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源氏物語

「源氏物語」の先頭へ 各帖のあらすじ

若菜(わかな)下~つづき

■紫の上、病に倒れる

 対(たい)には、例のおはしまさぬ夜は、宵居(よひゐ)し給ひて、人々に物語など読ませて聞き給ふ。「かく、世のたとひに言ひ集めたる昔語(むかしがたり)どもにも、あだなる男、色好み、二心(ふたごころ)ある人にかかづらひたる女、かやうなることを言ひ集めたるにも、つひによる方ありてこそあめれ、あやしく浮きても過ぐしつる有様かな、げに、宣ひつるやうに、人より異なる宿世(すくせ)もありける身ながら、人の忍びがたく飽かぬ事にする物思ひ離れぬ身にてや止みなむとすらむ。あぢきなくもあるかな」など、思ひ続けて、夜更けて大殿籠(おほとのごも)りぬる暁方(あかつきがた)より御胸を悩み給ふ。人々見奉りあつかひて、「御消息(せうそこ)聞こえさせむ」と聞こゆるを、「いと便(びん)ないこと」と制し給ひて、堪へがたきをおさへて明かし給ひつ。御身もぬるみて、御心地もいとあしけれど、院もとみに渡り給はぬ程、かくなむとも聞こえず。

 女御の御方より御消息あるに、「かくなやましくてなむ」と聞こえ給へるに、驚きてそなたより聞こえ給へるに、胸つぶれて急ぎ渡り給へるに、いと苦しげにておはす。「いかなる御心地ぞ」とて探り奉り給へば、いと熱くおはすれば、昨日(きのふ)聞こえ給ひし御つつしみの筋(すぢ)など思し合はせ給ひて、いと恐ろしく思さる。御粥(かゆ)などこなたに参らせたれど、御覧じも入れず、日一日(ひひとひ)添ひおはして、よろづに見奉り嘆き給ふ。

【現代語訳】
 対(紫の上)は、例によって院(源氏)がおいでにならない夜は夜更かしをなさり、女房たちに物語を読ませて聞いていらっしゃる。「世間の例を語り集めた数々の昔物語にも、浮気性の男や色好み、ニ心ある不実な男に関わった女などの話が多く書かれているけれど、結局は皆しまいには頼る男に落ち着いている。それなのに私は、浮草のように不安定に過ごしてきた身の上であることよ。なるほど殿(源氏)がおっしゃったように、人より恵まれた運命でもあった自分でありながら、普通の女としては忍び難く、満ち足りることのない悩みから逃れられないまま人生を終えてしまうのだろうか。情けないことだこと」などと思い続けながら、夜が更けてお休みになると、明け方から、お胸が痛くおなりになった。女房たちが看病申し上げながら途方に暮れ、「殿(源氏)にお知らせ致しましょう」と申し上げるが、紫の上は「それには及びません」とお制しになり、耐え難い辛さを抑えて夜をお明かしになった。お体に熱もあり、ご気分もひどくお悪いのだが、院(源氏)も女三の宮のもとからはすぐには帰っておいでにならないのに、こちらからはこうともお知らせしないでいる。

 女御の御方(明石の女御)からお便りがあったので、「これこれの容態で病の床についておりまして」とお返事したところ、驚いて、そちら(明石の女御方)から院(源氏)にお知らせになり、気が動転して急いでお帰りになったが、ひどく苦しそうなご様子である。「どんなご気分ですか」と手を当ててごらんになると、ひどいお熱で、昨日お話しになっていた厄年のことなどをお思い合わせになり、気味悪くお感じになる。お粥などをこちらの御殿に運んで差し上げたが、見向きもなさらない。一日中つきっきりでご看病なさって、万事のお世話をなさって心を痛めていらっしゃる。

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■柏木、女三の宮と密通

(一)
 よその思ひやりはいつくしく、もの馴れて見え奉らむも恥づかしく推しはかられ給ふに、ただかばかり思ひつめたる片はし聞こえ知らせて、なかなかかけかけしき事はなくてやみなむと思ひしかど、いとさばかり気(け)高う恥づかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見え給ふ御けはひの、あてにいみじく覚ゆることぞ、人に似させ給はざりける。さかしく思ひしづむる心もうせて、いづちもいづちも率(ゐ)て隠し奉りて、わが身も世に経(ふ)るさまならず、跡絶えてやみなばや、とまで思ひ乱れぬ。

 ただいささかまどろむともなき夢に、この手馴らしし猫の、いとらうたげにうち鳴きて来たるを、この宮に奉らむとて、わが率て来たると思しきを、何しに奉りつらむと思ふほどに、おどろきて、いかに見えつるならむと思ふ。

 宮は、いとあさましく、現(うつつ)とも覚え給はぬに、胸ふたがりて思しおぼほるるを、「なほ、かく、のがれぬ御宿世(すくせ)の浅からざりける、と思ほしなせ。みづからの心ながらも、うつし心にはあらずなむ覚え侍る」。かのおぼえなかりし、御簾(みす)のつまを、猫の綱ひきたりし夕(ゆふべ)のことも、聞こえ出でたり。「げに、さはたありけむよ」と口惜(くちを)しく、契り心憂き御身なりけり。院にも、今はいかでかは見え奉らむ、と悲しく心細くて、いと幼げに泣き給ふを、いとかたじけなくあはれと見奉りて、人の御涙をさへ拭ふ袖(そで)は、いとど露けさのみまさる。

【現代語訳】
 女三の宮は、遠くから想像していた時分には、犯し難くお近づき申し上げるのも憚り多いように思われる方だったので、ただこれほど思い詰めている気持ちの一端だけでもお伝えして、色めいたふるまいには及ぶまいと思っていたが、さほど気高く近づき難いような御気配はなくて、優しく可愛らしく、なよなよとばかり感じられるご様子が上品に思えるところは、誰にも比べようがなかった。衛門督(柏木)は、自らを制していた分別も失せて、どこへなりとも宮をお連れしてお隠しし、自分も死んだ者のように行方をくらましてみたいとまで思い乱れた。

 ほんの少しの間うとうとしていたともいえない夢の中に、可愛がっていたあの猫がとても可愛い声で鳴いて近寄ってきたので、この宮にお返ししようと自分が連れてきたのだったと思うのだが、はて何のためにお返ししようというのだろうと思ったところで、はっと目が覚めて、どうしてそんな夢を見たのかと思う。

 柏木に抱かれた女三の宮は、あまりのことに現実ともお思いになれず、胸がつまって正気もなくしていらっしゃるのを、衛門督は「やはりこうして逃れることのできない御宿世があったのだとお思いください。私自身も正気ではなかったような気がいたします」と、あの、思いもよらず御簾の端を猫が綱を引いた夕べの出来事も申し上げた。なるほどそんなこともあったのかと口惜しくて、情けない縁を結んだ心外な我が身であったと思しめす。こうなっては院(源氏)にもどうやって顔をお合わせできようかと、悲しく心細くて、まるで子供のようにお泣きになるのを、柏木はひどく申し訳なくお可哀そうに存じ上げ、その御涙をぬぐってさしあげる袖は、ますます濡れるばかりだった。

(二)
 明けゆくけしきなるに、出でむ方なく、なかなかなり。「いかがはし侍るべき。いみじく憎ませ給へば、また聞こえさせむこともあり難きを、ただ一言(ひとこと)御声を聞かせ給へ」と、よろづに聞こえ悩ますも、うるさくわびしくて、物のさらに言はれ給はねば、「はてはては、むくつけくこそなり侍りぬれ。またかかるやうはあらじ」と、いとうしと思ひ聞こえて、「さらば不用なめり。身をいたづらにやはなしはてぬ。いと捨てがたきによりてこそ、かくまでも侍れ、今宵に限り侍りなむもいみじくなむ。つゆにても御心ゆるし給ふさまならば、それに代へつるにても捨て侍りなまし」とて、かき抱(いだ)きて出づるに、はてはいかにしつるぞ、とあきれて思さる。

 隅の間(ま)の屏風をひき広げて、戸を押し開けたれば、渡殿(わたどの)の南の戸の、昨夜(よべ)入りしがまだ開きながらあるに、まだ明けぐれのほどなるべし、ほのかに見奉らむの心あれば、格子をやをら引き上げて、「かう、いとつらき御心に、うつし心も失せ侍りぬ。すこし思ひのどめよと思されば、あはれとだに宣はせよ」と、おどし聞こゆるを、いとめづらかなり、と思して、ものも言はむとし給へど、わななかれて、いと若々しき御さまなり。

 ただ明けに明けゆくに、いと心あわただしくて、「あはれなる夢語りも聞こえさすべきを、かく憎ませ給へばこそ。さりとも、今、思しあはする事も侍りなむ」とて、のどかならず立ち出づる明けぐれ、秋の空よりも心づくしなり。

