| 訓読 |
志賀(しか)の海女(あま)は藻(め)刈り塩焼き暇(いとま)無(な)み櫛笥(くしげ)の小櫛(をぐし)取りも見なくに
| 意味 |
志賀島の海女たちは、藻を刈ったり塩を焼いたりして暇がないので、櫛笥の小櫛を手に取って見ることもできずにいる。
| 鑑賞 |
石川君子(いしかわのきみこ)の歌。「志賀」は、福岡県の志賀島で、現在は陸続きになっています。「藻刈り塩焼き」は「藻を刈って塩を焼く」とも解することができますが、ここは「暇無み」の理由を言っているので、上掲のように解します。「暇無み」の「無み」は「無し」のミ語法で、暇が無いので。「髪梳」は難訓で、「ツゲ・カミケヅリ・クシゲ・クシラ」などの説があります。「クシゲ(櫛笥)」とすると、櫛を入れる箱のこと。「小櫛」の「小」は、接頭語。海人の女がその生業にあまりにも忙しく、女として大切な髪をいたわる暇もないことを嘆き憐れんでいます。『万葉集』で「海人」を詠んだ歌は66首あり、地名を冠して呼ばれることが多く、その大半は海人自身によるのではなく、都人が旅先で詠んだものとなっています。
作者の石川君子は、神亀年間(724~729年)に大宰府の少弐に任じられており、この歌は、実際に志賀島で働く海女たちを見て詠んだものとみられます。都から来た男の目には、力強く働く海女たちの姿がたいそう珍しく、また、ダイナミックに見えたのでしょう。また、「櫛笥」を思い出したのは、10年ばかりも前、彼が播磨守だったころに愛した娘子が、別れの時に詠んだ歌「君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず」(巻第9-1777)を思い起こしたのかもしれません。
志賀島は、博多湾の北部に位置し、現在は海の中道と砂州でつながる周囲8kmの小島で、天明4年(1784年)の「漢委奴国王」の金印出土で知られるように、大和朝廷が成立する以前から奴(な)国に属して大陸との交渉をもっていました。古代には、北九州海域にわたる海人族の根拠地であり、大宰府の官人や遣新羅使らの往還で、志賀の海人(あま)は都にまでも広く知られていたようです。『万葉集』中、「志賀」の名が出る18の歌のうち、「志賀のあま」は10を数えます。

官人の位階
親王
一品~四品
諸王
一位~五位(このうち一位~三位は正・従位、四~五位は正・従一に各上・下階。合計十四階)
諸臣
一位~初位(このうち一位~三位は正・従の計六階。四位~八位は正・従に各上・下があり計二十階。初位は大初位・少初位に各上・下の計四階)
これらのうち、五位以上が貴族とされた。また官人は最下位の初位から何らかの免税が認められ、三位以上では親子3代にわたって全ての租税が免除されました。
さらに父祖の官位によって子・孫の最初の官位が決まる蔭位制度があり、たとえば一位の者の嫡出子は従五位下、庶出子および孫は正六位に最初から任命されました。
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