ポルトガルの宣教師・フランシスコ=ザビエルが、日本にやって来てキリスト教を伝えたのは1549年ですが、最初のうちは、彼の布教活動もなかなかうまくいかなかったといいます。以下は、布教を進めるザビエルと日本人の間で交わされた問答です。
日本人 「それほど有難い教えが、なぜ今まで日本に来なかったのか。その有難い教えを聞かなかった我々の祖先は、今、どこでどうしているのか?」
ザビエル 「洗礼を受けていない人は、みな地獄にいる」
日本人 「あなたの信じている神様とは、ずいぶん無能で無慈悲ではないか。全能の神というなら、我々のご先祖も救ってくれていいではないか」
困り果てたザビエルは、本国へ手紙を送りました。まず日本人の印象を「この国の人々は今まで発見された中で最高の国民であり、彼らより優れている人種は、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心が強く、何より名誉を重んじます」と評価したうえで、「よっぽど有能な宣教師でないと、日本での布教は苦労します」と書いたといいいます。
もっとも、はるばる地球の裏側からやって来た彼らが日本で意図していたのは、単にキリスト教を広めようとする生易しいものではありませんでした。当時のポルトガルは、アフリカ西海岸などを次々に攻略し、「喜望峰」と名付けたアフリカの最南端を越えてからは、そこから先のインドや東南アジアなどの土地をキリスト教化することを目指していました。彼らの特権はローマ教皇の勅書によって認められており、征服した土地を植民地支配し、宗教施設を建て、非キリスト教徒を永久に奴隷にできるというものでした。
一方、スペインもまた大西洋を横断して西周りにアジアに向かおうとし、コロンブスの船団がアメリカ大陸を発見します。ローマ教皇は、何と、地球を二分割して両国に支配を許す勅許を与えていたのです。そして、いち早く日本に到達したのが、ポルトガルのザビエルだったわけです。当時の日本人はその野望を知る由もありませんでしたが、後にそれに気づいた織田信長は、宣教師たちを保護してきたことを後悔し、「我一生の不覚なり」と漏らしたといわれます。
【PR】
【PR】
【PR】
→目次へ