起きてゆく空も知られぬあけぐれにいづくの露のかかる袖なり

と、ひき出でて愁(うれ)へ聞こゆれば、出でなむとするに少し慰め給ひて、

あけぐれの空にうき身は消えななむ夢なりけりと見てもやむべく

とはかなげに宣ふ声の、若くをかしげなるを、聞きさすやうにて出でぬる、魂(たましひ)は、まことに身を離れてとまりぬる心地す。

【現代語訳】
 夜が明けていく気配ながら、衛門督は今さら立ち去りようもなく、なまじの逢瀬に思い乱れている。「私はどうすればよいのでしょう。私をひどくお憎みのご様子ですから、もう二度とお目にかかるのも難しいでしょうが、せめて一言お声をお聞かせください」と、何かと困らすことを申し上げても、宮は煩わしく辛いお気持ちで何もおっしゃらないので、「とうとう私は気味悪くさえなってきました。こんなお扱いがありましょうか」と、ひどくお恨み申して、「この上は生きていても仕方がないようです。いっそ死ぬよりほかありません。今まであきらめきれずにこうして生きていましたが、それも今宵限りとなるのも辛いことです。少しでもお心を許していただけるなら、それと引き換えにわが命を捨てましょうに」といって、宮を抱いて外へ出るので、最後にはどうするつもりなのかと、宮は分からなくお思いになる。

 隅の間の屏風を広げて戸を押し開けると、渡殿の南の戸が昨夜入ってきた時のまま開いているが、まだ夜明け前の薄暗い時分なので、宮のお顔を少しでも拝見したい気持ちから、格子をそっと引き上げて、「こういうつれないお仕打ちに正気も失せてしまいました。少し気持ちを静めよとお思いになるなら、せめて可哀そうにとだけでもおっしゃってください」と脅かすように申し上げるのを、宮はとんでもないこととお思いになり、何か言おうとなさるが、震えるばかりで、いかにも幼なげなご様子である。

 夜が明けていくにつれて、衛門督はひどく気がせいて、「身にしみて感じた夢語りも申し上げたいのですが、そんなにお憎みなさるのではどうにもなりません。それでも今に思い当たりになることもございましょう」と、せわしなく出て行く夜明けの暗がりは、秋の空よりも心乱れることであった。

「起きて帰って行く先もわからない明け方の薄暗がりに、いったいどこの露が袖にかかっているのでしょう」

と、自分の袖を引き出して訴え申すので、宮は、もう出て行くのだなと少しご安心なさって、

「明け方の薄暗がりの空に、わが身は消えてしまいたい。夢だったのだと思ってすむように」

と弱々しくおっしゃる声が若く美しく聞こえるのを、途中で切り捨てるようにして出てしまうので、まことに魂が体を離れてとどまるような気持ちである。

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■紫の上危篤、六条御息所の死霊現る

(一)
 いみじく調(てう)ぜられて、「人は皆去りね。院ひとところの御耳に聞こえむ。おのれを、月ごろ調じわびさせ給ふが、情(なさけ)なくつらければ、同じくは思し知らせむと思ひつれど、さすがに命もたふまじく、身をくだきて思し惑ふを見奉れば、今こそかくいみじき身を受けたれ、いにしへの心の残りてこそ、かくまでも参り来たるなれば、物の心苦しさをえ見過ぐさで、つひに現はれぬること。さらに知られじと思ひつるものを」とて、髪を振りかけて泣くけはひ、ただ昔見給ひし物怪のさまと見えたり。あさましくむくつけしと思ししみにし事の変らぬもゆゆしければ、この童(わらは)の手をとらへて引き据ゑて、さまあしくもせさせ給はず。「まことにその人か。よからぬ狐(きつね)などいふなるものの、たふれたるが、亡き人の面伏(おもてぶせ)なること言ひ出づるもあなるを、確かなる名のりせよ。また、人の知らざらむ事の、心にしるく思ひ出でられぬべからむを言へ。さてなむ、いささかにても信ずべき」と宣へば、ほろほろといたく泣きて、

わが身こそあらぬさまなれそれながらそらおぼれする君は君なり

いとつらし、つらし」と泣き叫ぶものから、さすがにもの恥ぢしたるけはひ変らず、なかなかいとうとましく心憂ければ、物言はせじ、と思す。

【現代語訳】
 物の怪は見事に調伏されて、「ほかの人は皆出ていって下さい。院(源氏)お一人の御耳にだけお入れしましょう。幾月も私のことを呪ってお苦しめになるのが情けなく恨めしいので、どうせなら思い知らせて上げようと思いましたが、そうはいっても院(源氏)が命も絶えんばかりに身を粉にしていらっしゃるお姿を拝見すれば、今でこそ私はこのようなひどい姿であるものの、昔の心が残っておりますので、おいたわしい様子を見過ごすことはできずに姿を現わしてしまいました。決して知られるまいと思っていましたのに」と言って髪を振り乱して泣く様子は、まさに昔ご覧になった物怪そのものと見える。源氏は、情けなくも恐ろしいと、あの時心底からお思いになったのとそっくりそのままなのも不吉で、物怪が乗り移った童の手をとらえて引きすえ、変な真似はおさせにならない。「本当にあのお方なのか。悪い狐などのいたずらで、亡き人の徳を傷つけるようなことを言い出すこともあるというが、確かな名乗りをせよ。それでなければ、他の人が知らず私だけが胸に覚えのあるようなことを言え。そうすれば少しは信じよう」とおっしゃると、ほろほろとたいそう涙をこぼして、

(物の怪)「
私はこんなふうに変わり果てた姿になってはいますが、昔の姿のままにそらとぼけていらっしゃるの貴方は、昔のままですね。

ああ恨めしい、恨めしい」と泣き叫ぶのだが、そのくせ恥ずかしそうにしている様子は昔の六条御息所と変わらず、それがかえって気味悪く疎ましいので、源氏はこれ以上何も言わせまいとなさる。

(二)
 「中宮の御事にても、いとうれしくかたじけなし、となむ、天(あま)(かけ)りても見奉れど、道(みち)(こと)になりぬれば、子の上までも深く覚えぬにやあらむ、なほみづからつらし、と思ひきこえし、心の執(しふ)なむ止まるものなりける。その中にも、生きての世に、人よりおとして思し捨てしよりも、思ふどちの御物語りのついでに、心よからず、憎かりし有様を、宣ひ出でたりしなむ、いとうらめしく。今はただ、亡きに思しゆるして、他人(ことひと)の言ひおとしめむをだに、省き隠し給へとこそ思へ、と、うち思ひしばかりに、かくいみじき身のけはひなれば、かく所せきなり。この人を深く憎しと思ひ聞こゆる事はなけれど、守り強く、いと御あたり遠き心地して、え近づき参らず、御声をだにほのかになむ聞き侍る。よし、今は、この罪(つみ)(かろ)むばかりのわざをせさせ給へ。修法(ずほふ)、読経(どきやう)とののしる事も、身には苦しくわびしき炎(ほのほ)とのみまつはれて、さらに尊きことも聞こえねば、いと悲しくなむ。中宮にも、このよしを伝へ聞こえ給へ。ゆめ御宮仕へのほどに、人ときしろひそねむ心つかひ給ふな。斎宮におはしまししころほひの、御罪軽むべからむ功徳(くどく)の事を、必ずせさせ給へ。いと悔しき事になむありける」など、言ひ続くれど、物怪にむかひて物語りし給はむも、かたはらいたければ、封(ふん)じこめて、上をば、また他方(ことかた)に忍びて渡し奉り給ふ。

【現代語訳】
 (物の怪)「中宮(秋好中宮、六条御息所の娘)の御事でも、とても嬉しくもったいないことと、空をさまよいながらも拝しておりますが、違った世界に住んでおりますと、子のことまではさほど深くも思わないのでしょうか、やはり自分自身として恨めしく思う執念が消えないのです。その中で、存生中に人より軽い扱いをなさりお見捨てになったことより、お好きな方とのお語らいの時に私のことを不愉快で嫌な女であったと口にされたのが、ひどく恨めしくてなりません。今はもう亡き者としてお許し下さって、誰かが私の悪口を言ったりした時でも打ち消してかばっていただきたいのにと思っていたからこそ、かような忌まわしい身になり果てて、こんな祟りを働くのです。この人(紫の上)をそんなに深く憎み申しているのではありませんが、貴方には守護神がついているのでとても近くに参ることもできず、お声をかすかにお聞きするだけです。今はもう私のこの罪が軽くなるような供養をなさってください。修法、読経と大騒ぎするのも、私には苦しく辛い炎がまつわりつくばかりで少しも尊いとも思えませんので、ひどく悲しいことです。どうか中宮(秋好中宮)にもお伝えください。決してお宮仕えの間に人と帝の寵愛を張り合って妬む心をお持ちなさいますな。斎宮でいらっしゃった頃の御罪が軽くなるような功徳を必ずお積みになって下さい。あなたが斎宮になったのはひどく悔やまれることでした」などと言い続けるが、源氏は、物怪と向かい合って話をするのもおかしいので、封じ込めて、紫の上をまた別の部屋にそっとお移しになる。

