第一次世界大戦での日本軍の活躍はあまり知られていませんが、大戦の後半の1917年2月に、日本はイギリスの要請を受け、地中海およびアフリカ水域などに巡洋艦・明石と駆逐艦8隻からなる第二特務艦隊を派遣しました。地中海のマルタ島に到着したのは4月13日、当時の日本海軍としては例のない遠洋航海でした。その目的は、ドイツ潜水艦Uボートによる無警告無差別の攻撃から連合国の輸送船を守るためでした。
同艦隊の、終戦までの約1年半にわたる活躍ぶりは大変目覚ましいものでした。たとえば、地中海のマルタ島近くで、イギリス輸送船カメロニアン号にドイツ潜水艦が魚雷を発射したとき、日本軍は発見が一瞬遅れたものの、駆逐艦がそこに果敢に突っ込み、自らが魚雷の犠牲となって輸送船を守りました。また同国輸送船トランシルバニア号が被爆したとき、日本の駆逐艦は敵と戦闘しながらの懸命な救助活動によって1,800人もの乗員を収容しました。戦闘中の救助活動は自らを危険にさらすことでしたから、決して容易ではなく、まさに奇跡のような行動でした。
イギリス国王ジョージ5世はこうした日本艦隊の功績をたたえ、司令官以下27人に勲章を授与しました。同国下院では日本の救助活動の成果が報告されたとき、歓呼と拍手に沸きかえったといいます。何と、日本語で「万歳三唱」も行われたそうです。
ドイツのUボートは、地中海の至るところに連合国の輸送船を待ち伏せて攻撃を繰り返したわけですが、日本艦隊の護衛による成果は大きく、結局わずか2隻の輸送船が撃沈されただけですみました。そのうちの1隻リーソーキャスル号にはイギリス陸軍部隊2,954人が乗船していましたが、101人の犠牲者こそ出したものの他はすべて救助しています。
記録によれば、日本艦隊が出動してから終戦に至るまでの間に、単独で護送した回数は350回、護衛した艦船は787隻、その乗員の数は75万人にも達し、まことに驚嘆すべき活躍ぶりでした。遠く地中海を舞台に活躍した日本海軍の勇姿は、「国際貢献」の先例としても再評価に値する史実です。なお、一連の活動による日本軍の戦死者は78名だったそうです。尊い英霊の御霊に、深く哀悼の祈りを捧げたく思います。
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