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巻第20(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第20-4360~4362

訓読

4360
皇祖(すめろき)の 遠き御代(みよ)にも おしてる 難波(なには)の国に 天(あめ)の下 知らしめしきと 今の緒(を)に 絶えず言ひつつ かけまくも あやに畏(かしこ)し 神(かむ)ながら わご大君(おほきみ)の うち靡(なび)く 春の初めは 八千種(やちくさ)に 花咲きにほひ 山見れば 見のともしく 川見れば 見のさやけく ものごとに 栄(さか)ゆる時と 見(め)したまひ 明(あき)らめたまひ 敷きませる 難波(なには)の宮は 聞こしをす 四方(よも)の国より 奉(たてまつ)る 御調(みつき)の船は 堀江(ほりえ)より 水脈引(みをび)きしつつ 朝なぎに 楫(かぢ)引き上(のぼ)り 夕潮(ゆふしほ)に 棹(さを)さし下(くだ)り あぢ群(むら)の 騒(さわ)き競(きほ)ひて 浜に出でて 海原(うなはら)見れば 白波(しらなみ)の 八重(やへ)折るが上(うへ)に 海人小舟(あまをぶね) はららに浮きて 大御食(おほみけ)に 仕(つか)へ奉(まつ)ると をちこちに 漁(いざ)り釣りけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも ここ見れば うべし神代(かみよ)ゆ 始めけらしも
4361
桜花(さくらばな)今盛りなり難波(なには)の海(うみ)押し照る宮に聞こしめすなへ
4362
海原(うなはら)のゆたけき見つつ葦(あし)が散る難波(なには)に年は経(へ)ぬべく思ほゆ

意味

〈4360〉
 天皇の遠い御代にも、この難波の国で天下をお治めになってきたと、今日に至るまでずっと言い伝えられてきた。口にするのもまことに恐れ多い、神そのままにいらせられるわが大君には、春の初めは色とりどりの花々が咲き誇り、山を見れば見るからに心惹かれ、川を見れば眺めがさわやかであるとして、それらを御覧になり、御心をお晴らしになり、都となさっている難波の宮には、お治めになっている四方の国々からの貢ぎ物を運ぶ船が堀江を通って水路を漕ぎ続けてやってくる。朝なぎには梶を操って遡り、夕潮には棹を海底にさして下って、水夫たちは味鴨の群れのように騒ぎ競っていて、浜に出て海原を見ると、白波が幾重にも重なる上に、海人の小舟がぽつりぽつりと浮かび、大君の御膳の用に差し上げようと、あちらこちらで魚を釣っている。ああ、何と広大なことか。ああ、何と豊かなことか。こんな光景を目にすると、神代の昔から今日まで都をこの地に営まれたのも、まことにもっともなことに思われる。
〈4361〉
 桜の花は今真っ盛りだ。難波の海に照り輝く宮で、天下をお治めになられるとともに。
〈4362〉
 海原の豊かなさまを眺めながら、蘆の花が広がるここ難波の地でいつまでも過ごしていたく思われる。

鑑賞

 防人の歌群にあって「私の拙き懐を述べる」と題され、天平勝宝7年(750年)2月13日(太陽暦の3月30日)に、大伴家持が作った歌。難波の離宮を讃えて詠んでおり、防人とは直接関係のないものの、当時、兵部少輔(兵部省の次席次官)として防人交替業務を担っていた家持が、防人らの望郷の念を痛む気持ちの裏腹にあるひそやかな思いを述べたとも、あるいは、近く天皇の難波行幸があるのを予想して作った賀歌であるともいわれます。

 
4360の「皇祖の遠き御代」の「皇祖」は、大君が今上天皇を指すのに対して、天皇の祖先の歴代、またはそのうちの特定の一代を言います。「おしてる」は「難波」の枕詞。「知らしめす」は、お治めになる。「今の緒」は、今の時代。「年の緒」の語から連想して家持が作った語か。「かけまく」は、口に出して言うこと。「あやに」は、言葉で表せないほどに。「神ながら」は、神そのままにいらせられる。「わご大君」は、ワガ大君の転。「うち靡く」は「春」の枕詞。「八千種」は、多くの種類。「見のともしく」の「見」は名詞で、見えること。「ともし」は、心が引かれる意。「見したまひ」の「見し」は見ルの敬語。「明らめたまひ」の「明らむ」は、ここは心を朗らかにすること。「敷きませる」は、ご領有になっている。「聞こしをす」は、お治めになる。「御調」は貢物、租税。「堀江」は、人工の水路。難波の地の掘割で、現在の大川とされます。「水脈引き」は、水路に従って漕ぎ進むこと。「朝なぎ」は、朝、陸風から海風に変わる時に起きる無風状態。「あぢ群の」は「騒き」の枕詞。「八重折る」は、幾重にも重なる、または折れ曲がること。「はららに」は、ばらばらに。「大御食」は、天皇の食事の尊称。「をちこち」は、あちらこちら。「そきだく」は、非常に。「おぎろなき」は、非常に広大な。「こきばく」は、たいそう、甚だしく。「ゆたけき」は、海の広さを表すと同時に、海産物の豊富さを讃えたもの。「うべし」は、いかにも、なるほど。「らしも」は、強い推量。

 
4361の「押し照る」は「難波」の枕詞として使用されますが、ここは、海からの光の反射で照り輝く意から、「宮」を修飾しているもの。「なへ」は、とともに、と同時に。4362の「葦が散る」は「難波」の枕詞。「経ぬべく」は、過ごしていたく、暮らしていたく。
 

『万葉集』に詠まれた桜

 『万葉集』において「桜」は、現代の私たちがイメージする「春を代表する満開の華やかな花」とは少し異なり、山の季節の移ろいを告げる花や、散りゆく儚さ・命の象徴、あるいは特定の人物や情景を美しく例えるものとして詠まれています。

 また、当時の歌文芸の中心は「梅」であったため、集中で桜を詠んだ歌は40首余りと、梅の歌(119首)に比べると控えめな数にとどまります。奈良時代の貴族社会(奈良の都)では、中国から渡来した風流で高貴な「梅」が愛でられ、歌の主題として圧倒的な人気を誇りました。一方で「桜」は、古くから日本の土着の自然(山や野)に根ざした、やや素朴で親しみ深い存在として捉えられていました。

 万葉の歌人たちは、平安時代以降の「洗練された花見の対象」としての桜とは一味違う、自然の移ろいそのものとしての生々しい桜の美を感じ取っていたと言えます。

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