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■紫の上、小康を得る

 池はいと涼しげにて、蓮(はちす)の花の咲きわたれるに、葉はいと青やかにて、露きらきらと玉のやうに見えわたるを、「かれ見給へ。おのれ独りも涼しげなるかな」と宣ふに、起き上がりて見出だし給へるもいとめづらしければ、「かくて見奉るこそ夢の心地すれ。いみじく、わが身さへ限りとおぼゆる折々のありしはや」と涙を浮けて宣へば、みづからもあはれに思して、

消えとまるほどやは経(ふ)べきたまさかに蓮(はちす)の露のかかるばかりを

と宣ふ。

契りおかむこの世ならでも蓮葉に玉ゐる露のこころへだつな

 出で給ふ方(かた)ざまはものうけれど、内裏(うち)にも院にも聞こしめさむ所あり、悩み給ふと聞きてもほど経ぬるを、目に近きに心をまどはしつるほど、見奉ることもをさをさなかりつるに、かかる雲間(くもま)にさへやは絶え籠(こも)らむ、と思し立ちて渡り給ひぬ。

 宮は、御心の鬼に、見え奉らむも恥づかしうつつましく思すに、ものなど聞こえ給ふ御答(いら)へも聞こえ給はねば、日ごろのつもりを、さすがにさりげなくてつらしと思しけると心苦しければ、とかくこしらへ聞こえ給ふ。大人びたる人召して、御心地のさまなど問ひ給ふ。「例のさまならぬ御心地になむ」とわづらひ給ふ御ありさまを聞こゆ。「あやしく。ほど経てめづらしき御事にも」とばかり宣ひて、御心の中(うち)には、年ごろ経ぬる人々だにもさることなきを、不定(ふぢやう)なる御事にもやと思せば、ことにともかくも宣ひあへしらひ給はで、ただうち悩み給へるさまの、いとらうたげなるを、あはれと見奉り給ふ。

【現代語訳】
 池はたいそう涼しげで、蓮の花が一面に咲き、青々とした葉に露がきらきらと玉のように光って見えるのを、源氏が「あれを御覧なさい。自分一人で涼しげにしているではありませんか」とおっしゃると、紫の上が起き上がって外を御覧になるのもたいそうお珍しいので、「こうして元気なお姿を拝見するのも夢のような心地がします。あまりにお悪くて、私までが死ぬのではないかと思った折々もあったのですよ」と、涙を浮かべておっしゃると、紫の上ご自身も胸がいっぱいになられて、

 
蓮にかかる露が消え残っているほどの短い間も生きていられるでしょうか。たまたま、その露が残っているだけのような、はかない命ですのに。

とおっしゃる。

(源氏)「
今から約束いたしましょう。この世ばかりでなくあの世までも、蓮の葉におく玉の露のように、私たちの間に隔て心なく、一蓮托生であることを

 あちら(女三の宮)へお渡りになるのは気が進まないものの、帝にも朱雀院にもどうお耳にされるかという手前もあり、あちらもご気分がすぐれないと聞いてからかなりの日数も経っているし、目の前にいらっしゃる紫の上に心を痛めている間、宮をお見舞いなさることも途絶えがちだったので、このような雨雲の絶え間にでも行って上げなければとお思い立たれて、女三の宮のもとにお越しになった。

 宮は、やましい御心がおありなので、お目にかかるのも恥ずかしく引っ込み思案におなりで、院が物を仰せになっても御返事もなさらないので、うわべはさり気なくしていても、さすがに日頃のつれない扱いを恨んでおいでなのだろうと気の毒にお思いになり、あれこれお慰めしてお上げになる。古参の女房をお召しになって、ご容態などをお尋ねになると、「普通の病気ではいらっしゃらないようでございます」と申し上げる。源氏は「それは妙な。結婚後ずいぶん経っているのに思いがけない」とだけおっしゃって、御心の中では、長年連れ添っている御方々さえそういうこと(妊娠)はないのに、本当かどうか分かりはしないとお思いになるので、別段どうともおっしゃらず、ただお辛そうにしていらっしゃるご様子をいじらしく愛しくお感じになる。

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■源氏、柏木の文を発見

(一)
 まだ朝涼みのほどに渡り給はむとて、とく起き給ふ。「昨夜(よべ)のかはほりを落として。これは風ぬるくこそありけれ」とて、御扇(あふぎ)置き給ひて、昨日(きのふ)うたた寝し給へりし御座(おまし)のあたりを、立ちとまりて見給ふに、御褥(しとね)の少しまよひたるつまより、浅緑(あさみどり)の薄様(うすやう)なる文(ふみ)の押し巻きたる端(はし)見ゆるを、何心もなく引き出でて御覧ずるに、男の手なり。紙の香(か)などいと艶(えん)に、ことさらめきたる書きざまなり。二重(ふたかさ)ねにこまごまと書きたるを見給ふに、紛るべき方なくその人の手なりけり、と見給ひつ。

 御鏡などあけて参らする人は、なほ見給ふ文にこそはと、心も知らぬに、小侍従(こじじゆう)見つけて、昨日の文の色と見るに、いといみじく胸つぶつぶと鳴る心地す。御粥(かゆ)など参る方に目も見やらず、「いで、さりとも、それにはあらじ。いといみじく、さる事はありなむや、隠(かく)い給ひてけむ」と思ひなす。宮は、何心もなく、まだ大殿籠(おほともごも)れり。「あないはけな、かかる物を散らし給ひて。我ならぬ人も見つけたらましかば」と思すも、心劣りして、「さればよ。いとむげに心にくき所なき御ありさまを、うしろめたしとは見るかし」と思す。

【現代語訳】
 源氏は、まだ朝の涼しいうちにお出かけになろうと早くお起きになる。「昨夜の扇をどこかへ落としてしまって、これでは風がぬるい」といって、今お持ちの御扇をお置きになり、昨日うたた寝をなさった御座のあたりに立ちどまって捜していらっしゃると、女三の宮のお褥の少し乱れている縁から浅緑色の薄様の紙に書いた手紙の巻いている端が見えるので、何気なく引き出してご覧になると、男の筆跡である。紙に焚きしめた香もたいそう色めいて、意味ありげな書きぶりである。ニ枚にわたってこまごまと書いているのをご覧になると、紛れもなく衛門督(柏木)の筆跡だとお分かりになった。

 お鏡の蓋を開けてさしあげて御身づくろいのお手伝いをする女房は、源氏がご覧になるべき文なのかしらと事情も知らずにいるが、小侍従が目にとめて、昨日の手紙と同じ色だと気づくと、あまりのことに胸がどきどき鳴る心地がする。殿がお粥など召しあがる方には目もやらず、小侍従は「いや、いくら似ていても、まさかあの手紙ではなかろう。そんなことのあろうはずがない。さすがにお隠しになったはずだ」と思おうとする。女三の宮は何もお気づきにならずに、まだお休みになっている。源氏は「何とたわいないこと。こんな物を散らかしになって。もし他の人が見つけたりしたら」とお思いになると、宮のお人柄の浅はかさが察せられて、「だからなのだ。まるで奥ゆかしさの足りないのを案じていたのだが」とお思いになる。

(二)
 出で給ひぬれば、人々すこし散(あか)れぬるに、侍従寄りて、「昨日の物はいかがせさせ給ひてし。今朝、院の御覧じつる文の色こそ似て侍りつれ」と聞こゆれば、あさましと思して、涙のただ出で来(き)に出で来れば、いとほしきものから、言ふかひなの御さまや、と見奉る。

「いづくにかは置かせ給ひてし。人々の参りしに、事あり顔に近くさぶらはじと、さばかりの忌みをだに、心の鬼に去りはべしを、入らせ給ひしほどは、すこしほど経(へ)侍りにしを、隠させ給ひつらむとなむ思う給へし」と聞こゆれば、「いさとよ。見しほどに入り給ひしかば、ふともえ起きあがらでさしはさみしを、忘れにけり」と宣ふに、いと聞こえむ方なし。

 寄りて見れば、いづくのかはあらむ。「あないみじ。かの君もいといたく怖(お)ぢ憚(はばか)りて、けしきにても漏り聞かせ給ふ事あらばと、かしこまり聞こえ給ひしものを。程だに経ず、かかる事の出でまうで来るよ。すべていはけなき御ありさまにて、人にも見えさせ給ひければ、年ごろさばかり忘れがたく、恨み言ひわたり給ひしかど、かくまで思ひ給へし御事かは。誰が御ためにも、いとほしく侍るべきこと」と憚(はばか)りもなく聞こゆ。心やすく若くおはすれば、馴れきこえたるなめり。

