| 訓読 |
4229
新(あらた)しき年の初めはいや年に雪踏み平(なら)し常かくにもが
| 意味 |
〈4229〉
新年の初めをいよいよこのように年を重ね、積もった雪を踏みならして平穏に迎え、いつもこんな風でありたいものよ。
| 鑑賞 |
天平勝宝3年(751年)正月2日、大伴家持が、国守館で開いた宴で披露した歌です。「いや年に」は、いよいよ年ごとに、毎年。「雪踏み平し」は、雪を踏みつけて平らにして。大勢の人が訪れることの視覚的表現。「かくに」は、このように。「もが」は、願望の助詞。折から四尺(約1m20㎝)も積もった大雪、その中を屈せず参集したことに善意を感じ、そのさまが永久に続くことを賀しています。
律令の「儀制令」には「凡そ元日には、国司皆、僚属郡司等を率ゐて、庁に向ひて朝拝せよ。訖(をは)りなば長官、賀受けよ。宴設くることは聴(ゆる)せ」とあり、正月に国司が郡司らを招いて、まず都の天皇その地から拝み、次いで祝宴を開くものと規定されていました。その目的は二つあり、一つは全国一律にそうした儀礼をおこなうことによって地方の人々の心を中央に向かわせるため、二つ目は中央から派遣された国司と、地方に根づく豪族たちの代表である郡司たちとの良好な人間関係を築くためでした。
この年に家持は34歳、越中に赴任して足掛け6年目になり、越中守としての最後の正月となります。この年の春から夏にかけての家持の歌の記録は、ここの新年の賀歌1首のあとは、2月2日の宴歌1首と、4月16日のほととぎすを詠んだ1首しかありません。前年の春は、正月から3月までに長短歌41首を記録し、夏4月から6月に長短歌35首を記録しているのと大きな変わりようです。越中を離れる日が近づいていることを予感していたのでしょうか。

国司について
国司は、律令制において中央から派遣され、諸国の政務を司った地方官のこと。その役所を国衙(こくが)といい、守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)の四等官のほか、その下に史生(ししょう)などの職員があった。任期は令で6年(のち4年)とされていたが、実際の平均は2年ほど。なお、守(長官)を国司と呼ぶこともある。
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