本文へスキップ

巻第4(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第4-627~630

訓読

627
我(わ)が手本(たもと)まかむと思はむ大夫(ますらを)は変若水(をちみづ)求め白髪(しらか)生(お)ひにたり
628
白髪(しらか)生(お)ふることは思はず変若水(をちみづ)はかにもかくにも求めて行かむ
629
何(なに)すとか使(つか)ひの来(き)つる君をこそかにもかくにも待ちかてにすれ
630
初花(はつはな)の散るべきものを人言(ひとごと)の繁きによりてよどむころかも

意味

〈627〉
 私の袖を枕にしたいと思う殿方は、若返りの水を探しに行きなさい。頭に白髪が生えているじゃありませんか。
〈628〉
 白髪が生えていることは何とも思いません。いずれにしても、若返りの水は何としてでも探しにいくことにしましょう。
〈629〉
 どうして使いなどが来たのか。あなたのほうこそ、何をさて置いても待ちかねているのに。
〈630〉
 初花が散っていくように、わが思う女は他人のものとなってゆくのを、人の噂の多いために、躊躇して交渉せずにいるこの頃であるよ。

鑑賞

 佐伯宿禰赤麻呂(さえきのすくねあかまろ:伝未詳)という男性が、若い娘に恋をしました。627は赤麻呂から求婚された娘が返事した歌です。「我が手本まかむと思はむ」の「まく」は、枕にして寝る意。赤麻呂の贈歌は残されていませんが、「愛しい君の袖を枕にして寝たい」といったような図々しい感じの歌だったのでしょうか。「大夫」は、赤麻呂を尊んで言ったものであると同時に、初老の男への皮肉の表現。「変若水」は、日本神話の月の神・月読(つくよみ)が持っているという若返りの霊水のこと。ただ、記紀の神話の中に出てくることはなく、もっぱら『万葉集』において語られます。おそらく民間伝承によって生まれた霊薬なのでしょう。「求め」は、命令形。「白髪生ひにたり」の「に」は完了で、白髪が生えてしまっている。この時の赤麻呂は白髪混じりの初老だったようで(といっても40~50歳)、娘子は赤麻呂に対し、敢えて「大夫」と呼びかけながらも、要は「出直してこい!」と一喝しています。その鼻っ柱の強さから、巻第3(404~406)の贈答歌での娘子と同一人だろうとされます。

 
628は、娘からの返事に対し、さらに赤麻呂が答えて詠んだ歌です。「白髪生ふることは思はず」は、白髪が生えていることは大したことだとは思わない。「変若水は」は、変若水だけは、の意。「かにもかくにも」は、とにもかくにも、何としてでも。「求めて行かむ」は、探しに行こう。赤麻呂は、娘からの一喝をものともせず(あるいは空気が読めず)、極めて前向きな態度を示しています。まさにオヤジの真骨頂、「その意気やよし」と言いたいところですが、この歌を受け取った娘のうんざりした顔が目に浮かぶようです。『ざんねんな万葉集』(岡本莉奈著/飛鳥新社)によれば、「めげない強さは前向きでステキなことだと思いますが、恋愛に関しては、相手が嫌がっているならサッと潔く引くのが、大人の男(女)ではないでしょうか。赤麻呂みたいになると、ただの面倒なやっかいな人と思われるはずなので気を付けましょう」ですって。

 
629は、大伴四綱(おおとものよつな)の宴席の歌。四綱は、天平初年頃、防人司佑として大宰府に仕え、大伴旅人の配下にあった人。同17年(745年)雅楽助(ががくのすけ)となり、正六位上を授かりました。巻第3に2首、巻第4に2首、巻第8に1首入集しています。

 「何すとか」は、どうして。「使ひ」は、伝言を伝える使者。「かにもかくにも」は、とにもかくにも、ああだのこうだの。ここは、何をさて置いても。「待ちかてにすれ」の「かてにす」は、~しがたく思うの意で、待ちきれずに、待ちかねているのに。この歌は、女性の立場で宴会の座興に歌ったものとされ、国文学者の
窪田空穂は次のように言っています。「宴席に来るはずの人で、その遅いのを待ちかねていた時、その人よりの使の来たのを見た瞬間の心持である。使は、都合で来られない断わりをいいに来たとみえ、四綱はむろんそれを聞いたのであるが、わざとそれには触れず、使を見た瞬間の心持だけをいい、強いても来よと促したもので、その使に持ち帰らせた形の歌である。その場合柄として、要を得た、また機知の働いた歌である。この風は、歌垣の場合にも、また平時でも、歌をもって問答する場合には行なわれてきたもので、歌のもつ一面として重んじられ喜ばれていたものである。実際に即して、複雑した、微細な気分を、安らかにあらわし得ている歌である」。

 
630は「佐伯宿禰赤麿の歌一首」とある歌。「初花」は、その季節に最初に咲く花。「の」は、~のように。「散るべきものを」の「ものを」は逆接の確定条件で、今にも散りそうなのに。心を寄せる女が他の男のものになりそうになっていることを譬えています。「人言」は、人の噂。「繁きによりて」は、多いために。「よどむころかも」の「よどむ」は、ためらう、躊躇する。「かも」は、詠嘆。
 


『万葉集』に登場する「若変水」について

 「若変水(をちみず)」は、飲むと若返ると信じられていた霊水・神水のことです。「をち(若変)」は「若返る」「元に戻る」を意味する動詞「をつ」の連用形です。 『万葉集』において「変若水」という具体的な語形や、若返りの水という思想・モチーフが明確に詠み込まれている代表的な歌には、以下のような作品があります。

  • 我が手本まかむと思はむ大夫は変若水求め白髪生ひにけり(巻第4-627)
    ・・・私の袖を枕にしたいと思う殿方は、若返りの水を探しに行きなさい。頭に白髪が生えているじゃありませんか。
  • いにしへゆ人の言ひ来る老人の変若つといふ水ぞ名に負ふ瀧の瀬(巻第6-1034)
    ・・・これが古来言い伝えてきた、老人を若返らせるという水だ。いかにもその名にふさわしい滝の流れよ。
  • 天橋も長くもがも高山も高くもがも月読の持てる変若水い取り来て君に奉りて変若得てしかも(巻第13-3245)
    ・・・天へと通じる天橋よ、もっと長くなっておくれ。高山よ、もっと高くなっておくれ。そうしたら、お月様に行って、若返りの水をいただいてきて、貴方に捧げて、若返っていただくのに。

 古代人は、満ち欠けを繰り返して永遠に蘇る月(月読尊)に「若返りの力」があると考え、月の神が不老不死の霊薬である「変若水」を管理していると信じていました。この信仰は沖縄の「シディガフー(若水)」などの民間伝承とも深く関わっています。また、中国から渡来した不老長寿の神仙思想や道教的観念が、日本固有の水神信仰や不老水伝説と融合して万葉歌人の着想源になったとされます。なお、後世(中世以降)に正月の初清めに汲む「若水(わかみず)」の行事・概念へと繋がっていく元流としても見なされています。

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。