本文へスキップ

【PR】

孔子さまの言葉~つづき

(孔子と弟子たちの問答など)

 ある人が言った。
「孔子の門人の雍(よう)は、人柄は立派だが口下手だ」
 それを聞いた孔子はこう答えた。
「口がうまいのがどれほどのことでしょう。そういう人間は口先で他人を貶めることがあり、必ず人から恨まれます。雍に仁があるかどうかは分かりませんが、しかし、口先上手というのは世の中でそれほど役には立たないと思います」

 子路(しろ)が孔子に尋ねた。
子路「先生がもし大軍を率いて指揮なさるとしたら、どのような人と一緒になさいますか?」
孔子「私は、虎に素手で立ち向かったり河を歩いて渡ったりして、死ぬのを恐れないような無鉄砲な男とは一緒にやらない。どうしてもというなら、事にあたって慎重で、よく計画を練ったうえで実行するような人物と組むね」

 子夏(しか)が「孝」の道について孔子に尋ねた。孔子は答えた。
「近ごろは、親に衣食の不自由をさせなければ、それが孝行だとされているようだが、それだけのことなら、犬や馬を飼う場合にもやることだ。もし敬うということがなかつたら、両者に何の区別があろう」

 ある人が孔子に尋ねた。
「先生は、なぜ政治にお携わりにならないのですか」
 孔子は答えた。
「書経に、孝についてこのように言っている。『親に孝行であり、兄弟に親密であり、それがおのずから政治に及んでいる』と。これで見ると、家庭生活を美しくするのもまた政治だ。しいて国政の衝にあたる必要もあるまい」

 孔子が子路に言った。
「仁を好んでも学問を好まなければ、その弊害はただのお人よしとして馬鹿にされる。知恵を好んでも学問を好まなければ、その弊害は知識の羅列となるばかりででたらめになる。信義を好んでも学問を好まなければ、その弊害は盲信的となり、互いに傷つけ合う」

 魯の家老・季文子(きぶんし)は、三度考えてからはじめて実行した。その話を聞いた孔子は、「二度考えたらそれでよろしい。考えすぎはよくない」と答えた。

 子路が孔子に尋ねた。
「善いことを聞いたら、すぐ実行にうつすべきでしょうか」
 孔子は答えた。
「父兄がおられるのに、お尋ねもせず一存で実行するのはよくない」
 冉有(ぜんゆう)が孔子に尋ねた。
「善いことを聞いたら、すぐ実行にうつすべきでしょうか」
 孔子は答えた。
「すぐに実行するがよい」
 後日、公西赤が孔子に尋ねた。
「先生は、善事を聞いたらすぐ実行すべきかどうかについて、由がお尋ねした時には、父兄がおられる、とお答えになり、求がお尋ねした時には、すぐ実行せよ、とお答えになりました。私には、どうも先生のお気持がわかりません。いったい、どちらが先生のご真意なのですか」
 孔子は答えた。
「求はとかく引込み思案だから、尻をたたいてやったし、由はとかく出過ぎるくせがあるから、おさえてやったのだ」

 孔子が言った。
「自らの徳を修めようとしない、学問を日々進めることがない、正しき義を前にして行動することができない、自らの不善を理解しながらも改めれない、これらが私の憂いである」

 孔子が、顔回(がんかい)と子路に問うた。
「それぞれお前たちの志望を話してみないか」
 まず、子路が答えた。
「私の車や馬や着物や毛皮の外套を友だちと一緒に使って、それらが傷んでもくよくよしないようにありたいものです」
 続いて顔淵が答えた。
「善いことを自慢せず、辛いことを人に及ぼさないようにありたいものです」
 そして、子路が「どうか先生のご志望をお聞かせください」と言ったので、孔子は、
「老人には安心されるように、友だちには信ぜられるように、そして若者には慕われるようになることだ」

 魯の大夫の李康子(きこうし)が、政治のことについて孔子に尋ねた。
「もし道に外れた者を殺して道を守る者をつくろうとするのは、如何でしょうか」
 孔子は答えて言った。
「あなた、政治をなさるのに、どうして殺す必要があるのです。あなたが善くなろうとされるなら、民も善くなります。君子の徳は風であり、民の徳は草です。草は風に当たれば必ずなびきます」

 魯国の君主である哀公(あいこう)が、孔子に尋ねた。
「どうすれば人民が私に服従するようになるだろうか」
 孔子は答えた。
「正しい人を引き立て、邪(よこし)まな人々の上に位置づければ、人民は服従します。しかし逆に、邪まな人間を重く用いて正しい人々の上に位置づけたら、人民は決して服従しません」

