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巻第20(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第20-4352~4354

訓読

4352
道の辺(へ)の茨(うまら)の末(うれ)に延(は)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ
4353
家風(いへかぜ)は日に日に吹けど我妹子(わぎもこ)が家言(いへごと)持ちて来(く)る人もなし
4354
立鴨(たちこも)の発(た)ちの騒(さわ)きに相(あひ)見てし妹(いも)が心は忘れせぬかも

意味

〈4352〉
 道ばたのいばらの先に豆のつるが絡みつくように、私に絡みついて離れない君を残して、別れて行かなければならないのか。
〈4353〉
 家のほうからの風は日ごとに吹いてくるのに、妻からの家の便りを持ってきてくれる人とてない。
〈4354〉
 立つ鴨のような出立のあわただしさの中を、逢いに来てくれたあの子の心根は忘れようにも忘れられない。

鑑賞

 上総国(千葉県中央部)の防人の歌。作者は、4352が天羽郡(あまはのこおり)の上丁丈部鳥(はせべのとり)。「天羽郡」は、千葉県富津市の大部分。4353が朝夷郡(あさひなのこおり)の上丁丸子連大歳(まるこのむらじおおとし)の歌。「朝夷郡」は、鴨川市の一部と南房総市の一部にあたります。もとは安房国の郡でしたが、天平勝宝7年(755年)の時点では、安房国は上総国に合併されていました。4354が長狭郡(ながさのこおり)の上丁、丈部与呂麻呂(はせべのよろまろ)の歌。「長狭郡」は、鴨川市の大部分。もと安房国の郡でしたが、天平勝宝7年(755年)の時点では、安房国は上総国に合併されていました。

 
4352の「茨」は、ノイバラ。バラ科の落葉性のつる性低木で、日本全国の山野に自生しています。『万葉集』でノイバラを歌ったのは、ここの1首のみです。「末」は、枝の先端。「延ほ豆の」の「はほ」は、ハフの訛り。この豆が今日の何にあたるか不明。上3句は「からまる」を導く譬喩式序詞。「からまる君」の「君」は女が男に呼びかける語ですが、ここでは逆になっており、妻に対する敬称。作者の体にしがみつき、袖を掴んで離さない妻を表現しています。茨には鋭いトゲがあります。豆の蔓は、そのトゲがあるにもかかわらず、痛みを厭わずしがみついています。作者というトゲだらけの運命(防人という過酷な道)を知りながら、それでも離れまいとする妻の健気さと必死さが、この比喩一つに凝縮されています。「はかれか行かむ」の「はかる」は、振り切る、別れる。「か」は、疑問。「行かむ」は「か」の係り結びで、連体形。どうして別れて行けるだろうか、いや、行けやしない、という断腸の思い。

 
窪田空穂はこの歌について、「防人として発足した男を見送りして来た妻が、男がいざ別れようとすると、女は悲しみが極まり、すがりついて離れずにいるので、男は、こうした妻と別れて行くのだろうかと、嘆いて詠んだのである。序は眼前を捉えたものであるが、その時の状態と気分とをきわめて適切にあらわすものとなって、男の当惑と歎息とをさながらに見せるものとなっている。魅力ある歌である」と述べています。

 
4353の「家風」は、気象学的な風の名ではなく、自分のふるさとの家の方角から吹いてくる風。。「日に日に吹けど」は、毎日毎日絶えず吹いてくるけれど。「家言」は、家からのことづて、便りのこと。「持ちて来る人もなし」は、持ってきてくれる人とてない、誰も届けてくれない。東国出身の防人にとって、東から吹いてくる風は唯一の故郷との接点です。頬をなでる風に「ああ、これは故郷の山を越えてきた風だ」と一瞬の安らぎを感じるものの、風は言葉を話しません。物理的な風は届くのに、精神的な繋がりである「言葉」が届かない。その近くて遠いもどかしさが、この歌の核心になっています。

 
窪田空穂は、「風、雲、鳥などは、音信を連想させるものになっていた。『家風は日に日に』は、家のことが絶えず連想される意で、『人もなし』は、その連想の裏切られる嘆きである。事としては常識的であるが、扱い方は相応に知性的で、防人の歌としてはふさわしくない感のあるものである。原型となる歌があったか、あるいは知識人である部領使の加筆があったかと思わせるものである」と述べています。

 
4354の「立鴨の」の「こも」は、鴨の訛り。「立薦(水草)」とする説もありますが、ここは鴨の群れの飛び立つ羽音の騒がしさから「発ちの騒き」に掛かる比喩的枕詞としています。「発ちの騒き」は、出発の騒ぎ。「相見てし」は、顔を合わせることができた、見つめ合うことができた、という意味。混乱の中で、ようやく二人だけの視線が重なった瞬間を指します。夫婦関係は結んでいるものの、絶対に秘密にしている間柄であったとみえ、女は、素知らぬさまを装っているのに堪えられず、村の見送りの者の中に立ちまぎれて、よそながら見て別れを惜しんだようです。ただ、「相見てし」は、男女の共寝の意だとして、「立つ鴨のような出立のあわただしさの中を、相寝た妻の心根は忘れようにも忘れられない」のように解するものもあります。語続きからすれば、上掲の解釈の方が自然で無理のないものと思料しますが、如何でしょうか。
 

防人の苦難

 防人は任務の期間も税は免除されなかったため、農民にとってはたいへん重い負担でした。また、徴集された防人は、部領使(ことりづかい/ぶりょうし:引率する係りの者)が同行して連れて行かれましたが、自弁でした。部領使は馬に乗り、従者もいましたが、防人たちは徒歩のみで、夜は寺院などの宿泊場所がなければ野宿させられました。もっと辛いのが任務が終わって帰郷する際で、付き添いも無く、途中で野垂れ死にする者も少なくなかったといいます。遠い東国の人間がなぜ防人に徴集されたかの理由の一つに、強い東国の力を削ぎ、その反乱を未然に防ぐため、あえて東国の男たちを西に運んだとする見方がありますが、容易に帰れないように仕向けたのはそのためだったともいわれます。

 筑紫に着いた防人たちは、軍防令の定めによって土地がもらえました。自給自足の農耕を行うためです。そのためか、出発の時には、弓矢や太刀などの武具のほか、鎌、鍬、斧などの農具が携行品として支給されています。防人といっても実際に戦う機会があったわけではなく、土地がもらえて気候が温暖で文化も進んだ地に馴染み、さらに故郷への帰途が極めて困難となれば、そのまま土着する者も少なくなかったことは想像に難くありません。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。