| 訓読 |
4254
蜻蛉島(あきづしま) 大和の国を 天雲(あまくも)に 磐船(いはふね)浮かべ 艫(とも)に舳(へ)に 真櫂(まかい)しじ貫(ぬ)き い漕(こ)ぎつつ 国見しせして 天降(あも)りまし 払(はら)ひ平(たひ)らげ 千代(ちよ)を重ね いや継(つ)ぎ継ぎに 知らし来る 天(あま)の日継(ひつぎ)と 神(かむ)ながら わが大君(おほきみ)の 天(あめ)の下(した) 治(をさ)めたまへば もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)を 撫(な)でたまひ 整へたまひ 食(を)す国の 四方(よも)の人をも あぶさはず 恵(めぐ)みたまへば 古(いにしへ)ゆ なかりし瑞(しるし) 度(たび)まねく 申(まを)したまひぬ 手抱(たむだ)きて 事なき御代(みよ)と 天地(あめつち) 日月(ひつき)と共に 万代(よろづよ)に 記(しる)し継がむそ やすみしし わが大君 秋の花 其(し)が色々に 見(め)したまひ 明(あき)らめたまひ 酒(さか)みづき 栄(さか)ゆる今日(けふ)の あやに貴(たふと)さ
4255
秋の花(はな)種(くさぐさ)にあれど色ごとに見(め)し明(あき)らむる今日(けふ)の貴(たふと)さ
| 意味 |
〈4254〉
蜻蛉島大和の国を、天雲に磐のごとき船を浮かべ、艫にも舳にも櫂を多く取り付け、船を漕いで国見をされて、天降って従わぬ者たちを平らげ、幾代も重ねて次々に治めてこられた日の神、その後継ぎとして、神のままに、わが大君が天下をお治めになるので、数多くの官人たちをいつくしみ、整え、ご支配なさる国の四方の民をも余すところなくお恵みをお与えになるので、昔からあらわれなかった珍しい瑞兆が次々と奏上された。腕組みをしたままでいられる平穏な御代として、天地や日月と共にいついつまでもに記録され、伝えられるだろう。あまねく天下をお治めになるわが大君が、色とりどりの秋の花々をご覧になり、御心を晴らせられて、御酒を召されて栄えておいでになる今日という日の、限りなくも貴いことよ。
〈4255〉
秋の花はさまざまにあるけれども、その色ごとにご覧になって御心を晴らされる。今日というこの日の何と貴いことよ。
| 鑑賞 |
大伴家持が少納言に遷任し、越中から京に向かう途上、興に依ってあらかじめ作った、宴に侍して天皇の詔に応える歌。都で天皇に近侍する己の姿を思い描き、少納言として、晴れの肆宴(しえん:宮中での天皇主催の宴)に侍るさまを想像しての預作歌です。作歌時期は、天平勝宝3年(751年)8月、時は既に孝謙天皇の時代になっています(天平勝宝元年:749年に即位)。
4254の「蜻蛉島」は「大和」の枕詞。「磐船」は、天降る神の乗り物と考えられた磐のごとく堅固な船。「艫」は、船尾。「舳」は、船首。「い漕ぎつつ」の「い」は、接頭語。「国見しせして」の「国見」は、国土の視察。「し」は強意、「せし」は「す」の尊敬語「せす」の連用形。「天降りまし」の「天降り」はアマオリの約で、天から地上に降ること。「払ひ平らげ」は、賊を払いのけ平定する意。この句まで天孫降臨の事蹟を述べたもの。「知らす」は、お治めになる。「天の日継と」は、日の神の後継ぎとして。「神ながら」は、神の御心のままに。「我が大君」は、今上天皇。ここは孝謙天皇のこと。「もののふの」は、朝廷に仕える文武百官。その数の多いことから「八十」にかかる枕詞。「伴の男」は、朝廷に仕える部族たち。「食す国」は、統治なさる国。「あぶさはず」は、余すところなく。「瑞」は、吉事、瑞兆。陸奥の国から金が産出したことなどを指しています。「度まねく」は、たびたび、次々に。「手抱きて」は、何もせず腕組みをして。「やすみしし」は「わが大君」の枕詞。「其が色々に」の「其」は、上の「秋の花」を指します。「明らめたまひ」は、御心を晴らせられて。「酒みづき」は、酒を召されて。「あやに」は、何とも言えないほどに、限りなく。
4255の初2句の原文「秋時花種尓有等」は、どこで句切るかによって異訓があり、アキノトキハナクサニアレドと訓むものもあります。長歌の結末を受けて繰り返したものとなっています。
