| 訓読 |
4387
千葉(ちば)の野(ぬ)の児手柏(このてかしは)のほほまれどあやに愛(かな)しみ置きてたか来ぬ
4388
旅と云(へ)ど真旅(またび)になりぬ家の妹(も)が着せし衣(ころも)に垢(あか)付きにかり
4389
潮舟(しほふね)の舳(へ)越(こ)そ白波(しらなみ)にはしくも負ふせたまほか思はへなくに
4390
群玉(むらたま)の枢(くる)にくぎさし堅(かた)めとし妹(いも)が心は動(あよ)くなめかも
| 意味 |
〈4387〉
千葉の野の児手柏の若葉のように、まだ蕾のままだけど、やたらに可愛くてならないので、そのまま触れずにはるばるやって来た。
〈4388〉
一口に旅と言っても、本当の長旅になってしまった。家の妻が着せてくれた衣に、垢がついてしまったことだ。
〈4389〉
潮舟の舳先を越してくる白波のように、だしぬけに防人を仰せつかった。思ってもみなかったのに。
〈4390〉
扉の枢に釘を挿し込んで堅く戸締りをするように、堅い契りを交わした妻の心は動揺しているだろうか、いやそんなことはない。
| 鑑賞 |
下総国(千葉県北部と茨城県南西部)の防人の歌。作者は、4387が千葉郡(ちばのこおり)の大田部足人(おおたべのたるひと)、4388が占部虫麻呂(うらべのむしまろ)。「千葉郡」は、千葉市、習志野市、八千代市。4389が印波郡(いにわのこおり)の丈部直大麻呂(はせつかべのあたいおおまろ)。「印波郡」は、千葉県北部、印旛沼を中心とする地域。4390が猨島郡(さしまのこおり)の刑部志加麻呂(おさかべのしかまろ)。「猨島郡」は、坂東市、猿島郡、および古河市の一部。下総国からの行程は、上り30日と定められていました。
4387の「千葉」は、千葉市と習志野市の一帯。「児手柏」は、現在の何の木であるか不明ですが、その葉が子供の手を広げたような形をしている柏だろうとされます。上2句は「ほほまれど」を導く譬喩式序詞。「ほほまれど」は、フフメレドの訛り。つぼんで開かずにいる意で、年若い女の比喩。「たか来ぬ」は「高来ぬ(はるばる来た)」あるいは「誰が来ぬ(誰が来た)」と解する2説があります。上掲の訳は前者によっていますが、後者によると、自分が置いてきたのを、誰かと疑問の形であらわし、よくも置いてきたものだ、のような意味になります。いずれにせよ、妻問いをしたかしないかの初歩段階での、まだ一人前になりきらない相手へのこよなき愛を歌っています。
4388の「旅と云(へ)ど」は「旅と云(い)へど」の約。「真旅」の「真」は接頭語で、本格的な長旅、衣に垢が付くほどの長旅。「妹(も)」は「いも」の約。「着せし衣」は、妻が旅立つ夫のために丹精込めて作り、着せてくれた晴れ着、あるいは旅装。「垢付きにかり」の「かり」は、ケリの訛り。衣が垢づいたのを見て、妻と別れての旅の久しくなったことをしみじみ思った歌で、窪田空穂は、「類想の多い歌であるが、・・・婉曲な言い方をしているところにあわれさがある」と言っています。
4389の「潮舟」は、海上を漕ぐ舟。「舳越そ白波」は、舳先を越えてくる白波。「舳」は、船首。「越そ」は、コスの訛り。上2句は「にはしく」を導く譬喩式序詞。「にはしく」は、にわかに。「負ふせたまほか」は「負ほせ給ふか」の転。背負わせなさったのか(お命じになったのか)。「思はへなくに」は「思ひあへなくに」の約で、思いもしなかったのに。「あへ」は、~できる意の補助動詞。静かに海を進んでいた舟の舳先を、突然大きな白波が乗り越えてくる。この視覚的な衝撃を、平穏な農村生活に突如として下った徴兵令に重ねています。逃げようのない、逆らいようのない圧倒的な力(国家の命令)に飲み込まれる個人の無力感が、「白波」という一語に凝縮されています。
4390の「群玉の」の「群玉」は数多くの玉で、それらがくるくる回ることから「枢」にかかる枕詞。「枢」は「くるる」とも言い、開き戸を開閉させる装置のことで、木に穴を穿ち、それに軸となる木を挿し、その木を回転させて開閉するもの。「動くなめかも」の「動(あよ)く」は「揺れ動く」の東国方言。「なめかも」は「らめかも」の意で、反語、あるいは疑問か。疑問なら「動揺しているのかなあ」。妻の意志の固さを「釘を刺した枢」に例え、その操を信じながらも、あるべくもないことを妄想する自分を言い聞かせている歌です。

『万葉集』の写本について
『万葉集』の原本は現存しておらず、現代に伝わるのは平安時代以降に書写された写本によってです。これらの写本は、時代や地域によって内容や語句に違いが見られます。『万葉集』の写本は、大きく分けて以下の三系統に分類されます。
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