 君主である定公(ていこう)が、孔子に尋ねた。
「主君が臣下を使い、臣下が主君に仕えるにはどのようにしたらいいでしょう」
 孔子は答えた。
「主君が臣下を使うときは礼によるべきだと思います。また臣下が主君に仕えるには忠によるべきです」

 子遊(しゆう)が、武城の取り締まりに任命された。しばらくたって、孔子が子遊に尋ねた。
孔子「おまえは、誰か優秀な人材を得たか?」
子遊「澹台滅明(たんだいめつめい)という人物を得ました。彼は、歩くときも決して近道を行かず、公務でないかぎりは、決して取り締まりである私の役所にはやって来ません」

 孔子が言った。
「子路よ、おまえに本当の『知る』ということの意味を教えようか。おまえが知っていることは知っていると言い、知らないことは正直に知らないと言う。それが本当に『知る』ということなのだ」

 孔子が言った。
「顔回と一日じゅう話をしていても、彼はまったく素直で何も言わない。周りから見れば、顔回は愚鈍だと思えるかもしれない。だが、彼が私の前から退いて一人になったときの様子をよく見ていると、私が話したことにヒントを得て、自分なりに思い当たるふるまいをしている。顔回は決して愚かな男ではなく、大した人物である」

 孔子が言った。
「大して知りもしないのに適当に物ごとを書く人がいる。私はそうはしない。多くを聞いて善きことを選び規範とし、多くを読んで詳細を詳しく知る。その後に初めて物ごとを書くようにしている」

 曾子(そうし)が言った。
「私は、一日に三度、自らの言動を反省する。人の為にした行いが、自らの心からの行いであったか。友との付き合いに、誠の心で接したか。習ってもいないことを、知ったかぶりをして教えはしなかったか」

 子張(しちょう)が孔子に尋ねた。
子張「仁について教えてください」
孔子「天下に五つのことを行えれば仁者だね」
子張「五つのこととは何でしょう」
孔子「恭・寛・信・敏・恵の五つだ。恭(うやうやしい)であれば他人から馬鹿にされない。寛(おおらか)であれば人望を得られる。信(正直)であれば人から任せられる。敏(機敏)であれば功績が得られる。恵(恵み深い)であれば人をうまく使うことができる」

 子夏(しか)が言った。
「美人と接するかのように賢人に仕え、力を尽くして両親に仕える。君主に仕えては、その身を尽くし、友とは誠の心で接する。たとえ学問の道に入らずとも、これらを行えているのであれば、既に学んでいるのに等しい」

 子貢(しこう)が孔子に尋ねた。
子貢「友人との交わり方について教えてください」
孔子「忠告して善導してやることだ。しかし、聞いてもらえなければ、やめて様子を見る。自分から恥をかくことのないように」

 子張が孔子に尋ねた。
子張「善人のあり方について教えてください」
孔子「善人といわれた人の跡をついて行かなければ、その奥義には達しないよ」

 子貢が孔子に尋ねた。
子貢「仁を行うことについて教えてください」
孔子「大工がその仕事を上手にしようと思えば、必ず使う道具を磨いて鋭利にする。そのように自分の仁を磨く道具にあたるものが、師であり、友であるのだ」

 子貢が孔子に尋ねた。
子貢「君子でも人を憎むことがありますか」
孔子「憎むことはある。人の悪い点をあげつらうような者は憎む。部下でありながら上司を誹謗する者を憎む。勇ましいが礼儀が無い者を憎む。思い切りはよいが道理に通じない者を憎む」

 子貢が、孔子の人に接する態度を評して言った。
「先生は、穏やかで、素直で、うやうやしく、つつましやかで、ひかえめな態度を常とされた」

 子貢が孔子に尋ねた。
子貢「貧しくてもへつらうことがなく、豊かになってもおごることがないというのはいかがでしょうか」
孔子「良いと思う。しかし、貧しくても学問を好み、豊かでも礼を全うする人には及ばない」
子貢「詩経に、『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し』と書いているのは、まさにそのことを言っているのでしょうか」
孔子「子貢よ、それでこそ共に詩について語り合えるというものだ。お前は一を聞いて十を知る男だ」

【PR】

 陳子禽(ちんしきん)が、子貢に向かって言った。
陳子禽「あなたは謙遜に過ぎます。仲尼(孔子)がどうしてあなたより勝れていましょうか」
子貢「君子たる者は、ただ一言で知者と見られ、ただ一言で愚者とも見られるものであるから、言葉は慎重でなければならない」

