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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-390・391・393

訓読

390
軽(かる)の池の浦廻(うらみ)行き廻(み)る鴨(かも)すらに玉藻(たまも)の上に独(ひと)り寝なくに
391
鳥総(とぶさ)立て足柄山(あしがらやま)に船木(ふなぎ)伐(き)り木に伐り行きつあたら船木を
393
見えずとも誰(た)れ恋ひざらめ山の端(は)にいさよふ月を外(よそ)に見てしか

意味

〈390〉
 軽の池の岸の周辺を泳ぎ回る鴨たちでさえ、玉藻の上に一人で寝ることはないというのに。
〈391〉
 鳥総が立てて足柄山で船木を伐ったのに、ただの材木として伐って行ってしまった。惜しむべき船木だったのに。
〈393〉
 たとえ見えなかろうとも、誰が心惹かれずにおられよう。山の端にいざよう月を、遠目ながらにも見たいものだ。

鑑賞

 390は、紀皇女(きのひめみこ)の歌。紀皇女は、天武天皇の皇女ながら伝記はなく、母方は蘇我氏だったこと、同母兄妹に穂積皇子・田形皇女がいることくらいしか分かっていません。この歌は、『万葉集』の部立の一つである「譬喩歌(ひゆか)」として奈良朝の歌25首が載せられている中の先頭に配置されていることから、編集者によって秀歌と認められた歌のようです。譬喩歌は、表現方法からの分類で、「雑歌」「相聞」「挽歌」の部立より新しい意識に基づいており、人間の心情を表に出さず、隠喩(いんゆ)的に詠んだ歌です。その殆どが恋の歌になっています。

 「軽の池」は、奈良県橿原市大軽町付近にあった灌漑用の池とされ、今は所在不明。「軽」は蘇我氏の地であり、古くから交通の要として賑わっていたと伝えられます。「浦廻」は水際の入り込んだ辺り、「玉藻」の「玉」は美称です。藻を自分の黒髪に喩え、「鴨でさえ、私が黒髪を敷いて寝るように、一人で寝たりはしないのに」と、孤独で寂しい心情を詠っています。「寝なくに」のように「なくに」が歌末にあるときは、①詠嘆のみの、~ないことだ、②逆接の意の、~ないのに、③逆接の詠嘆の、~ないのになあ、の3つの解釈があり、内容によって判断しますが、ここは③。皇女が誰に贈った歌かは不明ですが、
斎藤茂吉は、巻第12-3098に関する言い伝えから、恋人の高安王(たかやすのおおきみ)が伊予に左遷された時の歌ではないかと考えている、と言っています。

 
紀皇女の歌は、集中この1首のみですが、巻第2に、異母兄の弓削皇子が紀皇女に贈った歌4首が載せられており(119~122)、ほかにも皇女をめぐる歌が3首あります。また、皇女の同母兄の穂積皇子の寵を得たのが大伴坂上郎女であり、その甥が大伴家持ですから、大伴家にとって、皇女は縁浅からぬ人だったといえます。もし巻第3の編集者が家持だったとすれば、この歌が巻頭に置かれたことと何らかの関係があるのかもしれません。

 391・393は、
沙弥満誓(さみまんぜい)の歌。391の「鳥総」は、梢の枝葉がついた部分のこと。大木には木霊(こだま)が宿ると信じられていたため、その伐採後、精霊に感謝するために常緑樹の木の枝を立てていました。これが「鳥総立て」、後世「株祭」と呼ばれる儀式です。「足柄山」は、船材に適した巨木の産地だった箱根・足柄の山々。『相模国風土記』逸文に「足軽山(足柄山)は、この山の杉を伐って舟を作ると、足の軽さ(船足の速さ)が、他の木で作った舟と全然違う。だから足軽(あしから)の山と名付けられた」と記されています。「船木」は、船材。「木に伐り行きつ」の「つ」は、行為の完了を表す助動詞で、ただの材木として伐って行ってしまったの意。「あたら」は、惜しむべきの意。「船木」を、評判の美女に譬え、ただの材木として伐られてしまった、すなはち、ただの人妻になってしまったと嘆いています。

 
393は「月の歌」。「見えずとも」は、たとえ見えなかろうとも。「誰れ恋ひざらめ」は、「誰れ」の疑問詞を受けて「め」と已然形で結び、反語にしたもの。誰が恋いずにいようか、皆恋っているの意。「山の端」は、山の稜線。「いさよふ」は、ためらう、ぐずぐずするの意。「見てしか」の「てしか」は、願望の終助詞。歌全体が譬喩になっており、出ようか出まいかとためらっているように見える十六夜の月を、噂にだけ聞いてなかなか見ることのできない深窓の女性に譬えています。なお、この歌の題詞にある作者名は、沙弥満誓ではなく「満誓沙弥」となっており、親愛を表すものとされます。

 
沙弥満誓(生没年未詳)は笠氏の出身で、俗名は麻呂。和銅年間に美濃守として活躍、その政績を賞せられ、また木曽道を開き、養老年間には按察使(あぜち)として尾張・三河・信濃3国を管するなどして順調に昇進を重ねました。その後、元明上皇の病に際して出家入道を請い許され、以後は満誓と号しました。「沙弥」は、剃髪していても妻子のある在家の僧をいいます。養老7年(723年)に造筑紫観世音寺別当として大宰府に下向、神亀4年(727年)の末頃に大伴旅人が太宰帥として赴任してくると、山上憶良らとともにいわゆる「筑紫歌壇」の一員となりました。『万葉集』には、筑紫で詠じた7首の短歌を残しています。
 


『万葉集』に詠まれた鳥

1位 霍公鳥(ほととぎす) 153首
2位 雁(かり) 66首
3位 鶯(うぐいす) 51首
4位 鶴(つる:歌語としては「たづ」) 45首
5位 鴨(かも) 29首
6位 千鳥(ちどり) 22首
7位 鶏(にわとり)・庭つ鳥 16首
8位 鵜(う) 12首 

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