 答(いら)へもし給はで、ただ泣きにのみぞ泣き給ふ。いと悩ましげにて、露ばかりの物も聞こしめさねば、「かく悩ましくせさせ給ふを、見おき奉り給ひて、今は、おこたりはて給ひにたる御あつかひに、心を入れ給へること」と、つらく思ひ言ふ。

【現代語訳】
 源氏がお立ち出でになると、女房たちもぽつぽつ退がっていったので、小侍従が女三の宮の側に寄って、「昨日の手紙はどうなさいましたか。今朝、院がご覧になっていた手紙の色があれと似ていましたが」と申し上げると、宮は驚きなさり、涙をひたすらお流しになるのをお気の毒には思うのだが、あまりといえばしようのないお方だと拝見する。小侍従は「どこにあの手紙をお置きになりましたか。女房たちが参ったときに、わけあり顔でお近くにいてはよくないと気がとがめて離れておりましたのに、院がお入りになるまで少し時間がありましたから、多分お隠しになっただろうと思ってございました」と申し上げると、女三の宮は「違うのです。あの手紙を見ていた時にちょうど院が入ってこられたので、すぐに隠せずに褥にはさんでいたのを忘れていたのです」とおっしゃるので、何とも申し上げようもない。

 座布団に寄って捜してみても、今さらどこにあろうはずもない。小侍従は「まあ、大変。あの方(柏木)もたいそう恐れており、ちょっとのことでも院(源氏)のお耳に入らないようにと慎しんでいらしたのに、すぐにこのような事が起こってしまうなんて。あなたさまが子供のようにあの方(柏木)に姿をお見せになったものだから、あの方はずっと忘れられず、会わせてほしいと私に言い続けていらっしゃいましたが、まさかこうまで深入りなさろうとは思いも寄りませんでした。本当にどなた様にとっても困ったことになりましょう」と、憚りもなく申し上げる。宮が気の置けない若々しい方でいらっしゃるので、遠慮がないようだ。

 宮はお返事もなさらず、ただ泣いてばかりいらっしゃる。ひどく気を病んで、まるっきり何も召し上がらないので、女房たちが「宮がこんなにもご気分を悪くしていらっしゃるのに、院(源氏)は放っておられ、今はもうお治りになったお方(紫の上)のお世話に熱心でいらっしゃること」と、恨めしく思って言う。

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■源氏の煩悶

 「さても、この人をばいかがもてなし聞こゆべき。めづらしきさまの御心地も、かかる事の紛(まぎ)れにてなりけり。いで、あな心うや、かく人づてならず憂きことを知る知る、ありしながら見奉らむよ」と、わが御心ながらも、え思ひ直すまじくおぼゆるを、「なほざりのすさびと、はじめより心をとどめぬ人だに、また異(こと)ざまの心分くらむと思ふは、心づきなく思ひ隔てらるるを、ましてこれは。さま異(こと)に、おほけなき人の心にもありけるかな。帝の御妻(みめ)をもあやまつたぐひ、昔もありけれど、それはまた、いふ方異(かたこと)なり、宮仕へといひて、我も人も同じ君に馴れ仕うまつる程に、おのづからさるべき方につけても、心をかはしそめ、ものの紛れ多かりぬべきわざなり。女御、更衣といへど、とある筋(すぢ)かかる方につけて、かたほなる人もあり。心ばせ必ず重からぬうちまじりて、思はずなる事もあれど、おぼろけの定かなる過ち見えぬ程は、さてもまじらふやうもあらむに、ふとしもあらはならぬ紛れありぬべし。かくばかり、またなきさまにもてなし聞こえて、内々の心ざし引く方よりも、いつくしくかたじけなきものに思ひはぐくまむ人をおきて、かかる事はさらにたぐひあらじ」と爪はじきせられ給ふ。

 「帝と聞こゆれど、ただ素直に、公(おほやけ)ざまの心ばへばかりにて、宮仕へのほどもものすさまじきに、心ざし深き私のねぎ言(ごと)になびき、おのがじしあはれを尽くし、見過ぐしがたき折の答(いら)へをも言ひそめ、自然(じねん)に心通ひそむらむ中らひは、同じけしからぬ筋なれど、寄る方ありや。わが身ながらも、さばかりの人に心分け給ふべくはおぼえぬものを」と、いと心づきなけれど、また「気色(けしき)に出だすべき事にもあらず」など思し乱るるにつけて、「故院の上も、かく、御心には知ろしめしてや、知らず顔をつくらせ給ひけむ。思へば、その世の事こそは、いと恐ろしくあるまじき過ちなりけれ」と、近き例(ためし)を思すにぞ、恋の山路(やまぢ)はえもどくまじき御心まじりける。

【現代語訳】
 源氏は「それにしても、この宮(女三の宮)をどうお扱いすればよいだろうか。ご懐妊のお体であるのもこういう事のせいであったのだ。何と嘆かわしいことか。人づてでなく自ら嫌なことを見てしまいながらも、今までどおりにお世話申し上げるというのか」と、わが御心ながら、とても元の気持ちには戻れないだろうとお思いになるが、「初めから遊び半分で愛着のない女でさえ、他の男に心を移すのは面白くなく、自然と気持ちが離れていくもの。まして宮は格別なご身分の御方なのに、何と大それた柏木の料簡であろうか。帝の妃と過ちをおかした例は昔もあったが、それはまた事情が違う。宮仕えでは、男も女も同じ君にお仕えしているうちに自然とお互いに好意を抱くようになり、過ちもいろいろとありうる。女御、更衣などの高い身分であっても、あれこれと欠点のある人もある。奥ゆかしさのない人も中にはいて、思いもよらぬことが起こりもするが、誰の目にもはっきり映らないうちはそのままご奉公もできるから、すぐには気づかれない過ちもあるだろう。しかし、このように比類なく大事にしてさしあげて、内々で愛しくしている人(紫の上)よりも正室として格式高いものとしている、その私を蔑ろにしてこんな事をする法があるものか」と非難なさる。

「帝のようなお方を相手に、ただ事務的にお仕えするだけで面白くなく思っているような時に、親切に言い寄ってくる男があれば、それになびいて愛情を交わし、黙って見過ごせない折の返事も言い、自然と心を通じ始めるような関係であれば、同じけしからぬことといっても理由はある。宮があの程度の男に御心をお移しになるとは思いもよらないのだが」と、ひどく不愉快ではあったが、といって態度に出すべきことでもないなどと思い悩まれるにつけても、「故院(桐壺院)も、このように御心の内ではご存知でありながら、知らぬ顔を装っていらっしゃったのだろうか。思えば、あの事(源氏と藤壺の密通)こそは本当に恐ろしく、あってはならない過ちであった」と、身近な例をお思いになると、恋の山路はそう非難できないというお気持ちもないではない。

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■柏木の苦悩

 主(あるじ)の院、「過ぐる齢(よはひ)に添へては、酔(ゑ)ひ泣きこそとどめがたきわざなりけれ。衛門督(ゑもんのかむ)心とどめてほほ笑まるる、いと心恥づかしや。さりとも、今しばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老いは、えのがれぬわざなり」とて、うち見やり給ふに、人よりけにまめだち屈(くん)じて、まことに心地もいと悩ましければ、いみじき事も目もとまらぬ心地する人をしも、さし分きて空酔(そらゑ)ひをしつつかく宣ふ。戯(たはぶ)れのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃(さかづき)のめぐり来るも頭(かしら)いたく覚ゆれば、けしきばかりにて紛らはすを、御覧じとがめて、持たせながらたびたび強(し)ひ給へば、はしたなくてもてわづらふさま、なべての人に似ずをかし。

 心地かき乱りて、耐へがたければ、まだ事もはてぬに、まかで給ひぬるままに、いといたくまどひて、「例の、いとおどろおどうしき酔ひにもあらぬを、いかなればかかるならむ。つつましと物を思ひつるに、気(け)ののぼりぬるにや、いとさ言ふばかり、臆(おく)すべき心弱さとは覚えぬを、言ふかひなくもありけるかな」と、みづから思ひ知らる。しばしの酔ひのまどひにもあらざりけり。やがて、いといたくわづらひ給ふ。大臣(おとど)、母北の方思し騒ぎて、よそよそにていとおぼつかなしとて、殿(との)に渡し奉り給ふを、女宮の思したるさま、またいと心苦し。

【現代語訳】
 試楽の主催者である院(源氏)が、「寄る年波につれて、酔い泣きが止められなくなるものです。衛門督(柏木)が気づいて笑っておられますが、何とも恥ずかしくなる。でも、あなたのその若さももう少しのことでしょう。年月は逆に進みはしないのですから。老いは誰も逃れられないのだから」と衛門督に視線をお向けになる。衛門督は誰よりひどく固くなって、実際に気分もひどくすぐれないので、見事な舞を楽しむ気にもなれずにいるのを、わざわざ名指しして、酔ったふりをしながらこうおっしゃる。冗談のようではあるが、ますます胸騒ぎがして、盃がまわってきても頭痛を感じ、ほんの形だけ盃を受けてごまかすのを、院はお見とがめになり、盃を持たせたまま何度も強要なさるので、居心地が悪くて困っている様は、普通の人に似ず美しく見える。