 子貢が、孔子に君子のあり方について尋ねた。孔子が言った。
「まず言う前に行動して、行動した後で、はじめて口に出して言うことだ」

 孔子が言った。
「行動が言葉より過ぎると粗くなり、言葉が行動より過ぎると細かくなる。言葉と行動が同じになってこそ君子といえるのだ」

 孔子が言った。
「知識をいくら重ねても、それを好む者には敵わない。また、いくら好んでも、それを楽しむ者には敵わない」

 閔子騫(びんしけん)は子供のころ、継母と腹違いの弟2人からひどい扱いを受けていた。ある冬の日のこと、継母は自分の生んだ2人にだけ綿入れを着せた。それを見て怒った父親が継母を離縁しようとした。しかし子騫は、「母がいれば1人の子が凍えるだけですが、母が去れば3人の子が凍えます」と言ってとどめた。それを聞いた継母は感涙した。

 子貢が言った。
「君子の過ちは、日食や月食のようなものである。一時的に暗くはなるが、また元に戻る。過ちを犯したとき、人はみな驚きの気持ちで見る。しかし、その過ちを改めると、人はみな尊敬の念をもって仰ぎ見る」

 子夏が言った。
「小人が過ちを犯すと、必ず美辞麗句を連ねて飾り立て、ごまかそうとする」

 孔子が、3人の弟子と、人との接し方について議論した。
子路「私は、自分に親切にしてくれた人には親切に接しますが、自分に不親切な人には自分も不親切な態度で接します」
孔子「それは道徳礼儀の欠けた野蛮人の接し方だ」
子貢「私は、自分に親切に接してくれた人には親切に接しますが、自分に不親切な人には、善いことをするように導きます」
孔子「それは友だち同士で、あるべき接し方だ」
顔回「私は、自分の親切にしてくれた人には親切に接しますし、自分に不親切な人にも親切に接します。さらに、善いことをするように導きます」
孔子「それは家族の間にあるべき接し方だ。家族にとどまらず、すべての人に真心をもって親しむことができれば、それこそが人を助けることであり、真の親切だといえよう」

 孔子が子貢に尋ねた。
孔子「子貢よ、お前は私を博学多識な人間だと思っているか」
子貢「おっしゃるとおりです。違っていましょうか」
孔子「違ってる。私は、ただ一つのことを貫いているのだ」

 町の代官になった子夏が、政治について孔子に尋ねた。
孔子「早く成果をあげようと思うな。つまらぬ利益に目を奪われるな。早く成果をあげようとすると、本来の目的にたどり着くことができなくなる。つまらぬ利益に目を奪われると、大きなことが成し遂げられない」

 樊遅(はんち)が孔子に尋ねた。
樊遅「知について教えてください」
孔子「人を知ることだ。真っ直ぐで悪いことをしない人を用いて、曲がった悪いことをする者の上に置けば、曲がった人を正しくさせることができる」

 ある人から「孔子よりあなたの方が優れている」と言われた子貢が言った。
「屋敷の垣根にたとえてみましょう。私の垣根は肩の高さくらいですから、内部の様子のよいところを覗き見ることができます。しかし、先生の垣根は10メートルほどもありますから、外からは見えず、門から入って行かなければ、建物やその内の美しさを見ることができません。その門を入ることができる人は少ないので、あなたがおっしゃるのはもっともです」

 仲弓(ちゅうきゅう)が孔子に尋ねた。
仲弓「子桑伯子(しそうはくし)という政治家はどんな人物でしょうか」
孔子「あれは、細かいことにとらわれず、大まかでこせこせしない、よい人物だ」
仲弓「よいことですね。しかし、大まかな人柄で、大まかな政治を行うとなれば、大まか過ぎはしませんか」
孔子「お前の言うことはもっともだ」

 冉有(ぜんゆう)が孔子に言った。
冉有「先生の教えを学び、実践することを悦(よろこ)ばないのではありません。私の力が不足しているのです」
孔子「力の足りない者は途中でやめてしまうものだ。お前は力がありながら進んで求める心がないので、自分で自分の力に見切りをつけているにすぎない」

 斉の景公が子貢に「孔子は賢いのか」と尋ねた。子貢は即座に「賢いです」と答えた。景公が続けて「どのくらい賢いのか」と聞くと、子貢は「分かりません」と答えた。景公はいぶかしんで「孔子は賢いというのに、どのくらい賢いか分からないという、おかしいではないか」と言った。そこで子貢はこう言った。
「人は天高いこと知っていますが、どれくらい高いのかは分かりません。私は孔子が賢いことを知っていますが、どれくらい賢いのかは知らないのです」

