| 訓読 |
4346
父母(ちちはは)が頭(かしら)かき撫(な)で幸(さ)くあれて言ひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつも
4347
家にして恋ひつつあらずは汝(な)が佩(は)ける大刀(たち)になりても斎(いは)ひてしかも
4348
たらちねの母を別(わか)れてまこと我(わ)れ旅の仮廬(かりほ)に安く寝(ね)むかも
| 意味 |
〈4346〉
父と母とがかわるがわるにやさしく頭をかき撫でて、元気に過ごしてほしいと言った言葉が忘れられない。
〈4347〉
家で恋しく思っているのではなく、お前が腰に帯びる大刀、せめてその太刀にでもなってそばで見守ってやりたい。
〈4348〉
母と離れて、本当に私は旅の仮寝で安らかに寝ることができるのだろうか。
| 鑑賞 |
4346は、駿河国(静岡県の中部・東部)の防人、丈部稲麻呂(はせべのいなまろ)の歌。「頭かき撫で」の「かき」は接頭語で、動作を強調します。何度も何度も、いとおしそうに撫でる様子が浮かびます。この行為は単なる愛撫ではなく、祝の言葉に伴わせる一つの呪法ではなかったかともいわれますが、やっと正丁に達したばかりの、まだあどけなさの残る若者の姿が目に浮かぶ表現でもあります。「幸くあれて」の「幸(さ)く」は、サキクの訛りで、「あれて」の「て」は、トの訛り。無事でいておくれ、幸せでいなさい、という切実な祈りです。「言葉(けとば)ぜ」の「けとば」はコトバの、「ぜ」は強調の意のゾの訛り。駿河国ではこのように「о」を「e」とする訛りが多くありました。「忘れかねつも」は、忘れることができない。
なお、4337からこの4346までの10首が駿河国の防人の歌であり、この歌の後ろに「二月の七日、駿河国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)守(かみ)従五位下布勢朝臣人主(ふせのあそみひとぬし)、実(まこと)に進(たてまつ)れるは九日、歌の数二十首。ただし拙劣(せつれつ)の歌は之を取り載せず」との記載があります。布勢朝臣人主は、天平勝宝6年(754年)4月、遣唐使判官として唐国より帰国、同年7月、従五位下駿河守となった人です。
4347・4348は、上総国(千葉県中央部)の防人の歌。作者は、4347が国造丁(くにのみやっこのよぼろ)日下部使主三中(くさかべのおみみなか)の父。国造丁は、国造の家の使用人のこと。4348が日下部使主三中。4347の「家にして恋ひつつあらずは」は、家で恋い続けていずに。「〜ずは」は、〜するよりはむしろ、という選択の意。「汝が佩ける」の「汝」は、親愛の情を込めた二人称。「佩ける」は腰に下げている、の意。「大刀になりても」の「も」は、せめて~だけなりとも、の意で用いたもの。「斎ひてしかも」の「斎ひ」は、神を祀ることですが、ここでは転じて守護する意。「てしか」は、願望。大刀は防人の象徴であり、身を守る最後の武器です。それに姿を変えたいという発想は、単にそばにいたいという願いではなく、お前の盾となり、刃となって苦難を退けたい、という非常に力強く、また悲痛な決意を感じさせます。父親による歌は、防人歌の中でこの1首のみです。窪田空穂は、「歌は一時期前の京の歌と異ならないものである。国造の家なので、相応に教養があったためと思われる」と述べています。
4348の「たらちねの」は「母」の枕詞。「まこと我れ」は、本当に自分は、という自問自答。「仮廬」は、行く先々で夜の寝所として造る小屋。「安く寝むかも」の「かも」は反語で、安らかに寝られようか、寝られない。母の安否を気遣うというより、母と一緒にいられない寂しさを訴える、どこか甘えん坊のような感触の残る歌です。窪田空穂は、「心をこめて斎っている父よりも子は母の方を懐しがっているのであるが、これは年若い男に通有の心で、実感といえることである。詠み方は父と同じである。庶民の中の貴族のような風のある歌である」と言っています。
防人歌には、父母や妻子を思う歌が数多くあります。一方、王朝の歌では、親への慕情を詠うものは極めてまれであり、平安期以降の旅の歌に、父母を思う作はほとんど見られなくなっています。人の心の最たる「まこと」であるはずなのに、雅(みやび)の世界にはふさわしくないとされたのでしょうか。

巻第20「防人歌」の構成
兵部少輔の大伴家持に上進された防人たちの歌は、全部で166首ありましたが、「拙劣歌は取り載せず」として82首が省かれました。巻第20の防人歌の構成と国別内訳は下記のとおりです。
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