 衛門督は、気分が悪くなり我慢ができなかったので、まだ宴も終わらないうちに退出なさると、そのままひどく苦しくなり、「いつものように深酔いしたわけでもないのに、どうしてこんなに気分が悪いのだろう。何か気が咎めていたのでのぼせたのだろうか。そんなにまで気弱ではないつもりだったのに、ふがいないことであったよ」と、我ながら実感される。一時の悪酔いではなかった。そのままひどくお患いになる。父大臣も母北の方もえらくお騒ぎになって、離れていては心配だからと、ご自分たちの邸へお移しになるので、女宮(落葉宮)のお嘆きは傍目にも傷わしい。

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柏木(かしわぎ)

■柏木、死を思う

(一)
 衛門督(ゑもんのかむ)の君、かくのみ悩みわたり給ふ事なほ怠らで、年も返りぬ。大臣(おとど)、北の方、思し嘆くさまを見奉るに、「強ひてかけ離れなむ命かひなく、罪重かるべき事を思ふ心は心として、またあながちに、この世に離れがたく惜しみとどめまほしき身かは。いはけなかりし程より思ふ心ことにて、何事をも人にいま一際(ひときは)まさらむと、公私(おほやけわたくし)の事にふれて、なのめならず思ひのぼりしかど、その心かなひがたかりけりと、一つ二つのふしごとに、身を思ひおとしてしこなた、なべての世の中すさまじう思ひなりて、後の世の行ひに本意(ほい)深く進みにしを、親たちの御恨みを思ひて、野山(のやま)にもあくがれむ道の、重き絆(ほだし)なるべく覚えしかば、とざまかうざまに紛らはしつつ過ぐしつるを、つひに、なほ世に立ち舞ふべくも覚えぬ物思ひの、一方(ひとかた)ならず身に添ひにたるは、我より外(ほか)に誰(たれ)かは辛き、心づからもてそこなひつるにこそあめれ」と思ふに、恨むべき人もなし。

【現代語訳】
 
衛門督(柏木)は、こんな具合に引き続いてお患いになって、いっこうに回復に向かわないまま、年も改まった。父大臣や母の北の方が嘆かれる様子を拝するにつけ、「強いてこの世を捨てようと思う命の捨て甲斐がなく、親に先立つ罪は重いと思うものの、一方では、わざわざこの世に未練を抱き、執着して生き長らえたいほどの身であろうか。幼い頃から理想を高く持ち、何事にも人に一歩抜きん出ようと、公私にわたって並々でない高い気位でいたのに、思う通りにはいかないものだったのだと、一つ二つの躓きを重ねるたびに自信を失ってからというもの、世の中全体がつまらなくなってきて、後世の仏道修行に強く心惹かれるようになったのだが、両親の御落胆を考えると、それが俗世を捨て野山に逃れる大きな妨げになりそうなので、あれこれと気を紛らわしながら過ごしてきたのだが、結局やはり世間に交わっていけそうもない思いがこの身に取り付いてしまったのは、みな自ら招いたことで、自業自得と思えば他に誰を恨むことができようか。」と思うと、恨むべき人もない。

(二)
 「神仏をもかこたむ方(かた)なきは、これ皆さるべきにこそはあらめ。誰(たれ)も千歳(ちとせ)の松ならぬ世は、つひに止まるべきにもあらぬを、かく人にもすこしうち偲(しの)ばれぬべき程にて、なげのあはれをもかけ給ふ人あらむをこそは、一つ思ひに燃えぬるしるしにはせめ。せめてながらへば、おのづから、あるまじき名をも立ち、我も人も安からぬ乱れ出で来るやうもあらむよりは、なめしと心おい給ふらむあたりにも、さりとも思し許いてむかし。よろづのこと、今はのとぢめには、皆消えぬべきわざなり。また異様(ことざま)の過ちしなければ、年頃ものの折節ごとには、まつはしならひ給ひにし方のあはれも出で来なむ」など、つれづれに思ひつづくるも、うち返しいとあぢきなし。

 など、かく程もなくしなしつる身ならむと、かきくらし思ひ乱れて、枕も浮きぬばかり、人やりならず流し添へつつ、いささか隙(ひま)ありとて、人々立ち去り給へるほどに、かしこに御文奉れ給ふ。

 「今は限りになりにて侍る有様は、おのづから聞こしめすやうも侍らむを、いかがなりぬるとだに、御耳とどめさせ給はぬも、ことわりなれど、いと憂くも侍るかな」など聞こゆるに、いみじうわななけば、思ふことも皆書きさして、

 「いまはとて燃えむけぶりもむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ

 あはれとだに宣はせよ。心のどめて、人やりならぬ闇にまどはむ道の光にもし侍らむ」と聞こえ給ふ。

【現代語訳】
 「神仏をも恨みようがないのは、これもみな前世からの因縁であったのだろう。誰も千歳の松の寿命を保つことはできないこの世には、結局いつまでもとどまっていられないのだし、かりそめにも不憫をかけて下さるあの人(女三の宮)がいらっしゃるのを、一筋に思いを燃やした証にしよう。強いて生き続けていれば、いつかは忌まわしい評判も立って、自分にも宮にも大変な面倒が生じるかも知れぬ。それより今のうちに死んでしまったら、私を不届き者と思っていらっしゃるお方(源氏)も、いくら何でもお許し下さるだろう。万の罪も人の最期にはみな消えてしまうものだ。あの一件以外には何の過ちもないのだし、これまで長年の間、何かの折ごとにはお側近くにお置きくださったのだから、また憐れみも生じようか」など、所在ないままに考え続けるが、考えれば考えるほど、まことに情けない心地がする。

 それにしても、どうしてこんなに命を縮めるようなことをしてしまったのだろうと、目の前が真っ暗になるほど思い乱れて、枕も浮くばかりに、やり場のない涙を流し続ける。少し具合がよくなったといって、看護の人々が側を立ち去られたすきに、女三の宮に手紙をお差し上げになる。

 「今は最期になってしまった有様は、自然とお耳に入っていることでございましょうが、どんな様子かともお気をおとめくださらないのは、当然とはいえ残念でございます」など申し上げるが、ひどく手が震えるので、書きたいことも書きかけにして、

 
これを最期と私を葬る煙も燃えくすぶって、それでもあなたをあきらめきれない思いだけが残るのでしょう。

 せめて可愛そうにと、一言おっしゃってください。それで心を安めて、みずから求めてさまよう闇路の光としましょう」と申し上げなさる。

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■柏木、女三の宮と歌の贈答

 紙燭(しそく)召して御返り見給へば、御手も、なほいとはかなげに、をかしき程に書い給ひて、「心苦しう聞きながら、いかでかは。ただ推し量り。残らむとあるは、

 立ちそひて消えやしなましうきことを思ひみだるる煙(けぶり)くらべに

(おく)るべうやは」とばかりあるを、あはれに、かたじけなしと思ふ。

「いでや、この煙ばかりこそはこの世の思ひ出ならめ。はかなくもありけるかな」と、いとど泣きまさり給ひて、御返り、臥(ふ)しながら、うち休みつつ書い給ふ。言の葉のつづきもなう、あやしき鳥の跡のやうにて、

行く方なき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ちは離れじ

(ゆふべ)はわきて、眺めさせ給へ。咎め聞こえさせ給はむ人目をも、今は心安く思しなりて、かひ無きあはれをだにも、絶えずかけさせ給へ」など書き乱りて、心地の苦しさまさりければ、「よし、いたう更けぬさきに、帰り参り給ひて、かく限りの様になむとも、聞こえ給へ。今更に、人あやしと思ひ合はせむを、わが世の後さへ思ふこそ、口惜しけれ。いかなる昔の契りにて、いとかかる事しも、心に染みけむ」と、泣く泣くゐざり入り給ひぬれば、例は、無期(むご)にむかへ据(す)ゑて、すずろ言(ごと)をさへ言はせまほしうし給ふを、言(こと)少なにても、と思ふがあはれなるに、えも出でやらず。

【現代語訳】
 衛門督(柏木)が紙燭をお取り寄せになって、宮からのご返事をご覧になると、ご筆跡もまだまことに頼りない感じだが、きれいにお書きになって、「おいたわしく存じていますが、どうしてお伺いできましょう。ただお察しするばかりです。お歌に『思ひのなほや残らむ』とありますが、

 
あなたの煙といっしょに私も消えてしまいたいほどです。つらくて乱れる煙が、あなたとどちらがひどいか比べるために。

あなたに死に遅れるようなことがございましょうか」とだけあるのを、衛門督は、しみじみともったいなく思う。

 「ああ、この『煙くらべ』とあるお歌だけがこの世の思い出になろうとは。はかないご縁であったことよ」と、いよいよ激しくお泣きになって、御返事を、横になったまま筆を休み休みお書きになる。言葉も続かず、筆跡もおぼつかない鳥の足跡のようになって、

