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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-306

訓読

306
伊勢の海の沖つ白波(しらなみ)花にもが包みて妹(いも)が家(いへ)づとにせむ

意味

〈306〉
 伊勢の海の沖の白波が花であったらよいのに。包んで妻へのおみやげにしよう。

鑑賞

 伊勢国に行幸された時に、安貴王(あきのおおきみ)が作った歌。安貴王は志貴皇子の孫で、春日王の子。養老2年(718年)2月、元正天皇の美濃行幸に随行した時の作とされます。「沖つ白波」は、沖の白波。「つ」は、上代のみに用いられた古い連体格助詞。「花にもが」の「もが」は、願望。花であってほしい。「家づと」は、家へのみやげもの。「つと」は、決まって物に包むことからの称でるため、「つつむ」と「つと」は相互に繋がる意味を持ち、音韻の上でも対応しています。都人にとって、伊勢の海の荒い波は驚異的だったとみえ、また、白波に花を感じているのは、都人ならではの優美な心といえます。

 安貴王が従駕した行幸が、養老2年(718年)であるということは、安貴王は、まだ若い10代であり、みやげを持って帰りたいという妻とは、
紀女郎(きのいらつめ)だったことになります。歌からは、このころの王と女郎の結婚生活は甘美であったことが窺えます。この数年後に、王が紀女郎を裏切り、因幡の八上采女(やかみのうねめ)を娶って不敬の罪に問われるわけですが、その折の歌が、巻第4(534・535)に載っています。
 


万葉集ゆかりの地(三重県)

  • あみの浦
    「あみの浦に舟乗りすらむ娘子らが玉裳の裾に潮満つらむか」(巻第1-40)
    所在未詳で、鳥羽市小浜町のアミの浜かと言われます。アゴノウラの誤写説も。
  • いざみの山
    「我妹子をいざみの山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも」(巻第1-44)
    三重県飯波郡と奈良県吉野郡との境にある高見山(1249m)といわれています。
  • 伊勢神宮
    「わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし」(巻第2-105)
    「二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ」(巻第2-106)
    歌は、14歳で伊勢斎宮として神宮に奉仕する身となった大伯皇女が詠んだものです。
  • 手節(たふし)の崎
    「釧つく手節の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ」(巻第1-41)
    鳥羽港から北東の海上にある答志(とうし)島のどこかの岬とされます。
  • 名張の山
    「わが背子はいづく行くらむ奥つもの名張の山を今日か越ゆらむ」(巻第1-43)
    名張市のあたりの山。大和と伊勢の境をなす名張市西方の山々か。
  • 波多の横山
    「河上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて」(巻第1-22)
    一志郡一志町一帯、雲出川とその支流波瀬川沿岸の地。波多神社があります。
  • まとかた
    「大丈夫のさつ矢手挟み立ち向かひ射る円形は見るにさやけし」(巻第1-61)
    松坂市の東部、東黒部町一帯の地。

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つつむ(包む)・つつみ(堤・障)

 ある物を別の物で隙間なく覆いくるみ、外部との接触を遮断する意。そこから、心のありさまを表沙汰にしないこと、例えば、恋や涙などを隠す、遠慮する、などの意味が派生したと考えられる。ツツムのツツは、包んだ物、すなわち土産、贈り物を意味する「つと」と同根とされる。

 ツツムが包含する意味は、現在の一般表記では「包」「慎」となる。外部との遮断に意が強くなると「障」となり、水の流れを堰き止める意味で限定すると「堤」となる。災厄などが生じて謹慎することを「障(つつ)む」という。その名詞形が「障み」。下に否定を表す「なし」を伴った「障むことなく」「障みなく」などの形を取り、支障なくという意で歌われることが多い。特に、危険を伴う船旅を詠じた歌で、「障みなく」早く帰って来ることを望むのが、『万葉集』の定型表現であった。

~『万葉語誌』から引用

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。