【PR】

 子貢が孔子に尋ねた。
子貢「町内の人がみなそろって褒めるというのはどうでしょうか」
孔子「まだよいとは言えない」
子貢「町内の人がみなそろって悪(にく)むというのはどうでしょうか」
孔子「まだよいとは言えない。町内のよい人が褒め、悪い人が悪(にく)むのには及ばない」

 魯の哀公(あいこう)が有若(ゆうじゃく)に尋ねた。
哀公「飢饉のせいで今年は財政が不足するが、どうしたらよいか」
有若「なぜ税を十分の一になさらないのですか」
哀公「生産の十分の二を徴税しても足りないのに、どうして十分の一にできようか」
有若「人民が豊かになれば、君主だけが窮乏するはずはありません。人民が窮乏すれば君主だけが豊かになるはずもないのです」

 子夏が言った。
「君子には三つの変化がある。遠くから見るとおごそかで、近くで接するとおだやかで、その言葉を聞くと厳しい」

 子張が孔子に尋ねた。
子張「楚国の宰相を務めた子文という人は、三度その職を務めるも喜ぶようすもなく、先代から引き継いだ政を行い、次の代に伝えたとのことです。どうでしょうか」
孔子「忠である」

 子路が孔子に尋ねた。
子路「君子は勇気を尊ぶでしょうか」
孔子「君子が第一に尊ぶのは正義だ。上に立つ者に勇気があっても、正義がなければ秩序を乱すだけだ」

 子游(しゆう)が言った。
「主君への進言も、あまりくどすぎると馬鹿にされる。友への忠告も、あまりくどいと煙たがられる」

 孔子は言った。
「礼で定められた最低限の干し肉一束を持参した者であれば、私はどのような身分、性格の者でも教えないことはなかった」

 孔子は言った。
「学問に対して学ぼうとする情熱がない人、学問に行き止まった時に考え尽くして悩まない人、四隅の一隅を教えて残りの三隅を考えようとしない人には、私は二度も教える必要を感じない」

 孔子は言った。
「君子は、穏やかで心に余裕があるが、小人は、いつも慌しく何かを恐れている」

 孔子が子貢に尋ねた。
孔子「お前と顔回では、どちらがすぐれていると思うか」
子貢「私は顔回と肩を並べようなどと思ったことはございません。顔回は一を聞くと十を悟ります。私はせいぜい一を聞いて二を悟るだけです」

 孔子は言った。
「丁寧であっても礼節がなければ相手にされず徒労に終わる。慎み深くとも礼節がなければ臆病と思われる。勇気があっても礼節がなければ粗野と見なされる。率直であっても礼節がなければ冷徹ととられる」

 孔子は言った。
「私は、世に言うところの、病気でもないのに自分で灸をすえ、余計なことをして痛い目にあう者であった。駆け寄って虎の頭を撫で、虎のひげを編もうとし、すんでのところで噛みつかれるところであった」

 陳亢(ちんこう)が、孔子の息子の孔鯉(こうり)に尋ねた。
陳亢「あなたは、父上から何か変わったことを教えられましたか」
孔鯉「庭を通ったとき、父に『詩経を読んだか』と尋ねられました。『いいえ』と答えると、『詩経を学ばなければ、適切にものが言えない』と忠告されました。また別の日に庭にいたとき、『礼節を読んだか』と尋ねられました。『いいえ』と答えると、『礼節を学ばなければ自立できない』と言われました」

 孔子が言った。
孔子「私は、これからもう何も言わないでおこうと思う」
子貢「なぜですか。先生が何もおっしゃらなくなったら、私たち弟子は、何を受け継いでいけばよいのでしょう」
孔子「天を見てごらん。天は何か言っているだろうか。しかし四季はめぐっているし、万物は生じている。天は何か言っているかね」

【関連記事】
孔子の素顔
論語とフランス革命

孔子の弟子たち

【PR】

バナースペース

【PR】

孔子について

孔子
(紀元前552年または551年~紀元前471年)
 中国春秋時代に魯国の太夫の子として生まれた思想家・政治家・指導者。魯の大臣になり、のち諸国を巡歴、理想の道を説いた。再び魯に戻り、子弟の教育にあたりながら、経書を編集、仁を理想の徳として、実生活にも生かそうとした。漢以後もその教えは国教とされた。
 