 
「行方も知らない大空の煙となったとしても、思うお方のお側を離れることはありますまい。

夕方には特に、私が煙となった空をお眺めください。お咎めになるお方のことも、私の亡き後はご心配にならず、今さら甲斐のないことですが、せめて憐れみだけはおかけください」などと乱れ書きし、ますます気持ちが苦しくなったので、「もうよい。あまり夜が更けぬうちに宮のもとに帰られて、このように臨終が迫っている様子だったとお伝え下さい。今さら人が不審がるだろうと死後のことまでも心配するのは辛いことです。いったいどのような前世の約束でこのように心にひどく染み付くのか」と、泣く泣く膝で這いながら部屋の中に入っていかれたので、いつもはずっとお引き留めになってたわいもない話までもお聞きなさろうとするのに、今日はお言葉も少ないと思うと、小侍従は、おいたわしくてすぐに立ち去ることもできない。

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■女三の宮、男児を出産

 宮は、この暮つ方より、なやましうし給ひけるを、その御気色と見奉り知りたる人々、騒ぎ満ちて、大殿(おとど)にも聞こえたりければ、驚きて渡り給へり。御心の中(うち)は、「あな口惜しや、思ひ交(ま)ずる方(かた)なくて見奉らましかば、めづらしく嬉しからまし」と思せど、人には気色漏らさじ、と思せば、験者(げんざ)など召し、御修法(ずほふ)は、いつとなく不断にせらるれば、僧どもの中に、験(げん)あるかぎり皆参りて、加持まゐり騒ぐ。

 夜一夜(よひとよ)、なやみ明かさせ給ひて、日さし上がる程に生まれ給ひぬ。男君と聞き給ふに、「かく忍びたる事の、あや憎(にく)にいちじるき顔つきにて、さし出で給へらむこそ、苦しかるべけれ。女こそ、何となく紛れ、あまたの人の見る者ならねば安けれ」と思すに、また、「かく心苦しき疑ひ交じりたるにては、心安き方にものし給ふも、いと良しかし、さてもあやしや、我、世とともに恐ろしと思ひし事の報いなめり。この世にて、かく思ひかけぬ事にむかはりぬれば、後の世の罪も、少し軽(かろ)みなむや」と思す。

 人、はた、知らぬ事なれば、「かく心ことなる御腹にて、末に出でおはしたる御おぼえいみじかりなむ」と、思ひ営み仕うまつる。御産屋(うぶや)の儀式いかめしうおどろおどろし。

【現代語訳】
 宮(女三の宮)はこの日の暮れごろからお苦しみになり、お産だと分かった人々が大騒ぎをして、大殿(源氏)にもご報告申し上げたので、驚いて宮のもとにおいでになった。お心の内では「何と残念なことか。心にわだかまりなくお産の世話ができるのなら、さぞ珍しく嬉しいことだろうに」とお思いになるが、人にはそのそぶりを漏らすまいとなされ、験者などを召して御修法はいつも不断におさせになる。僧の中でも霊験あらたかな者はみな参って大きな声で加持をしている。

 宮は一晩中お苦しみになり、朝日が昇るころにお生まれになった。男君とお聞きになって、源氏は「こうしてあの件は秘密にしているのに、あいにくとこの子がはっきりと分かるような顔だちであったら何としよう。女の子であれば何かとごまかしがきくし、多くの人に顔を見られるものではないので安心なのだが」とお思いになるが、また一方で、「このような気がかりがつきまとうので、むしろ世話の要らない男子であるのもよい。それにしても不思議なことだ。私が常々恐ろしく思い続けていた罪業の報いなのだろう。この現世でこう思いがけない報いを受けたのだから、来世での罪も少しは軽くなるだろうか」とお思いになる。

 女房たちはそんな事実を知らないので、「このように格別に高貴な御腹から、しかもお年を召してからお生まれになったお子へのご寵愛は大変なものだろう」と思って、心を込めてお世話申し上げる。おん産屋の儀式もご立派で、ものものしい。

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■女三の宮、出家を望む

 山の帝(みかど)は、めづらしき御事、平らかなりと聞こし召して、あはれにゆかしう思ほすに、かく悩み給ふ由(よし)のみあれば、「いかにものし給ふべきにか」と、御行ひも乱れて思しけり。さばかり弱り給へる人の、物を聞こし召さで、日ごろ経(へ)給へば、いと頼もしげなくなり給ひて、年ごろ見奉らざりし程よりも、院のいと恋しくおぼえ給ふを、「またも見奉らずなりぬるにや」と、いたう泣い給ふ。かく聞こえ給ふ様、さるべき人して伝へ奏せさせ給ひければ、いと堪へ難う悲しと思して、あるまじき事とは思し召しながら、夜(よ)に隠れて出でさせ給へり。

 かねてさる御消息も無くて、にはかに、かく、渡りおはしまいたれば、主(あるじ)の院、驚きかしこまり聞こえ給ふ。「世の中をかへり見すまじう思ひ侍りしかど、尚、惑ひさめ難きものは、この道の闇になむ侍りければ、行ひも懈怠(けだい)して、もし後(おく)れ先立つ道の道理のままならで別れなば、やがて、この恨みもや、かたみに残らむとあぢきなさに、この世の譏(そし)りをば知らで、かくものし侍る」と聞こえ給ふ。御容貌(かたち)(こと)にても、なまめかしうなつかしき様にうち忍びやつれ給ひて、うるはしき御法服(ほふぶく)ならず、墨染(すみぞめ)の御姿、あらまほしう清らなるも、うらやましく見奉り給ふ。例の、まづ涙落とし給ふ。「わづらひ給ふ御様、ことなる御悩みにも侍らず、ただ月ごろ弱り給へる御有様に、はかばかしう物なども参らぬつもりにや、かくものし給ふにこそ」など聞こえ給ふ。

 「かたはらいたき御座(おまし)なれども」とて、御帳の前に、御褥(しとね)参りて、入れ奉り給ふ。宮をも、とかう人々つくろひ聞こえて、床(ゆか)の下(しも)におろし奉る。御几帳少し押しやらせ給ひて、「夜居(よゐ)の加持僧(かぢそう)などの心地すれど、まだ験(げん)つくばかりの行ひにもあらねば、かたはらいたけれど、ただおぼつかなくおぼえ給ふらむ様を、さながら見給ふべきなり」とて、御目おし拭(のご)はせ給ふ。宮も、いと弱げに泣い給ひて、「生くべうもおぼえ侍らぬを、かくおはしまいたるついでに、尼になさせ給ひてよ」と聞こえ給ふ。

【現代語訳】
 山の帝(朱雀院)は、宮(女三の宮)の初産が無事におすみになったのをお耳にされて、しみじみ宮に会いたいとお思いになるが、ご病気というお便りばかりあるので、どうなられることやらと、朝夕のお勤めも手につかず案じていらっしゃった。ずいぶんと弱っていらっしゃるのに、何も召し上がらずに幾日もお過ごしなので、いよいよ衰弱してしまわれて、久しくお会い申し上げなかった間よりも院を恋しくお思いになり、「ひょっとしてもうお目にかかれなくなるのでしょうか」と、ひどくお泣きになる。そのような事情を、しかるべき人を介して奏上してお伝えになったので、院(朱雀院)は悲しさをこらえ難くお思いになられて、出家の身にあるまじき事とはお思いになりながら、夜に紛れて山をお出になられた。

 前もってそのご連絡もなく、急においでになったので、主の院(源氏)は驚いてご恐縮なさる。「もう俗世のことは気にかけないつもりでいましたが、子を思う道の迷いばかりは未だに覚めきれないので、勤行も怠りがちで、もし道理に反して子のほうが先立って相見ることもなく永の別れでもしてしまったら、そのままお互いに恨みが残ってしまうだろうと、それが無念なので、世間の譏りも構わずに、こうして下山してまいったのです」と仰せになる。ご出家姿ではあっても、優美で奥ゆかしく目立たぬようにおやつしになられて、立派な御法服ではなく墨染の御姿でいらっしゃるのが似つかわしく清らかにお見えになるのを羨ましく拝見し、主の院(源氏)はいつものようにまず涙をお落としになる。「ご病気は、これといったご容態でもございません。ただ長らく衰弱なさっていらっしゃるのに、さっぱりお食事をなさらないのが積み重なってこのようになっていらっしゃるのです」などと申し上げなさる。

