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巻第6(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第6-910~912

訓読

910
神柄(かむから)か見が欲しからむみ吉野の滝の河内(かふち)は見れど飽かぬかも
911
み吉野の秋津(あきづ)の川の万代(よろづよ)に絶ゆることなくまたかへり見む
912
泊瀬女(はつせめ)の造る木綿花(ゆふばな)み吉野の滝の水沫(みなわ)に咲きにけらずや

意味

〈910〉
 この地の神様のゆえか、見たいと思う美しい吉野の激流は飽きることがない。
〈911〉
 美しい吉野の秋津川を、これからずっと絶えることなくまたやって来て眺めたい。
〈912〉
 泊瀬女(はつせめ)の造った木綿花が 吉野の川面に水の泡となって咲いているではないか。

鑑賞

 養老7年(723年)夏の5月、元正天皇が吉野の離宮に行幸あったとき、従駕の笠金村が作った歌。題詞に、907の長歌の反歌として「或本の反歌に曰く」とあり、或本には反歌が全部異なっているため、それを挙げているというものです。910の「神柄か」は、長歌の「神柄か貴くあるらむ国柄か見が欲しからむ」を繰り返したもの。「み吉野」の「み」は、美称の接頭語。広く普通名詞に用いられますが、地名では、越・熊野・吉野に限られています。「滝」は、漢語として急流、激流を表し、タギルと同根の語。現在の滝に相当する語は「垂水」。「河内」は、川を中心として山に囲まれた場所。

 
911の「秋津の川」は、吉野離宮のある秋津の野を流れる川、すなわち吉野川。「川の」の「の」は、のように、の意。「万代に」は、永遠に、いつまでも。上の句に即物の景としての川を挙げ、これを受けて「絶ゆることなくまたかへり見む」と歌う手法は、人麻呂の歌(巻第1-37、巻第7-1100)を学んだものとされます。赤人や家持も、この類歌の流れに立つ表現を残しています。

 
912の「泊瀬女」は、泊瀬地方に住む女のこと。泊瀬は、北の三輪山、南の忍坂、朝倉の山々の間を流れる初瀬川流域の谷あいの地。「木綿花」は、木綿でつくった造花、女性の髪飾り。または、木綿の白さを花に喩えたともいいます。「水沫」は、水の泡。「水沫に咲きにけらずや」は、水の泡となって咲いているではないか。 「や」は反語で、「〜ではないか」と問いかける形をとることで、発見の驚きと感動を強調しています。

 
笠金村は奈良時代中期の歌人で、身分の低い役人だったようです。『万葉集』に45首を残し、そのうち作歌の年次がわかるものは、715年の志貴皇子に対する挽歌から、733年のの「贈入唐使歌」までの前後19年にわたります。とくに巻6は天武天皇朝を神代と詠う笠金村の歌を冒頭に据えています。言語学者の犬養孝は、「行幸に従ったときの歌の配列からみると、あるいは当時、赤人よりも重きをなしていたのかもしれない。全作歌がほとんど行幸の供奉に関連したものか、あるいは君命による地方の旅か、または何らか宮廷に関連しての制作事情によるもので、まったく当時の宮廷生活にささえられていた歌人といってよい」と言っています。自身の作品を集めたと思われる『笠朝臣金村歌集』の名が『万葉集』中に見えます。
 


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