『論語』について
 孔子の言行や弟子たちとの問答を、孔子の死後に弟子たちが編集したもの。20巻からなり、紀元前4世紀ごろまでに成立。朱子学における「四書」の一つに数えられ、おもに孔子の根本思想の「仁」の道が説かれ、古来儒教の聖典として尊重されている。その読者は知識人にとどまらず、一般の市民や農民の教科書としても用いられていた。

孔子のおもな弟子

顔回(がんかい)
原憲(げんけん)
高柴(こうさい)
公西赤(こうせいせき)
公冶長(こうやちょう)
宰我(さいが)
子夏(しか)
子貢(しこう)
子張(しちょう)
司馬牛(しばぎゅう)
子游(しゆう)
子路(しろ)
冉伯牛(ぜんはくぎゅう)
冉有(ぜんゆう)
曾子(そうし)
仲弓(ちゅうきゅう)
陳亢(ちんこう)
南容(なんよう)
樊遅(はんち)
閔子騫(びんしけん)
有若(ゆうじゃく)


(顔回)


(子貢)


(子夏)

孔子による語句

異端(いたん)
その世界や時代で、正統と考えられている信仰や思想からはずれているもの。

危言(きげん)
高尚な言葉を用いること。また、その言葉。「危」は、高い、きびしいの意。

狂狷(きょうけん)
いちずに理想に走り、自分の意思をまげないこと。

挙隅(きょぐう)
一隅を挙げて他の三隅を知らせること。一部を知らせて全体を理解させること。

近思(きんし)
自分の身近なところから考えていくこと。

敬遠(けいえん)
もとは、尊敬はするけれども、あまり近寄らない意。転じて、表面は敬っているような態度をして、近づくのを避ける意。

鶏黍(けいしょ)
心をこめて人をもてなすこと。鶏(ニワトリ)を殺して吸い物を作り、黍(キビ)を炊いてもてなした故事から。

圭復(けいふく)
南容が白圭の詩を何度も繰り返して読んだという故事から、人から来た手紙を繰り返して読むこと。

行蔵(こうぞう)
進んで世に出て手腕を振るうことと、隠れて世に出ないこと。出処と進退。

後彫(こうちょう)
松柏が普通の草木におくれて、しぼむこと。転じて、苦難に耐えて最後まで固く節操を守ること。

孝弟(こうてい)
父母に孝行で、兄によく従うこと。

賛仰(さんぎょう)
聖人や偉人の徳を仰ぎ尊ぶこと。「さんごう」とも。

三省(さんせい)
1日に何度も自分の言行をふりかえってみて、過失のないようにすること。

四科(しか)
孔子が重んじて教えた四つの科目。徳行・言語・政事・文学。

志学(しがく)
15歳のこと。「吾十有五にして学に志す」から。

時習(じしゅう)
学んだことを時々復習すること。「学びて時に之を習う」から。

耳順(じじゅん)
60歳のこと。「六十にして耳順う」から。

四勿(しぶつ)
孔子が顔回に与えた視・聴・言・動についての四つの戒め。礼にあらざることを見たり、聞いたり、言ったり、行ったりしてはいけないという戒め。

従心(じゅうしん)
70歳のこと。「七十にして心の欲する所に従えども矩をこえず」から。

如在(じょさい)
眼前に神・主君などがいるかのように、謹みかしこまること。

而立(じりつ)
30歳のこと。「三十にして立つ」から。

仁寿(じんじゅ)
人徳があって長命なこと。

足恭(すうきょう)
過度にうやうやしいこと。また、おもねること。しゅきょう。すきょう。

束脩(そくしゅう)
入門料、月謝、授業料。昔、入門のときに束にした脩(干し肉)を先生への贈り物にした。

生知(せいち)
生まれながらにして知ること。学ばないでも事の道理に通ずること。

知命(ちめい)
50歳のこと。「五十にして天命を知る」から。

庭訓(ていきん)
家庭教育。家庭での教訓。孔子が、庭を走る子を呼びとめて詩と礼を学ぶべきことを教えたという故事から。

南面(なんめん)
君主または天子の位。王者は南に向かい、臣下は北に向かって座る定めだった。

比周(ひしゅう)
私利によって一部の仲間とつきあうことと、正しい道にそって広く交わりをもつこと。

貧楽(ひんらく)
貧乏であるためにかえって気楽であること。

不惑(ふわく)
40歳のこと。「四十にして惑わず」から。

有隣(ゆうりん)
徳のある人の周囲には同類のものが自然に集まること。徳は孤ならず必ず隣あり。

立年(りゅうねん)
30歳。壮年。男盛り。「三十にして立つ」から。

【PR】

VAIO STORE