| 訓読 |
4315
宮人(みやひと)の袖(そで)付け衣(ごろも)秋萩(あきはぎ)ににほひよろしき高円(たかまど)の宮(みや)
4316
高円の宮の裾廻(すそみ)の野づかさに今咲けるらむをみなへしはも
4317
秋野には今こそ行かめもののふの男女(をとこをみな)の花にほひ見に
4318
秋の野に露(つゆ)負(お)へる萩(はぎ)を手折(たを)らずてあたら盛りを過ぐしてむとか
4319
高円の秋野の上(うへ)の朝霧(あさぎり)に妻呼ぶ壮鹿(をしか)出(い)で立つらむか
4320
大夫(ますらを)の呼び立てしかばさを鹿(しか)の胸(むね)別(わ)け行かむ秋野萩原(あきのはぎはら)
| 意味 |
〈4315〉
大宮人の長袖の衣が、折からの秋萩の花に照り映えて美しい、高円の宮よ。
〈4316〉
高円の宮の裾野のあちらこちらの高みに、今ごろ盛んに咲いているのだろう、オミナエシの花は。
〈4317〉
秋の野に今こそ出かけよう。宮仕えの官人や官女たちの花のごとくに美しいさまを見るために。
〈4318〉
秋の野に露を浴びて咲く萩の花を手折りもせず、いたずらに美しい盛りを見過ごしてしまおうというのか。
〈4319〉
高円の秋の野に立ち込める朝霧の中、今ごろ妻を呼ぶ牡鹿が立ち現れて鳴いていることだろうか。
〈4320〉
男子たちが呼び立てるので、牡鹿は胸で押し分けながら去って行くだろう、萩が咲き匂う秋の野を。
| 鑑賞 |
大伴家持の歌。題詞はありませんが、左注に「独り秋の野を思い、かりそめに心境を述べて作った歌」旨の記載がある6首。ここでも「独り」という字句があり、天平勝宝6年(749年)秋に聖武天皇の高円離宮行幸があり、延臣の多くが供奉したものの、家持は何らかの事情で加わることができず、後に残って、その日の高円を思いやって詠んだ歌とされます。
4315の「宮人」は、宮廷に仕える官人。「袖付け衣」は、袖のない肩衣(かたぎぬ)に対して、袖の縫いつけてある衣。宮廷の人々の美しく気品ある衣服の象徴です。「秋萩ににほひよろしき」の「にほひ」は、現代語の「匂い(香り)」ではなく、美しい色あいや色つや、輝くような美しさの意。「よろしき」は、萩の花の色と袖付け衣の色とが、美しく映じ合って良い。「高円の宮」は、高円山の麓にあった聖武天皇の離宮。
4316の「裾廻」は、山の麓のなだらかに周囲へ広がっているあたり。「野づかさ」は、野の一段高くなっている所。「今咲けるらむ」は、今まさに咲いていることだろう。「をみなへしはも」の「をみなへし」は、秋の七草の一つで、黄色い小さな花を傘状に多数咲かせる、秋の代表的な野草。「はも」は、眼前にないものを思いやり、今ごろどうなっているだろう、というような述部を省略した表現。
4317の「今こそ行かめ」は、今こそ行こう。強意の係助詞「こそ」と已然形による「行かめ」の係り結びになっています。「もののふ」は、朝廷に仕える文武百官。ここの歌にあるように、男女の区別なく言うのが原義とされます。「花にほひ見に」の「花にほひ」は、花のように着飾って美しいさま。「見に」は、見るために。
4318の「露負へる」は、露をその身に宿している、ぐっしょりと濡れている状態。「手折らずて」は、手で折らないで、(花を)摘み取らないままで。「あたら」は、せっかくの、惜しくも、の意の副詞。「過ぐしてむとか」は、過ごしてしまおうとするのか、で、下に「する」の意が省略されています。何とかして見に行きたいのに、その機会がないのを残念がっています。
4319の「妻呼ぶ壮鹿」の「妻呼ぶ」は、求愛のために雌鹿を求めて鳴くこと。秋は鹿の繁殖期であり、牡鹿が切ない声で妻を求めて鳴く声は、古来、秋の哀愁を象徴する風物詩でした。「出で立つらむか」の「出で立つ」は、姿を現わしてたたずむ意。「らむ」は現在推量で、いま目の前にはない、遠く高円の地にある情景を思い描く表現。
4320の「大夫」は、ここは猟師を指すか。「呼び立て」は、繁みに潜んでいる鳥獣を追い出すために大声を発すること。「胸別け」は、胸で繁みを押し分けること。都に住む万葉人は、高円山にとりわけ風雅の趣を感じていたと見えます。四季の花々はもちろん、鳥や鹿、月や霧も酒宴の対象となり、また狩りも催されました。
この時の聖武天皇は54歳。5年前に娘の孝謙に譲位し、大政は光明皇太后の掌中にあり、影の薄い存在になっていました。もともと病弱であった上に、最近生母(藤原宮子)の崩にも遭っています。在位中に混迷を続けた天皇ではありましたが、旧派の氏族である家持は、絶えず敬慕と同情の気持ちを抱き続けていました。その募る思いから、私邸で詠んだ歌と見られています。

オミナエシ
オミナエシ科オミナエシ属の多年生植物。北海道から九州までのほぼ日本全国および、中国から東シベリアにかけて分布しています。秋の七草のひとつに数えられ、小さな黄色い花が集まった房と、枝まで黄色に染まった姿が特徴。『万葉集』の時代にはまだ「女郎花」の字はあてられておらず、「姫押」「姫部志」「佳人部志」などと書かれていました。いずれも美しい女性を想起させるもので、「姫押」は「美人(姫)を圧倒する(押)ほど美しい」意を語源とする説があります。オミナエシを歌う歌は『万葉集』の第3期、すなわち奈良時代以降の歌にしか見られず、ようやく都市貴族化してきた人たちによって、はじめて歌材として取り上げられるようになりました。
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