 「お恥ずかしい御座ではございますが」と、御帳の前に御褥を用意して、院(朱雀院)をお入れ申し上げる。宮(女三の宮)をも、女房たちが身繕いをおさせ申して、床の下におろしてさしあげる。御几帳を少し押しやらさせて、「こうしていると夜直の加持の僧などの気分がしますが、まだ効験を現すほどの行いもできませんのが生憎ですが、せっかく会いたがっておいでになるとのことですから、ただこの姿をご覧になって下さい」とおっしゃって御目をお拭いになる。宮もひどく弱々しげにお泣きになり、「これ以上生きられそうにも思えませんので、こうしておいでになった機会に、私を尼にさせてくださいまし」と申し上げられる。

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■柏木の死

(一)
 「この世の別れ、去り難きことはいと多うなむ。親にも仕うまつりさして、今さらに御心どもを悩まし、君に仕うまつる事もなかばの程にて、身をかへりみる方、はたまして、はかばかしからぬ恨みをとどめつる、おほかたの嘆きをばさるものにて、また心の中(うち)に思ひ給へ乱るる事の侍るを、かかる今はのきざみにて、何かは漏らすべきと思ひ侍れど、なほ忍びがたきことを誰(たれ)にかは憂へ侍らむ。これかれあまたものすれど、さまざまなる事にて、更にかすめ侍らむも、あいなしかし。六条の院にいささかなる事の違(たが)ひ目ありて、月ごろ、心の内に、かしこまり申す事なむ侍りしを、いと本意(ほい)なう、世の中心細う思ひなりて、病(やまひ)づきぬと覚えはべしに、召しありて、院の御賀の楽所(がくそ)の試みの日参りて、御気色を賜りしに、なほ許されぬ御心ばへある様に、御眼尻(まじり)を見奉り侍りて、いとど、世に長らへむ事も憚り多う覚えなり侍りて、あぢきなう思ひ給へしに、心の騒ぎそめて、かく静まらずなりぬるになむ。

 人数(ひとかず)には思し入れざりけめど、いはけなうはべし時より、深く頼み申す心の侍りしを、いかなる讒言(ざうげん)などのありけるにかと、これなむ、この世の憂へにて残り侍るべければ、論(ろん)なう、かの後(のち)の世の妨げにもや、と思ひ給ふるを、事のついで侍らば、御耳とどめて、よろうしうあきらめ申させ給へ。亡からむ後(うしろ)にも、この勘事(かうじ)許されたらむなむ、御徳に侍るべき」など宣ふままに、いと苦しげにのみ見えまされば、いみじうて、心の内に思ひ合はする事どもあれど、さして確かには、えしも推し量らず。

【現代語訳】
 衛門督(柏木)は夕霧の大将に、「この世の別れということになりますと、諦めきれないことも随分多くございます。親にろくに孝行いたしませんでした上に今さらにお気持ちを悩まし、君にお仕え申すのも中途半端になりましたし、わが身を顧みましても捗々しい出世も出来ずじまいでした。そういう一通りの嘆きはそれといたしまして、まだ他に心の中に思い悩んでいることがあります。このような今わの際に口外すべきことではないと思いますが、やはり包み隠しておけないので、あなたの他の誰に打ち明けたらいいのでしょうか。兄弟たちが多くいるにはいますが、何かと差支えがあって、ほのめかすことさえ具合が悪いのです。実は私は、六条院(源氏)に対していささか不都合がございまして、ここ幾月、心の中で恐縮に存じ上げていた次第でしたが、それがいかにも不本意で、世の中を心細く感じるようになり、そのために病にかかったのかと思います。いつぞやお呼び出しがあって院(朱雀院)の御賀の試楽の日に参上し、ご機嫌を伺いましたところ、やはりお許しにならないらしいお目つきを拝見し、これ以上生き長らえるのも憚り多く思うようになり、もうどうにもならぬといった気持ちになりました。それから胸が休まらぬようになり、とうとう取り返しがつかなくなってしまったのです。

 院(源氏)は、私のことなど人数にも入らぬものとお思いでしょうが、幼い時から深くお頼り申し上げておりましたのに、何かの中傷があったのかと思うと、これが今生の恨みとして残れば必ず後世の妨げにもるでしょうから、何かの機会がございましたら、このことをお耳にとどめおかれて、よろしくお取りなしください。私が死んだ後でも、このお怒りが解けるようでしたら、あなたのご恩を有り難く存じます」などとおっしゃる間に、いよいよ苦しそうになるばかりなので、大将(夕霧)はたまらなくなって、心の中に思い当たることがいくつかあるものの、それと確かに察することができない。

(二)
 「いかなる御心の鬼にかは、さらにさやうなる御気色(けしき)もなく、かく重り給へるよしをも、聞き驚き嘆き給ふこと、限りなうこそ、口惜しがり申し給ふめりしか。など、かく思すことあるにては、今まで浅い給ひつらむ。こなたかなた、明(あき)らめ申すべかりけるものを。今は言ふかひなしや」とて、取り返さまほしう、悲しく思さる。「げに、いささかも隙(ひま)ありつる折、聞こえ承るべうこそ侍りけれ。されど、いとかう、今日明日(けふあす)としもやはと、みづからながら知らぬ命の程を、思ひのどめ侍りけるも、はかなくなむ。この事は、さらに御心より漏らし給ふまじ。さるべきついで侍らむ折には、御用意加へ給へとて、聞こえおくになむ。一条にものし給ふ宮、事にふれて訪(とぶら)ひ聞こえ給へ。心苦しきさまにて、院などにも聞こしめされ給はむを、つくろひ給へ」など宣ふ。言はまほしき事は多かるべけれど、心地せむ方なくなりにければ、「出でさせ給ひね」と、手かき聞こえ給ふ。加持(かぢ)まゐる僧ども近う参り、上(うへ)、大臣(おとど)などおはし集まりて、人々も立ち騒げば、泣く泣く出で給ひぬ。

 女御をばさらにも聞こえず、この大将の御方なども、いみじう嘆き給ふ。心おきての、あまねく、人の兄心(このかみごころ)にものし給ひければ、右の大殿(おほとの)の北の方も、この君をのみぞ、睦(むつ)まじきものに思ひ聞こえ給ひければ、よろづに思ひ嘆き給ひて、御祈りなど、とりわきてせさせ給ひけれど、やむ薬ならねば、かひなきわざになむありける。女宮にも、つひにえ対面(たいめ)し聞こえ給はで、泡の消え入るやうにて亡(う)せ給ひぬ。

【現代語訳】
 大将(夕霧)は「何をそう気に咎めていらっしゃるのでしょうか。父の院(源氏)は決してそのような御様子もなく、あなたが重態でいらっしゃるのを聞いて驚き嘆かれること限りなく、残念にお思いの様子でした。どうしてそんなお悩みがありながら、今まで私に打ち明けてくださらなかったのでしょう。お二方の間に立って事をはっきりとさせて上げられましたものを。今となってはどうにもならないではありませんか」と言って、過ぎ去った月日を取り戻せるものならと、悲しくお思いになる。衛門督は「いかにも、多少とも元気のあった時にご相談すべきでした。まさかこんなに急に今日明日に迫る命になるとは思いも寄らず、悠長に構えていたのは迂闊なことでした。どうかこの事は誰にもおっしゃらないでください。何かの機会がございましたら、ご配慮をお願いしたいばかりにお話しするのです。一条にお住まいの宮(落葉の宮、女三の宮の姉)を、何かの折には見舞ってあげてください。お気の毒な御身になられて、院(朱雀院)などのお耳にも入りましょうが、よろしくお取り計らいください」などとおっしゃる。言いたいことは多いようであったが、気力が尽きてしまわれたので、「もうお帰りください」と、手ぶりでおっしゃる。加持の僧たちが近く戻って参り、母上、父大臣などがお集まりになり、女房たちも立ち騒ぐので、大将(夕霧)は泣く泣く外にお出になった。

 衛門督の同母妹の弘徽殿女御は申すまでもなく、大将の北の方(夕霧の正妻・雲居雁)なども、たいそうお嘆きになる。衛門督は、常々どなたにも思いやりがあり、いかにも人の兄といったお人柄でいらしたので、右大臣殿の北の方(玉鬘・柏木の異母姉)も、この君だけを頼りになる兄と思っていらっしゃったので、万事につけお嘆きになり、御祈祷などを格別におさせになったが、効験はなく、甲斐のないことであった。女三の宮にもとうとうお会いになれないまま、泡の消えるようにお亡くなりになった。

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横笛(よこぶえ)

■柏木の一周忌

 故権大納言のはかなく亡(う)せ給ひにし悲しさを、飽かず口惜しきものに、恋ひ偲(しの)び給ふ人多かり。六条の院にも、大方につけてだに、世にめやすき人のなくなるをば惜しみ給ふ御心に、ましてこれは、朝夕に親しく参り馴れつつ、人よりも御心とどめ思したりしかば、いかにぞや思し出づる事はありながら、あはれは多く、折々につけて偲び給ふ。御はてにも、誦経(ずきやう)などとりわきせさせ給ふ。よろづも知らず顔に、いはけなき御ありさまを見給ふにも、さすがにいみじくあはれなれば、御心の中(うち)にまた心ざし給うて、黄金(こがね)百両をなむ別にせさせ給ひける。大臣(おとど)は心も知らでぞ、かしこまりよろこび聞こえさせ給ふ。

