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巻第4(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第4-707~709

訓読

707
思ひ遣(や)るすべの知らねば片垸(かたもひ)の底にぞ我(あ)れは恋ひ成りにける
708
またも逢はむよしもあらぬか白栲(しろたへ)の我(あ)が衣手(ころもで)に斎(いは)ひ留(とど)めむ
709
夕闇(ゆふやみ)は道たづたづし月待ちて行(い)ませ我(わ)が背子(せこ)その間(ま)にも見む

意味

〈707〉
 思いを晴らす手だてが分からないまま、片垸(かたもい)の器の底に沈んで、片思いをするようになりました。
〈708〉
 再びお逢いする機会がないものでしょうか。今度こそ真っ白な着物の袖の中に、あなたを大切につなぎとめておきましょう。
〈709〉
 夕闇の道はお足元がおぼつかなくて危ううございます。どうか月が出るのを待ってからお帰りくださいな。その(月を待つ)わずかな間だけでも、あなたの姿を見ていたいのです。

鑑賞

 707・708は、粟田女娘子(あはためのをとめ:伝未詳)が大伴家持に贈った歌。707の「思ひ遣るすべの知らねば」は、思いを晴らす手立てを知らないので。「垸」は、土で作った茶碗、「片垸」というのは、蓋のない、あるいは片口のある茶碗のことで、「片思い」を掛けています。注記に「片垸の中に注す」とあり、片垸の底にこの歌を書いて贈ったもののようです。おそらく自分で土をこねて作ったものと思われ、楽焼のように不格好だったかもしれませんが、とても愛嬌のある贈り物です。「底にぞ我れは恋ひ成りにける」は、器の底に水が溜まるように、心の底深くまで恋の感情が沈殿し、逃げ場を失っている状態を指します。「ける」は「ぞ」の係り結びで、連体形。

 
708の「またも逢はむよしもあらぬか」の「も~ぬか」は願望で、もう一度逢える機会はないだろうか。「白栲の」は「衣」の枕詞。「衣手」は、袖。「斎ひ留めむ」は、神聖なものとして大切につなぎとめたい。枕詞「白栲の」がもたらす純白のイメージが、内に秘めた情念の激しさをより一層際立たせています。清らかな白い袖と、そこに閉じ込めようとする思いの対比が、粟田女娘子の歌に気品と凄みの両方を与えています。ただ、恋の心深い訴えでありながら、自身の嘆きにとどまり、あと一歩の積極性が窺えないのは、あるいは家持との身分の隔たりがあったためでしょうか。窪田空穂は、娘子について、「自意識をもった、つつましい人柄であることを思わせる」と言っています。

 
709は、豊前国の娘子、大宅女(おほやけめ)の歌。「大宅」は字(あざな)で、姓氏は未詳。遊行女婦だったと推測されています。昼に通ってきて、夕方に帰ろうとする男に、名残を惜しんでの歌です。「夕闇」は、毎月後半、日没から月の出までしばらく暗闇となる間。「たづたづし」は、はっきりしない、おぼつかない。「行ませ」は「行く」の命令形の尊敬語。「その間にも見む」の「その間」とは、月が出るまでの待機時間のこと。この「見む」は単に視界に入れるだけでなく、愛しい人をじっと見つめていたい、心に刻みたい、という強い意志を表しています。当時の夜道は文字通りの漆黒です。「暗くて危ないから」という相手への気遣いを口実に、本音である「もっと一緒にいたい」という執着を優雅に表現している歌です。

 
斎藤茂吉は、この歌を秀歌に挙げ、次のように言っています。「『その間にも見む』は、甘くて女らしい句である。此頃になると、感情のあらわし方も細(こまか)く、姿態(しな)も濃(こま)やかになっていたものであろう。良寛の歌に『月読の光を待ちて帰りませ山路は栗のいがの多きに』とあるのは、此辺の歌の影響だが、良寛は主に略解(りゃくげ)で万葉を勉強し、むずかしくない、楽なものから入っていたものと見える」。窪田空穂も、「豊前国の身分のない女の歌であるが、魅力のあるところから京に伝わるに至ったものとみえる」と言っています。なお、同じ作者の歌が、巻第6-984にあります。
 


いはふ(斎ふ)

 イハフは、願いの実現を意図して行う呪的行為(呪術、おまじない)をいう。ただし他に危害を与えるなど、好ましくない願いは見られない。語源的には、神聖・禁忌を意味する接頭語イにハフが付いたものと考えられる。

 同じくイに関わる動詞にイム(忌む)があるが、イハフが願いの実現を意図して何かを行うのに対して、イムは逆に凶事を恐れて何かを行わないことを意味する点が異なる。イハフが主として積極的行動であるのに対し、禁忌を侵さず、穢れを避け、身を慎むことをいう。

 ただし、次の歌を見ると、イムとイハフが重なり合う語であることもわかる。「櫛も見じ屋内も掃かじ草枕旅行く君を斎ふと思ひて」(巻第19-4263)。妻の立場から入唐使へ贈った壮行歌で、「櫛を見ることもしない、家の中も掃かない、旅行くあなたを『いはふ』と思って」くらいの意である。この歌では髪を梳かさない、家の中を掃かないことが旅人の無事をイハフこととされている。旅立ちの状態をそのまま保つことで旅人の無事の帰還を願うのだが、それが状態を変えることを禁忌とする意識と裏腹である点が注目される。また、神社などの神聖・清浄を保つことをイハフと言った例もみられる。 

~『万葉語誌』から抜粋引用

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斎藤茂吉による「万葉秀歌」

 斎藤茂吉の『万葉秀歌』は、大正から昭和にかけての短歌界に君臨した彼が、生涯を通じて傾倒した『万葉集』から258首(上巻140首、下巻118首)の短歌を厳選し、一首ずつ深い鑑賞と詳細な注解を施した近代短歌史・万葉研究史における不朽の名著です。岩波新書(上・下)として1938年(昭和13年)に刊行され、今なお万葉集の入門書であり最高峰の副読本として読み継がれています。

 茂吉の万葉鑑賞は、単なる文献学的な語釈にとどまるのではなく、自身が実作者(歌人)であるからこその「調べ(韻律)」と「写生(実相観入)」の重視が貫かれています。茂吉は万葉の言葉を、文字としてではなく「声」や「響き」として捉えました。言葉が発せられた瞬間の生々しい感情の揺らぎや、大地を震わせるような調べを熱っぽく語ります。本書のなかでも、特に柿本人麻呂の歌に対する賛辞は圧倒的です。人麻呂を「歌聖」として仰ぎ、その重厚な五七調の韻律や、自然と人間が一体となった表現を絶賛しています。

 また、「この歌のここが良い」と指摘する際、技術的な解説だけでなく、「作者の胸中はどうであったか」という作歌心理に深く踏み込んでおり、まるで時空を超えて万葉歌人と対話しているかのような熱量があります。茂吉にとって『万葉集』は、過去の古典ではなく「現代を生きる私たちが、魂を奮い立たせるための教科書」でした。『万葉秀歌』は、洗練されすぎて痩せてしまった日本の詩歌の言葉に、もう一度「血」を通わせようとした茂吉の情熱の結晶と言えます。
 
万葉秀歌(上巻) (岩波新書)
万葉秀歌(下巻)(岩波新書)

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。