は文筆能力をもっていなければ役に立たないため、地方豪族などの有力者の家柄から採用されていたようである。地方行政の末端にいた彼らの活躍がなければ、書類もまとめられないし、それを使って人々に賦課をかけることもできなかった。彼らは、官僚機構を末端で支え、国家運営になくてはならない存在となっていったのである。
~『律令国家と万葉びと』から引用
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ヤブコウジ
『万葉集』では「山橘」と呼ばれる ヤブコウジは、サクラソウ科ヤブコウジ属の常緑低木。別名「十両」。林内に生育し、夏に咲く小さな白い花はまったく目立たないのですが、冬になると真っ赤な実をつけます。この実を食べた鳥によって、種子を遠くまで運んでもらいます。
古くから日本人に愛されてきた植物であり、江戸時代の寛政年間に、葉に斑が入るヤブコウジが好事家の間で人気を呼び、多くの品種がつくられました。日陰や寒さにも強く、栽培も容易なヤブコウジは、現代においても、寄せ植えや観葉植物、また盆栽鉢に植えて古典園芸植物などのように様々なスタイルで楽しまれています。

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