| 訓読 |
4295
高円の尾花(をばな)吹き越す秋風に紐(ひも)解き開(あ)けな直(ただ)ならずとも
4296
天雲(あまくも)に雁(かり)ぞ鳴くなる高円の萩の下葉(したば)はもみちあへむかも
4297
をみなへし秋萩(あきはぎ)しのぎさ雄鹿(をしか)の露(つゆ)別(わ)け鳴かむ高円(たかまと)の野ぞ
| 意味 |
〈4295〉
高円のすすきの穂に吹いてくる秋風に、さあ着物の紐を解いてくつろぎましょう、いい人にじかに逢うのではないけれど。
〈4296〉
天雲の彼方に雁が鳴く声が聞こえる。ここ高円の萩の下葉は美しく色づきおおせるだろうか。
〈4297〉
おみなえしや秋萩を踏みしだき、牡鹿が露を散らして鳴き立てる季節なのだろう、ここ高円の野は。
| 鑑賞 |
天平勝宝5年(753年)8月12日に、2、3人の大夫らがそれぞれ壺酒を提げて高円の野に登り、それぞれの思いを述べて作った歌3首。「高円の野」は、奈良の高円山山麓の野で、官人たちの有楽地でした。作者は、4295が大伴池主、4296が中臣清麻呂、4297が大伴家持。
4295の「尾花」は、ススキの花穂。「紐解き開けな」の「な」は、勧誘の助詞で、衣服の紐を解いてくつろごうよ、の意。「直ならずとも」は、直接恋人に逢うのではなくても。つまり、紐を解くからといって恋人と情を交わすわけではないけれども、の意。池主の開けっぴろげな人柄を反映している歌であり、家持とは昵懇の間柄で気楽に冗談が言えるせいもあったのでしょうが、やや品のない歌と言えましょう。
4296の「萩の下葉」は、萩の葉の重なり合って見えない下方の葉。「もみちあへむかも」の「あふ」は、抵抗する、耐え忍ぶ、の意ですが、ここは、~しおおせる。この時代の共通の詩情として、空に雁が渡って来ると、地の木草は、それに応じて黄葉するとされていたので、その心からのもの。もう雁の鳴く声が聞こえるが、萩の下葉はそれに順応できるだろうかと案じています。
4297の「をみなへし」は秋の七草のひとつに数えられ、小さな黄色い花が集まった房と、枝まで黄色に染まった姿が特徴。『万葉集』の時代にはまだ「女郎花」の字はあてられておらず、「姫押」「姫部志」「佳人部志」などと書かれていました。いずれも美しい女性を想起させるもので、「姫押」は「美人(姫)を圧倒する(押)ほど美しい」意を語源とする説があります。「しのぎ」は、(おみなえしや萩の花を)押し伏せて、踏みしだき。「さ雄鹿」の「さ」は、接頭語。萩原の妻恋いの鹿は、秋の代表的な風物とされており、それを想像して詠んでいます。
中臣清麻呂は家持より16歳年上で、史書には、清く慎み深く尽力し、朝廷の儀式や書籍に精通したと伝えられる人です。天平宝字6年(762年)に参議となって後、中納言、大納言を経て右大臣となって政務を担当。清麻呂が右大臣だったころの宝亀11年(780年)に家持は参議に加わっており、晩年の家持が政界中枢へ復帰できた背景には、清麻呂の存在が大きかったのではないかといわれます。

巻第20について
窪田空穂の評論から――
本巻は万葉集の終巻であって、『国歌大観』の番号の(4293)より(4516)に至る224首を収めたものである。
年代からいうと孝謙天皇の天平勝宝5年5月から、淳仁天皇の天平宝字3年正月一日に至る5か年間の作であり、一部に、伝誦を通して知り得た古歌があるから、厳密にいうと、この期間に大伴家持の収録した歌ということになる。
本巻は巻第17から引続き、大伴家持の私家集であり、家持の歌を中心としてのものである。しかしその成立した形から観ると、家持の歌はむしろその一部を成しているにすぎず、大部分は他人の作である。そして、それらのものは、一に家持の手によって蒐集され、また収録されたのであって、家持自身よりいえば、彼の蒐集欲を充たすことだったのであるが、今日より観れば、奈良朝末期のこの時代の歌界をうかがわしめる料としては、ただ本巻があるのみだという、きわめて貴重なる物となったのである。その蒐集の代表的なものは東国の防人の歌で、これは前後を通じての唯一のものであり、文化史的に観ればきわめて貴重なるものである。本巻の特色は、この家持の蒐集方面にあるのである。
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それぞれの歌の〇の中に当てはまる語を、ひらがなで答えてください。
【解答】 1.つき(月) 2.なみ(波) 3.こと(言) 4.くも(雲) 5.よぶこどり(呼子鳥) 6.ひめゆり(姫百合) 7.ゆき(雪) 8.すだれ 9.しほ(潮) 10.がき(餓鬼)
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