| 訓読 |
4433
朝(あさ)な朝(さ)な上がる雲雀(ひばり)になりてしか都に行きて早(はや)帰り来(こ)む
4434
雲雀(ひばり)上がる春へとさやになりぬれば都も見えず霞(かすみ)たなびく
4435
ふふめりし花の初めに来(こ)し我(わ)れや散りなむ後(のち)に都へ行かむ
4436
闇(やみ)の夜(よ)の行く先知らず行く我(わ)れをいつ来(き)まさむと問ひし子らはも
| 意味 |
〈4433〉
朝ごとに空高く上がる雲雀(ひばり)になりたいものだ。都に飛んで行ってすぐに帰って来るのに。
〈4434〉
雲雀が上がる春にはっきりとなってきたので、霞がたなびいて都の方が見えない。
〈4435〉
桜がまだつぼみだった頃にここ難波にやってきた私どもは、桜が散った後に都に帰ることになるのだろうか。
〈4436〉
闇夜を行くようにどこに行くのか分からない私なのに、いつお帰りになりますかと尋ねた、かわいい妻よ。
| 鑑賞 |
4433~4435は、天平勝宝7年(755年)3月3日(太陽暦の4月18日)、防人を点検する勅使と兵部の役人らが集って宴会をした時に作った歌。すでに東国の防人たちは、筑紫に向けて出航しており、1か月余りの難波での任務を終え、いわば慰労・打ち上げの宴だったようです。4433は、勅使の紫微大弼(しびのだいひつ)安倍沙美麻呂朝臣(あべのさみまろあそみ)の歌。「紫微大弼」は、天平勝宝元年(749年)に新設された行政機関「紫微中台」の次官。4434・4435は、大伴家持の歌。
4433の「朝な朝な(あさなさな)」は「あさなあさな」の約。「なりてしか」の「てしか」は願望の終助詞で、なりたいものだ。「早帰り来む」の「帰り来」は、都から現在いる難波の地に戻って来ること。家族のいる都の家が恋しくなり、検校事務が完了するまで滞在しなければならないのを嘆いています。4434の「雲雀上がる」は、勅使の歌の詞を捉えたもの。「春へ」は、春の頃。「さやに」は、はっきりと。4435の「ふふめりし」は、蕾んでいた。「花」は、桜を指します。「花の初めに来し我れや」は、花が咲き始めた頃に(故郷を出て)やってきた私は。「散りなむ後に」は、花が散ってしまった後になって。「都へ行かむ」は、都に帰ることになるのだろうか。
家持が兵部使少輔として難波に着任したのは2月の初めでした。難波で日を重ねているところから、都を恋しく思う気持ちをうたっています。雲雀は家郷への郷愁を誘う鳥であり、また託す鳥でもありました。家持が防人たちの歌から受けた衝撃が、どの程度の深さで彼の心に残ったのか、その後の彼の作には全く影が見えないため、推しはかるすべがありません。史学者の北山茂夫は、「兵部少輔家持は、ほぼ一か月の滞在中に、四首の長歌を作った。三首が防人たちを主題にした力作である。しかし、制作上の新しい波は、ついにそこからつづいて起こらなかった。これらの作品群が、内発的ではなかったからであろう」と述べています。
4436は、「昔年に交替した防人の歌1首」との題詞で、ぽつんと挿入されている歌。家持が、難波で誰かから聞いたものだったか。「闇の夜の」は、先の見えない闇夜のような、の意で「行く先知らず」の枕詞。「いつ来まさむと」は、いつ帰ってきてくださいますか、と。「問ひし子ら」の「ら」は、接尾語。「はも」は、強い詠嘆。生還の確信が持てない作者にとって、この問いは胸を刺す刃となります。答えられない問いを背負って歩き続ける苦しみが、「行く先知らず」という言葉に強く響いています。窪田空穂は、「防人が家を出て旅をしつつ、別れた際の妻を思い出しての憐れみである。『何時来まきむと』が中心で、防人はその妻の世間知らずの、さながら子供のようなのを、愛しあわれんだのである。防人が若いので、こうした妻もありうることである」と言っています。なお、巻第20の4321からこの歌までの116首が、防人の歌および防人に関連する歌となっています。

巻第20「防人歌」の構成
兵部少輔の大伴家持に上進された防人たちの歌は、全部で166首ありましたが、「拙劣歌は取り載せず」として82首が省かれました。巻第20の防人歌の構成と国別内訳は下記のとおりです。
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