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巻第20(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第20-4372~4375

訓読

4372
足柄(あしがら)の 御坂(みさか)賜(たま)はり 顧(かへり)みず 我(あ)れは越(く)え行く 荒(あら)し男(を)も 立(た)しやはばかる 不破(ふは)の関(せき) 越(く)えて我(わ)は行(ゆ)く 馬(むま)の爪(つめ) 筑紫(つくし)の崎(さき)に 留(ち)まり居(ゐ)て 我(あ)れは斎(いは)はむ 諸(もろもろ)は 幸(さけ)くと申(まを)す 帰り来(く)までに
4373
今日(けふ)よりは返り見なくて大君(おほきみ)の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ我(わ)れは
4374
天地(あめつち)の神を祈りて猟矢(さつや)貫(ぬ)き筑紫(つくし)の島を指して行く我(わ)れは
4375
松の木(け)の並(な)みたる見れば家人(いはびと)の我(わ)れを見送ると立たりしもころ

意味

〈4372〉
 足柄の御坂を通していただき、後を振り返らずに私は越えてゆく。荒々しい男でさえ立ち止まってためらう不破の関を越えて、私は行く。馬の蹄がすり減って尽きるほど遠い筑紫の崎にとどまって、私は身を清めて神に祈りを捧げよう。故郷の衆のみんなが達者でいてくれるように、と。無事に帰って来るまで。
〈4373〉
 今日からは、もう決して我が身を顧みることなく、大君の醜の御盾として出立するのだ、私は。
〈4374〉
 天地の神々に無事を祈り、背の胡籙(やなぐい)に矢を挿して、筑紫の島を指してはるばる進むのだ、私は。
〈4375〉
 松の木が立ち並んでいるのを見ると、門出の際に、家族一同が並んで私を見送ってくれたようすにそっくりだ。

鑑賞

 4372は、常陸国(千葉県中央部)の防人、倭文部可良麻呂(しとりべのからまろ)の歌。「足柄の御坂」は、神奈川県と静岡県の県境にある標高759mの足柄峠。箱根路が開かれるまでは、東山道の碓氷峠と並び東海道を経由して東国に入る交通上の要衝でした。「御坂賜はり」の「御坂」は、坂には神が祀ってあるところからの敬称。「賜はり」は、坂の神のお許しをいただいて。「顧みず」は、故郷の方を振り返って見ずに。「越(く)え」は、コエの訛り。「荒し男」は、強く勇敢な男。「立し」は、タチの訛り。「や」は、感動の助詞。「はばかる」は、ここでは行き悩む意。「不破の関」は、岐阜県関が原町にあった東山道の関所。北陸道の愛発(あらち)、東海道の鈴鹿と共に三関の一つに数えられました。「馬の爪」は、馬の蹄をすり減らして尽くす意で「筑紫」の枕詞。「留(ち)まり」は、トマリの訛り。「諸」は、防人の留守家族およびその部落の人たちを指しています。

 防人による長歌は、この1首のみであり、足柄→不破の関→筑紫と地名を並べて道行き歌の体をなし、枕詞も効果的に使われています。
窪田空穂はこの歌を評し、「語短く心を尽くしていっているもので、技巧としても勝れたものである。挨拶の語であるから、先蹤となるものがあったかもしれぬが、それとしても非凡なものである」と言っています。なお、4363からこの4372までの10首が常陸国の防人の歌であり、この歌の後ろに「二月の十四日、常陸の国の部領防人使(さきもりのことりづかひ)大目(だいさくわん)正七位上息長真人国島(おきながのまひとくにしま)が進(たてまつ)る歌の数十七首。ただし拙劣(せつれつ)の歌は取り載せず」との記載があります。息長真人国島は、天平宝字6年(762年)、外従五位下。

 4373~4375は、下野国(栃木県)の防人の歌。作者は、4373が火長(かちょう)の
今奉部与曾布(いままつりべのよそふ)、4374が火長の大田部荒耳(おおたべのあらみみ)、4375が火長の物部真嶋(もののべのましま)。火長というのは、兵士10人の集団の長のことです。なお、下野国からの行程は、上り34日と定められていました。

 
4373の「今日よりは」は、下野国の自家出発の日を指します。「返り見なくて」は、物理的に後ろを向かないだけでなく、故郷に残した家族や未練を一切思い返さないという精神的な決別を意味します。「醜の御盾と」の「醜」は、自分を卑下する語で、不肖な、見苦しい、の意。「と」は、として、で、自分自身を天皇の盾に見立てています。「出で立つ我れは」は、強い自意識を伴う結びで、自分の意志で一歩を踏み出すという能動的な姿勢が強調されています。歌の内容は出征する男たちの心を奮い立たせるもので、そんな風に自身の心に暗示を与え、強くふるまったのでしょう。先の大戦中は、事あるごとに引用されて有名になった歌ですが、防人歌全体の中にあっては、次の4374の歌とともに極めて異例な発想の歌になっています。すなわち防人として勇ましく戦意高揚を歌った歌は、ここの2首のみです。

 
4374の「天地の神を祈りて」は、出発にあたり、道中の安全や武運を八百万の神々に祈ること。「猟矢貫き」の「猟矢」は、狩猟や戦闘に用いる鋭い矢。「貫き」は、矢を束ねて胡籙(やなぐい:矢を入れて背負う道具)に入れる動作を指し、すなはち武装を整えて、の意。「筑紫の島」は、九州。「指して行く我れは」は、~を目標にして進んでいく私は、という意味。迷いのない足取りと、国家の命に従う個人の強い自意識(我れは)が強調されています。窪田空穂は、4373・4374とも、才能のあるすぐれた歌と評しています。

 
4375の「木(け)」は、キの訛り。「並みたる」について、ナラブが2つの物が揃っている場合に用いられるのの対し、ナムは3つ以上の物が列をなしている場合にいうとされます。「家人(いはびと)」は、イヘビトの訛りで、妻を主としての言。「立たりし」は「立ちありし」で、いつまでも立っていた。「もころ」は「如し」の古語。窪田空穂は、「この防人は、旅の路を行きながらも、門出の際、家族一同見送りをして、いつまでも立っていたのを、自分も遠くなるまでも振り返って見た時の印象を、偶然、野に立ち並んでいる松の木の幹を見ることによって連想し、それをそのままに直叙したのである。故郷恋しい心であるが、きわめて自然な状態で、昂奮せず、懐かしさも余情の程度として、落ちついて詠んでいるので、味わいの深い歌となっている。特色のある歌である」と述べています。
 

しこ(醜)

 穢(けが)らわしさを含む醜悪さを意味する語。そこから転じて、頑強さを表す。相撲の力士の名を「醜名(しこな)」と呼ぶのは、そこに由来する。シコは本来異界の属性であり、その背後にはこの世の秩序を超えた異常な力が感じ取られている。しばしば対象への罵りの言葉として用いられるが、その場合も、単なる卑下ではなく、現在の否定的な状況を打開する力の発動がどこかに期待されている。また、シコは頑強さから転じて、頑固で愚鈍な様をも表す。類義語のミニクシ(醜し)は、ミ(見)+ニクシ(憎し)で、見る気持ちが阻害されるほど容貌が醜い様を意味しており、背後に異界の威力が感じ取られることはない。

 『万葉集』に見えるシコは、多く格助詞ノ・ツを伴う「醜の」「醜つ」の形で名詞に冠する。実質的な醜悪さや頑強さを表すよりも、卑下や罵りの言葉としての意味合いが強い。

~『万葉語誌』から引用

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