越中での長い任を終え、少納言となって都へ向かう家持の気持ちの高揚はいかばかりであったことでしょう。馬に揺られながら、肆宴に侍る自身のさまを思い浮かべ、この宮廷讃歌を歌わずにはおれなかったと見えます。窪田空穂は、「宮中の肆宴に、詔によって歌を奉るということが、どの程度まで実現性のあったものか疑わしい。そうした例が少ないからである。題詞にある『興に依りて』というのが作因で、京なつかしい心の一つの発露であったろう」と述べています。
ただ、長歌については、整然たる惜辞で皇室に対する尊敬の念を歌っているのは家持の特色があらわれているとの評があるものの、概して高い評価は得られておらず、武田祐吉は、「儀礼的で感興が乗らない。・・・一体に冗長で、緊張を欠いているのは、預作歌であることも大いに関係している」と言い、土屋文明は、「家持はよくこうした豫想の立場で作歌しているが・・・・・・家持の作歌態度の一つではあろうが、彼の歌人としての位置を高くするよりは低くする方が多いだろう。美辞を列ねている割に感動の乗って来ないのも致し方ない」と言っています。

あめ・あま(天・雨・海人)
アメには、「天」「雨」の字があてられる。両者は、母音交替形がアメとなることでも共通しており、語源を一つにする語であることが分かる。「天」は、神話的世界観において神々の住む天上世界をいうのが原義。後に、自然的存在としての天空をも意味するようになるが、その場合にも背後に天上世界の存在が意識されている。天空を意味する「天(あめ)」は、「地(つち:大地)」の対として「天地(あめつち)」の形で用いられることが多い。一方、神話的世界観においては、「天(あま)つ神(天上世界に属する神)」に対して、「国(くに)つ神(地上世界に属する神)」の呼称が見えており、「天」と「国」が対の関係に置かれている。
「天(あめ)」は、「天(あま)」「天(あま)の」「天(あま)つ」「天(あめ)の」などの形で様々な語に冠し、神聖な天上界のものであることを表す複合語を作る。例えば、「天(あま)の原」は天空の広がりをいう語で、『万葉集』では多く「天の原振り放(さ)け見れば」と歌われる。「振り放け見る」は遠く振り仰いで見やる意で、本来、霊的な対象と交流し招迎するための呪術であった。よって、「天の原」の語にも、「高天原」の神聖さへの讃美の意識があることが分かる。
また、「天(あめ)の下」は、都を中心として天皇が統治する秩序ある世界のことで、「天」の秩序を負い持って存在するものと考えられた。これに対して「天離(あまざか)る鄙(ひな)」という慣用的な言い回しがある。「鄙」は都を遠く離れた田舎をいう語であり、都を中心とする「天の下」に秩序を及ぼす「天(あめ)」が、「鄙」の地には存在し得ないものと考えられたために生まれた言い回しとされる。
「天(あめ)」の強い呪力を宿して「天」から降るものが、「雨」である。「雨」に「天」の意識があることは、「ひさかたの天(あめ)の時雨(しぐれ)」(巻第1-82)という表現にも表れている。「雨」には「天」の強い呪力が宿るため、濡れることは禁忌とされた。よって、男女の恋愛生活において、「雨」の降る夜に男が女のもとを訪れることは基本的に避けられた。
折口信夫によれば、古代日本において、「天」と「海」は同一視されていたという。漁撈民をいう「海人(あま)」や「海部(あまべ)」のアマと、「天」の母音交替形である「天(あま)」が同じアマの音を持つことが、その証左とされる。古代の神話的世界観では「天」と「海」が共に「国」の対とされることからも、「天」と「海」との共通性が見て取れる。古代の世界観の論理によると、「海」は遠い沖の果てで「天」の壁のそびえ立つ場所と接している。ここに、「天」と「海」とが同一視される理由があるらしい。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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