| 訓読 |
4204
我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)
4205
皇祖(すめろき)の遠御代御代(とほみよみよ)はい布(し)き折り酒(き)飲みきといふぞこのほほがしは
4206
渋谿(しぶたに)をさして我が行くこの浜に月夜(つくよ)飽きてむ馬しまし止め
| 意味 |
〈4204〉
あなた様が捧げ持っていらっしゃるホオノキは、まるで貴人にかざす青い蓋(きぬがさ)のようですね。
〈4205〉
遠い昔の天皇の御代御代には、葉を折り重ねて酒を飲んだということですよ、このホホガシワは。
〈4206〉
渋谿をさして我が帰って行くこの浜辺で、月夜の素晴らしい景色を心ゆくまで眺めよう。馬をしばらくとどめよ。
| 鑑賞 |
4204・4205は、題詞に「攀(よ)ぢ折れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首」とあり、4204は講師(国分寺の主僧)の恵行(えぎょう:伝未詳)が大伴家持に贈った歌、4205は家持が答えた歌です。「攀ぢ折れる」は、枝を引き寄せて折り取った、の意。「ほほがしは」は、山地に自生するモクレン科の朴木(ほおのき)で、葉が非常に大きく長楕円形をしています。4204の「我が背子」は家持のこと。「あたかも似るか」の「あたかも」は、まるで、ちょうど。「青き蓋」の「蓋」は、貴人の後ろからさしかける織物の笠。広葉の集まった形が蓋に似ているところから言っています。威厳をそえて飾るためのもので、儀制令によると、三位以上はみな蓋を用いる規則で、「一位 深緑」とあるため、ここは青々とした広葉のほほがしわを持っている姿が、一位の人の蓋に似ていると見立てています。
4205の「皇祖の」は、昔の天皇。「遠御代御代」は、遠い御代御代の意で、宣命にある言い方。「い布き折り」の「い」は、接頭語。「布き」は、重ねる意。「折り」は、折り曲げる。葉を重ねて杯にしたことを言っています。「酒(き)」は、酒の古語。恵行が軽い気持ちで言っているようなのに、家持は相手が相手だったためか、固く改まった言い方をしています。また、家持の実直さと、古代を尊ぶ心の深さが窺える歌でもあります。
4206は、題詞に「還る時に、浜の上にして月の光を仰ぎ見る」とある、大伴家持の歌。布勢の水海の遊覧(4199~4206)からの帰途、多祜の浦から海岸に出て浜辺を行く時に詠んだもの。「渋谿」は、高岡市渋谷で、二上山が東北方海に尽きる、奇岩の多い景勝地。越中国府から程近い地です。「月夜」は、月。「飽きてむ」の「て」は完了の助動詞「つ」の未然形、「む」は勧誘。飽き足りるまで見よう、の意。「馬しまし止め」の「止め」は、命令形。
佐佐木信綱はこの歌を評し、次のように述べています。「初夏の夕、さわやかな月の光を浴びつつ白砂の長汀を行く馬上の国守以下、一行の人々の姿が恰も絵巻を見る如く目前に彷彿する。清高な気品のある格調で『月夜飽きてむ』という簡潔で含蓄ある表現にも、結句の古朴な語法にも、万葉の香が頗る豊かである」。

国分寺
聖武天皇が天平13年(741年)3月に詔して、仏教による国家鎮護のため、諸国に造営を命じた寺院。国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)とがあり、通常は僧寺(正式名:金光明四天王護国之寺)を指すが、広義には国分尼寺(正式名:法華滅罪之寺)をも含めていう。国分寺創建は四天王が来て護国にあたる趣旨の金光明最勝王経の信仰に基づく事業であったが、精神界を国家的に統一する目的もあった。国分寺の多くは国府区域内か周辺に置かれ、国庁とともにその国の最大の建築物であった。創建当時の建築で残っているものはないが、遺跡は全国に散在する。また、大和国の東大寺・法華寺は総国分寺・総国分尼寺とされ、全国の国分寺・国分尼寺の総本山と位置づけられた。
【PR】
朴木(ほおのき)
ほほがしわの現代名はホオノキで、山地に自生する落葉高木。樹高は約20m、幹の太さは直径1mにもなります。やわらかい木なので、昔は刀の鞘や版木、楽器などに使われていました。また、大きな葉にはよい香りがあるため、食器代わりに重用されました。『万葉集』に詠まれているのは、ここの2首のみです。
|
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |