| 訓読 |
4384
暁(あかとき)のかはたれ時(どき)に島蔭(しまかぎ)を漕(こ)ぎ去(に)し船のたづき知らずも
4385
行(ゆ)こ先(さき)に波なとゑらひ後方(しるへ)には子をと妻をと置きてとも来(き)ぬ
4386
我が門(かづ)の五本柳(いつもとやなぎ)いつもいつも母(おも)が恋(こひ)すす業(な)りましつしも
| 意味 |
〈4384〉
明け方の薄明かりの中、島陰を漕いで隠れていった船が、今どうしているのか、知りようもない。
〈4385〉
船の行き先に波よ高くうねらないでおくれ。後ろには、子や妻を置いてきたのだから。
〈4386〉
我が家の門口に立つ五本(いつもと)柳、その名のように、いつの時も母は私のことを思いながら働いておられるだろう。
| 鑑賞 |
下総国(千葉県北部と茨城県南西部)の防人の歌。作者は、4384が助丁、海上郡(うなかみのこおり)の海上国造、他田日奉直得大理(おさだのひまつりのあたいとこたり)。「海上郡」は、銚子市、旭市の地。4385が葛飾郡(かつしかのこおり)の私部石島(きさきべのいわしま)。「葛飾郡」は、埼玉県、東京都、千葉県の県境付近の江戸川流域。4386が結城郡(ゆうきのこおり)の矢作部真長(やはぎべのまなが)。「結城郡」は、結城市と八千代町の地。下総国からの行程は、上り30日と定められていました。
4384の「暁」は、夜明け前のまだ薄暗い時分。「かはたれ時」の「かはたれ」は「彼は誰」で、薄暗くて人の顔がはっきり分からない時の意。本来「たそかれ(誰そ彼)」と「かはたれ(彼は誰)」は、夜明け前や日没後の薄明り頃合いを指して区別することなく用いられていたのが、後に「たそかれ」が日没後、「かはたれ」が夜明け前と区別されるようになったとされます。「たそかれ」は現在も「黄昏時(たそがれどき)」として使われていますが、「かはたれ」の方はすっかり死語になってしまったようです。「島蔭(しまかぎ)」の「かぎ」は、カゲの訛り。島の向こう側。「たづき知らずも」の「たづき」は、手段、手がかり、成り行きの意。手がかりが知られないなあで、頼りないことだなあの意。この歌は、同じ防人の仲間たちが、夜明けの薄暗い中を先発隊として漕ぎ出していく様子を、後発の仲間が見送っているという、兵士同士の連帯感と孤独が際立つ一首です。難波の津は、東国から歩いてきた防人たちが、いよいよ九州(筑紫)へ向けて海路へ出る最終拠点でした。大勢の防人が一度に一艘の船に乗ることはできず、数艘に分かれて順次出発します。夜明けの薄暗がりの海上で、先に島影へと消えていった仲間たちの船を見つめながら、「あいつらは今、波のどのあたりにいるのだろうか」と、自分たちの未来を投影するように案じています。
4385の「行こ先に」の「ゆこ」は、ユクの訛り。これから進んでいく前方(九州・筑紫方面)に。「波なとゑらひ」の「な」は、禁止、「とゑらひ」は、湾曲する、ふくらむ意。波よ高くうねらないでくれ。「後方(しるへ)」は、シリヘの訛りで、背後には、後ろの方には、の意。「子をと妻をと」は、子と妻とを。「置きてとも来ぬ」の「とも」は、語義未詳。強調や確定的なニュアンスを含む助詞的な用法か。
4386の「門(かづ)」は、カドの訛り。「五本柳」は、五本の柳。柳は根をよく張るので地崩れを防ぎ、用途も多いので多く植えられていたと見えます。上2句は「いつも」を導く同音反復式序詞。「恋すす」の「すす」は、ツツの訛り。「業り」は生業で、ここでは農事。「まし」は、敬語。「つしも」の「つし」は、ツツの訛りか。「も」は、詠嘆の助詞。自分がいなくなった後、一人で農事をしなくてはならない母を思いやっています。

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