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巻第19(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第19-4252・4253

訓読

4252
君が家に植ゑたる萩(はぎ)の初花(はつはな)を折りてかざさな旅別るどち
4253
立ちて居(ゐ)て待てど待ちかね出(い)でて来(こ)し君にここに逢ひかざしつる萩(はぎ)

意味

〈4252〉
 あなたの家に植えられている萩の、その初花を手折って髪飾りにしましょうか、旅の途次に別れてゆく私たちは。
〈4253〉
 立ったり座ったりして待っていたけど待ちきれずに旅に出て、こうしてあなたにここで出逢えて、髪に萩をかざせました。

鑑賞

 4250・4251で、もっとも親しかった部下の久米広縄に逢えずじまいで越中国庁を出立した家持でしたが、越前の国を通過する折りに、掾としてそこに在任していた大伴池主の館に立ち寄りました。すると、ちょうど任を終えて越中へ帰る途中の広縄に逢うことができ、偶然の再会を喜び合って宴が催されました。ここの歌はその折に詠まれたもので、4252が広縄の歌、4253が家持の歌です。時期は8月10日前後、今でいえば9月はじめころ、題詞に「萩の花を矚(み)て作る」とあるので、越前では、もう萩の初花が咲こうとしていたようです。

 
4252の「君が家に」は、貴方の家に。「君」は、この場の主人である池主を指します。「植ゑたる萩の」は、庭に大切に植えて育てている萩のこと。「たる」は存続・完了の助動詞。「初花」は、その秋、初めて咲いた花のこと。「かざさな」の「な」は勧誘で、挿頭(かざし)にしよう、の意。「旅別るどち」は、旅で別れをする同士。家持は都へ、広縄は越中へ、そして池主は越前に残り、別れ別れになることを言っているもの。

 
4253の「立ちて居て」は、立ったり座ったり。じっとしていられない様子。「待てど待ちかね」は、いくら待っても待ちきれなくて。「出でて来し」は、広縄の越中帰任を待ちきれずに出て来たこと。「君にここに逢ひ」の「君」は、広縄のこと。「かざしつる萩」の「かざし」は、花を髪や冠に挿すこと。「つる」は完了の助動詞「つ」の連体形。結びが「萩」で終わる体言止めになっており、今まさに自分の髪に挿した萩の花そのものに全感情を集中させています。また、広縄の歌の「旅別る」には触れず、ひたすら池主邸で再会できた喜びを歌っています。

 
窪田空穂は、4252について「池主、家持、広繩と心合いの者の三人だけが、こうした場合偶然に落ち合ったのであるから、感懐の深いことであったろうが、そうしたことには触れず、宴歌として淡い物言いをしているところに、かえって余情がある。『君が家に』と、池主のこともいい、『初花を』と、細かい余情のある捉え方をしているところに、しみじみした気分が出ている。それとない哀愁のある歌である」と述べ、4253について「事の全体を対象として、偶然にも遇い得た深い喜びと、心合いの者の別宴を催している喜びまでもいっているものである。率直に、心を尽くしていおうとしつつ、尽くしかねるものを持っているような歌である」と述べています。

かざす

 「髪挿(かみさ)す」の意で、季節の霊威を宿した植物を髪に挿して、その生命力を身につけようとする呪的な行為。カザスという行為は、非日常的な空間である神事や宴の場で行われた。宴は神祭りを起源とし、宴の参加者は神に等しい位置に立つ。そこで各々カザシをすることで、神に化すと考えられていた。天平2年(730年)正月、大宰府の大伴旅人邸で開催された梅花の宴は約30人の官人たちが集まる盛大な宴であったが、その折の歌32首のうち8首に、梅の花をカザスことが詠まれている。

 カザシにする植物は、春は花が主であるのに対し、秋は黄葉である。常緑樹も用いられた。年中、緑を保つ常緑樹は、永遠性の象徴として神事に使用された。また、カザシにする花や木々を女性と重ね合わせ、「カザシにする」=女性を手に入れる、という意味を表した歌もある。

 カザシ同様、植物で作り、身に付けた物としてカヅラがある。蔓性植物を冠状に編んだもので、髪飾りにして植物に宿る霊威を身に感染させる呪具である。ちなみにカヅラは、少なくなった頭髪を補う具である「かつら」の語源である。

~『万葉語誌』から抜粋引用

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窪田空穂と『万葉集』

 歌人であり国文学者でもあった窪田空穂(くぼたうつぼ:1877〜1967年)にとって、『万葉集』の研究は生涯をかけた一大事業であり、彼の短歌論の精神的支柱でした。賀茂真淵をはじめとする江戸期の国学者が「古道」や「精神の復古」を重視したのに対し、空穂の万葉研究は「一人の歌人としての共感」と「近代的・人間心理的なアプローチ」に大きな特徴があります。

  1. 記念碑的業績『万葉集評釈』
     空穂の万葉研究の集大成が、全12巻(索引含め13冊)に及ぶ巨著『万葉集評釈』です(当サイトでもっとも多く引用している文献です)。それまでの万葉集の注釈書(仙覚の『万葉集抄』、真淵の『万葉考』、鹿持雅澄の『万葉集古義』など)の成果を踏まえつつも、空穂は独自の視点を貫きました。単なる言葉の歴史的解釈(語釈)にとどまらず、「その歌が詠まれた時、作者の心はどう動いていたのか」という作者の心理や感情のダイナミズムを、緻密かつ平易な現代語で解き明かしたのです。歌人としての鋭い感性をもって一首一首の「調べ」や「息遣い」を追体験するようなその評釈は、今なお万葉集研究・鑑賞の最高峰の一つとして高く評価されています。
  2. 『万葉集』に見た「人間性の真実」
     空穂は『万葉集』の魅力を、技巧の洗練ではなく「むき出しの人間性」に見出しました。空穂は、後世の和歌(古金・新古今など)が「理知」や「ことばの遊芸」に傾斜していったのに対し、万葉の歌は「情感」そのものが結晶化したものであると捉えました。天皇や貴族の歌だけでなく、防人や東国の庶民が詠んだ歌(東歌・防人歌)に、人間の生々しい生活の哀歓や、飾らない愛情がそのまま表現されていることに深く共感しました。彼は「歌とは、生活のなかで心が動かされたときに自然と湧き出るもの(生活詠)」という信念を持っており、その理想の姿を万葉の歌人たちに重ね合わせていたのです。
  3. 実作への反映~独自の「写実」と「生活」
     空穂は、正岡子規や斎藤茂吉らの「アララギ」とは異なる独自の写実主義(『国民文学』を主宰)を歩みましたが、その根底にはやはり万葉精神が流れていました。アララギ派が「万葉集の言葉や調べ(写生)」を直接的に模倣する傾向があったのに対し、空穂は万葉の「精神(人間や自然に対する、直截で嘘のない眼差し)」を現代の日常に活かそうとしました。彼の代表歌である、若くして先立たれた妻を悼む一連の「愛子(かなしご)のうた」などに見られる深い人間愛と哀傷は、万葉の相聞歌や挽歌(特に山部赤人や山上憶良、あるいは大伴家持らが見せた、他者や家族への深い慈しみ)に通じるものがあります。

     空穂の評釈を読めば、1200年以上前の万葉人が、現代の私たちと全く変わらないことで悩み、恋し、涙していたことが鮮やかに伝わってきます。彼は、難解な『万葉集』を「学問の書」から「血の通った人間の告白録」へと開き直した、最大の功労者と言えます。
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。