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巻第4(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第4-650・690

訓読

650
我妹子(わぎもこ)は常世(とこよ)の国に住みけらし昔見しより若変(をち)ましにけり
690
照る月を闇(やみ)に見なして泣く涙(なみだ)衣(ころも)濡らしつ干(ほ)す人なしに

意味

〈650〉
 あなたは不老不死の地に住んでおられたに違いない。昔お目にかかった時よりずっと若くなっていらっしゃる。
〈690〉
 月は照っているのに、闇夜と見誤るほどに泣く涙で着物を濡らしてしまった。それを乾かしてくれる人もいないのに。

鑑賞

 大伴三依(おおとものみより)の歌2首。大伴三依は、壬申の乱の功臣・大伴御行(おおとものみゆき)の子。大伴旅人と同じ時期に筑紫に赴任したらしく、650は、後に都に転任した作者が、旧知の坂上郎女に挨拶に出かけた時の歌とされます。「常世の国」は、不老不死の理想郷。「住みけらし」は、住んでいたに違いない。「若変」は、若返ること。集中に例の多い語であり、当時は、常世の国の草を食すと若返り、また月には飲むと若返る水があるなどという信仰がありました。「まし」は、敬語の助動詞。「増し」の意と捉えることも可能。「けり」は、気づきの詠嘆の助動詞。郎女に対するずいぶん大げさで明るい誉め言葉になっていますが、明らかにお世辞です。

 
690は「悲別の歌」、つまり別れ別れでいることを悲しむ歌。「照る月を闇に見なして」は、空には明るい月が出ているのに闇夜と見違えるくらいに、の意で、下の「涙」の多い状態を形容しています。「衣濡らしつ」の「つ」は完了の助動詞。ぐっしょりと濡れてしまった状態を指します。「干す人なしに」の「に」は、詠嘆。万葉時代の歌において、衣が濡れる理由は雨・露・波、および涙です。そして濡れた衣を干す相手がいないということは、単に服が乾かないという物理的な話ではなく、孤独な夜を一人で過ごしているという寂しさの比喩です。妻と別れて遠い旅にあって詠んだ歌でしょうか、ずいぶん誇張しており、自分の悲嘆の情が相手に伝わらないのを悲しんでいます。

 なお、
大伴三依は『万葉集』に短歌5首。天平元年(729年)頃、賀茂女王から別れを悲しむ歌を贈られています(巻第5-556)。天平20年(748年)、従五位下。主税頭・三河守・仁部(民部)少輔・遠江守・義部(刑部)大輔を歴任し、天平神護元年(765年)、正五位上。同2年に出雲守。宝亀元年(770年)10月に従四位下に上りましたが、同4年5月に卒去。
 


常世の国

 古代人が、海の彼方のきわめて遠い所にあると考えていた想像上の国。記紀や風土記の神話伝説にも見え、その殆どは不老不死という特色を有しています。その思想の一部は日本固有の思想に由来するものの、『日本書紀』雄略紀 22年では「蓬莱山」を「とこよのくに」と読ませており、より多くは神仙思想の影響を受けて形成された概念と考えられています。また、常世の国と現世との間には往来の道が開けていると信じていたらしく、垂仁天皇は、田道間守 (たじまもり) に命じて常世国につかわし非時香菓 (ときじくのかくのこのみ:橘のこと) を求めました。さらに、常世国は、死後の世界すなわち黄泉国 (よみのくに) のこととも解されました。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。