| 訓読 |
3156
鈴鹿川(すずかがは)八十瀬(やそせ)渡りて誰(た)がゆゑか夜越(よご)えに越(こ)えむ妻もあらなくに
3157
我妹子(わぎもこ)にまたも近江(あふみ)の安(やす)の川(かは)安寐(やすい)も寝(ね)ずに恋ひわたるかも
3158
旅にありて物(もの)をぞ思ふ白波(しらなみ)の辺(へ)にも沖にも寄るとはなしに
3159
港廻(みなとみ)に満ち来(く)る潮(しほ)のいや増しに恋はまされど忘らえぬかも
3160
沖つ波(なみ)辺波(へなみ)の来寄(きよ)る佐太(さだ)の浦のこのさだ過ぎて後(のち)恋ひむかも
| 意味 |
〈3156〉
鈴鹿川の川瀬を幾たびも渡り、誰のために山道を夜に越えて行くというのか。家に待っている妻がいるわけでもないのに。
〈3157〉
いとしいあの子にまたも逢うという近江の安の川、その名のように安らかに寝ることができず、あの子に恋い続けている。
〈3158〉
旅にあって物思いは尽きない。白波は岸にも沖にも寄るが、私はあの子に言い寄ることもできない。
〈3159〉
河口の辺りにひたひたと潮が満ちてくるように、恋心がつのってきて、どうしてもあの子が忘れられないことだ。
〈3160〉
沖からの波や岸辺の波が打ち寄せる佐太の浦の、この時(さだ)が過ぎてしまえば、後で恋しくなるだろう。
| 鑑賞 |
作者未詳の「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」5首。3156の「鈴鹿川」は、鈴鹿山脈に発して伊勢湾に注ぐ川。「八十瀬」は、たくさんの渡り瀬。「誰がゆゑか」は、誰のために。原文「誰故加」で、タレユヱカと訓むものもあります。「夜越えに越えむ」は、夜中に山を越えること。当時は非常に危険で困難な行為であり、それ相応の強い動機(逢いたい人)がある場合に行われました。山ではなく川を越えると解するものもあります。「あらなくに」は「あらず」のク語法「あらなく」に「に」を添えたナクニ止めで、〜ではないのになあ、という詠嘆を含んだ打ち消しの表現。男の、伊勢への旅中に妻を亡くした帰路の歌とされますが、妻のいない未婚者の歌との見方もあります。
3157の「我妹子にまたも」は「逢ふ」の意で同音の「近江(あふみ)」を導く序詞。また上3句は「安の川」の同音で「安寐」を導く序詞で、序詞の中に序詞がある形になっています。「安の川」は、琵琶湖に注ぐ野洲川。「安寐も寝ずに」は、ぐっすりと眠ることもできず。共寝に用いる「味寐」に対し、独り寝に用いるのが「安寐」だといいます。「恋ひわたるかも」の「わたる」は、〜し続ける、の意。独り寝すらも安らかにできない旅の悲しさを述べた歌とされます。
3158の「白波の辺にも沖にも寄るとはなしに」は、白波は岸にも沖にも寄せるが、自分はそのどちらに寄るのか決めかねているごとくに、の意で、物思いの状態の譬喩。「物をぞ思ふ」は、単に考えるのではなく、あてどない不安や悲しみ、恋しさなどが入り混じった深い物思いにふけることで、「ぞ」による強調が、その沈み込むような心の重さを表しています。「辺にも沖にも寄るとはなしに」は、波が岸に打ち寄せて落ち着くわけでもなく、かといって沖へ引き返して安定するわけでもない様子。どっちつかずで不安定な状態の比喩です。物思いの具体的な内容には触れられていませんが、窪田空穂は、船旅にあって「求婚している女の中途半端な態度を嘆いているのだと思われる」と述べています。
3159の「港廻」は、港のあたり、河口。上2句は「いや増しに」を導く譬喩式序詞。満潮に向かって刻一刻と水位が上がっていく様子を、抑えきれない感情の比喩として使っています。「いや増しに」は、いよいよますます。「忘らえぬかも」は、忘れられないことだなあ。船旅にあって妻を恋う歌とされます。
3160は、巻第11-2732の重出歌。

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