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巻第20(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第20-4381~4383

訓読

4381
国々(くにぐに)の防人(さきもり)集(つど)ひ船乗りて別るを見ればいともすべなし
4382
ふたほがみ悪(あ)しけ人なりあたゆまひ我(わ)がする時に防人に差(さ)す
4383
津の国の海の渚(なぎさ)に船装(ふなよそ)ひ立(た)し出(で)も時に母(あも)が目もがも

意味

〈4381〉
 国々の防人が集まって、船に乗り込み、別れていくのを見るとなんともやるせない。
〈4382〉
 ふたほがみは意地の悪い人だ。急病に苦しんでいる私を防人に指名するなんて。
〈4383〉
 摂津の国の渚で船出の準備をし、いよいよ出航する時に、母の顔を見たいことだ。

鑑賞

 下野国(栃木県)の防人の歌。作者は、4381が河内郡(こうちのこおり)の上丁の神麻続部島麻呂(かむおみべのしままろ)。「河内郡」は、宇都宮市、上三川町など栃木県中央部の地域。4382が那須郡(なすのこおり)の上丁、大伴部広成(おおともべのひろなり)。「那須郡」は、那須町、那珂川町、大田原市、那須塩原市、那須烏山市など、栃木県東北部の一帯。4383が塩屋郡(しおやのこおり)の上丁、丈部足人(はせつかべのたるひと)。「塩屋郡」は、塩谷町、高根沢町、矢板市などの地域。

 
4381の「国々の防人集ひ」は、東の諸国から集められた男たちが、難波という巨大な港で合流したことを指します。「船乗りて別るを見れば」は、難波に早く着いた遠江・相模・駿河などの国々の防人らが、検校を終えて順次出発して行くのを見送ったものとされます。「いともすべなし」は、何ともやるせない、言いようがない。自分の力ではどうにもできない運命に対する、深い無力感と悲嘆を表します。次々と船出していく仲間たちを見送る中で、自分自身の番が刻一刻と近づいている恐怖と寂しさが、「いともすべなし」という言葉に凝縮されています。

 
4382の「ふたほがみ」は語義未詳ながら、「かみ」を「守」として長官・首長とする説や、「ふたほ」の村の「上(長)」、二心ある人の意とする説などがあります。「悪しけ」は、アシキの訛り。「あたゆまひ」は、急病の意で、「ゆまひ」はヤマヒの訛りか。「差す」は、指名する。病気の身でありながら防人に指名されたことに強い不満を言っており、多くの防人歌が防人に任じられたことを運命的なものとして受け入れている中ではめずらしいとされます。しかし、本人は本気でも、聞く第三者が微苦笑するような歌であり、また、このような思い切った表現で怒りを公にすることが許されたこの時代の大らかさも感じられます。

 
4383の「津の国」は「摂津」の古称で、大阪府北部から兵庫県東部にまたがる地。「船装ひ」は、船の装具を整え、食料や水などの準備を完了すること。出航直前の慌ただしくも緊張した状態です。「立し出も」は「立ち出む」の訛り。今まさに出発しようとする瞬間を強調しています。「母(あも)」は、オモの訛り。「目もがも」の「もが」は願望で、直訳すれば「目があればなぁ」ですが、転じて、会いたい、一目見たいという切実な願いを表します。窪田空穂は「この歌はよく詠みこなしてあり、落ち着いた、しみじみした味わいを持ったものとなっている。歌に馴れていた防人と思える」と言っています。

 なお、4373からこの4383までの11首が下野国の防人の歌であり、この歌の後ろに「二月の十四日、下野国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)正六位上
田口朝臣大戸(たぐちのあそみおほへ)が進(たてまつ)る歌の数十八首。ただし拙劣(せつれつ)の歌は取り載せず」との記載があります。田口朝臣大戸は、天平宝字4年(760年)、従五位下。
 

防人の選抜

 防人の徴発は国司が行うこととされていましたが、実際には、郡司(在地の豪族から選抜された行政官)の監督のもとに、その下役である里長が行ったとみられています。里は50戸からなる最小行政単位であり、今日でいえば村にあたります。里長は、村長・警察署長・税務吏員を兼ねたほどの強力な存在でした。令には、父母が老齢や病気だったり、家にほかに正丁がいない場合は選抜対象から除外するといった基準はありましたが、里長の裁量一つで運用されたには違いありません。したがって、里長との関係如何では、うまく選抜を逃れることもできたでしょうし、「よりによって」選ばれてしまうこともあり得ました。その、よりによって防人に選ばれてしまった男の歌が、ここの4382番歌です。

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古典に親しむ

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