 大将の君も、事ども多くし給ひ、とりもちてねむごろに営み給ふ。かの一条の宮をも、この程の御心ざし深くとぶらひ聞こえ給ふ。兄弟(はらから)の君達よりもまさりたる御心の程を、いとかくは思ひ聞こえざりきと、大臣、上も喜び聞こえ給ふ。亡き後(あと)にも、世のおぼえ重くものし給ひける程の見ゆるに、いみじうあたらしうのみ、思し焦(こが)るること尽きせず。

【現代語訳】
 故権大納言(柏木)が儚くお亡くなりになった悲しさを、惜しんでも惜しみ足りなく、恋い偲ばれる人が多かった。六条院(源氏)も、どなたに限らず世間に有用な人が亡くなるのを惜しまれるご性分なので、ましてこれは、朝夕に親しく参り、他の人よりもお目をかけていらした方だから、けしからぬとお思いになることはあっても、故人を悼むお気持ちが多く、何かにつけてお偲びになる。一周忌の法事なども格別に立派におさせになる。何も知らずにいるあどけない若君(女三の宮が生んだ薫)のご様子をご覧になると、さすがにたまらなく不憫になられるので、御心の中でまた別に供養のお気持ちを起こされて、黄金百両を別に追善おさせになった。致仕の大臣は事情もご存知ないので、恐縮してお礼を言上なさる。

 大将の君(夕霧)もいろいろと御供養になり、御法事などのお世話役となってお勤めになる。あの一条宮にも、今回一周忌だということで、ご親切にお見舞いなさる。兄弟の君たちにも勝っている大将の御心の深さを、「こうまでして下さるとは存じ寄らなかった」と、父大臣も北の方もお悦びになる。亡くなった後にも世間の人望のほどが思いやられるので、ただもう残念なこととばかり、いつまでも恋い焦がれていらっしゃる。

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■夕霧、一条宮を訪れる

 秋の夕(ゆふべ)のものあはれなるに、一条宮を思ひやり聞こえ給ひて、渡り給へり。うちとけしめやかに、御琴(こと)どもなど弾き給ふ程なるべし。深くもえ取りやらで、やがてその南の廂(ひさし)に入れ奉り給へり。端(はし)つ方なりける人のゐざり入りつる気配どもしるく、衣(きぬ)の音なひも、大方の匂ひ香ばしく、心にくき程なり。例の、御息所(みやすどころ)対面し給ひて、昔の物語ども聞こえ交し給ふ。

 わが御殿(おとど)の、明け暮れ人繁くてもの騒がしく、幼き君達などすだきあわて給ふにならひ給ひて、いと静かにものあはれなり。うち荒れたる心地すれど、あてに気高く住みなし給ひて、前栽の花ども、虫の音(ね)しげき野辺(のべ)と乱れたる夕映えを見渡し給ふ。

 和琴(わごん)を引き寄せ給へれば、律(りち)に調べられて、いとよく弾きならしたる、人香(ひとが)にしみて、なつかしうおぼゆ。「かやうなるあたりに、思ひのままなるすき心ある人は、静むることなくて、様あしき気配をも現はし、さるまじき名をも立つるぞかし」など、思ひ続けつつ掻き鳴らし給ふ。故君(こぎみ)の常に弾き給ひし琴なりけり。

【現代語訳】
 秋の夕べの風情がある折から、大将(夕霧)は、一条宮はどうしておいでかと、お訪ねになる。打ちくつろいで、しめやかに御琴など弾いていらっしゃったところなのだろう。片付ける暇もなくて、そのままこの南の庇の間に大将をお入れになる。端の方にいた女房たちが奥にいざり入った気配がして、衣擦れの音も、あたりの芳しい匂いも奥ゆかしい。いつものように御息所がご対面されて、亡き人の生前のお話などを交わされる。大将は、ご自分の御殿では、朝夕人の出入りが多くて騒がしく、幼い君たちなどが大勢がやがやとしているのに慣れておいでなので、ここはまことに静かでしんみりしている。荒れた感じはあっても、上品に気高く住んでいらっしゃり、前栽の花々が、「虫の音しげき野辺」と乱れ咲いている夕映えをお見渡しになる。

 大将が和琴をお引き寄せになると、律の音に調整されていて、まことによく弾き込んであり、女の移り香もしみついて、心惹かれる。「このような所に来ると、心まかせの浮気心のある人は、自分を制することもできずにみっともない振舞いを見せて、けしからぬ浮名を立てたりするものだ」など思い続けながら、お掻き鳴らしになる。故君(柏木)がいつもお弾きになっていた楽器なのであった。

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■柏木遺愛の横笛

 殿(との)に帰り給へれば、格子など下ろさせて、みな寝給ひにけり。「この宮に心かけ聞こえ給ひて、かくねむごろがり聞こえ給ふぞ」など、人の聞こえ知らせたれば、かやうに夜更かし給ふもなま憎くて、入り給ふをも聞く聞く、寝たるやうにてものし給ふなるべし。「妹(いも)と我といるさの山の」と、声はいとをかしうて、独りごち歌ひて、「こはなどかく鎖(さ)し固めたる。あな埋(うも)れや。今宵(こよひ)の月を見ぬ里もありけり」と、うめき給ふ。格子上げさせ給ひて、御簾(みす)(ま)き上げなどし給ひて、端(はし)近く臥し給へり。「かかる夜の月に、心やすく夢みる人はあるものか。すこし出で給へ。あな心憂(う)」など聞こえ給へど、心やましううち思ひて、聞き忍び給ふ。
 
 君たちの、いはけなく寝おびれたる気配など、ここかしこにうちして、女房もさしこみて臥したる、人気(ひとげ)にぎははしきに、ありつる所の有様思ひ合はするに、多く変はりたり。この笛をうち吹き給ひつつ、「いかに名残もながめ給ふらむ。御琴(こと)どもは、調べ変らず遊び給ふらむかし、御息所(みやすどころ)も、和琴(わごん)の上手ぞかし」など、思ひやりて臥し給へり。「いかなれば、故君、ただ大方の心ばへは、やむごとなくもてなし聞こえながら、いと深き気色なかりけむ」と、それにつけてもいといぶかしう覚ゆ。「見劣りせむ事こそ、いといとほしかるべけれ、おほかたの世につけても、限りなく聞くことは、必ずさぞあるかし」など思ふに、わが御中の、うち気色ばみたる思ひやりもなくて、睦(むつ)びそめたる年月の程を数ふるに、あはれに、いとかう押し立ちて、おごりならひ給へるも、ことわりに覚えた給けり。

 すこし寝入り給へる夢に、かの衛門督、ただありしさまの袿姿(うちきすがた)にて、傍らにゐて、この笛をとりて見る。夢のうちにも、亡き人の、わづらはしう、この声をたづねて来たると思ふに、

笛竹に吹きよる風のことならば末の世ながき音(ね)に伝へなむ

思ふ方(かた)(こと)に侍りき」と言ふを、問はむと思ふほどに、若君の寝おびれて泣き給ふ御声に、さめ給ひぬ。

【現代語訳】
 大将(夕霧)は三条のお邸にお帰りになると、格子なども下ろさせて皆もうお休みになっていた。「近ごろはあの女宮(落葉の宮)にご執心で、ずいぶん親切にしていらしゃるのだ」などと誰かが北の方(雲居雁)に告げ口したので、こんなに夜遅くまで出歩いていらっしゃるのが憎らしくて、入ってこられたのを聞きながらも寝たふりをしていらっしゃるようだ。大将は「妹と我といるさの山の」と、まことに美しい声で独り言のようにお歌いになり、「これはどうしたことか。こんなに厳重に閉め切って。何とも鬱陶しい。今宵の月を見ない所もあろうとは」と不満な声をおあげになる。女房に格子を上げさせなさり、ご自分で御簾を巻き上げなどなさって、縁側近くに横になられた。「こんな素晴らしい夜の月にのんびり眠って夢を見ている人がありますか。少しは外にお出なさい。まったく風情のない」など仰せられるが、北の方は腹が立ってきて聞こえないふりをしていらっしゃる。

 そこら辺りに小さな子たちが寝ぼけた様子をしていて、女房たちも混み合って横になっている賑やかさを、先ほどの一条の宮の物静かさを考え合わせると、たいへん感じが違っている。大将はその笛を軽くお吹きになりつつ、「今頃あちら(落葉の宮)では、私が帰った後も物思いに沈んでいらっしゃるだろう。お琴などを調子も変えずに弄んでいらっしゃるだろうか。そういえば御息所も和琴の上手なのだから」などと想像しながら横になられる。「いったい故人(柏木)は、うわべでは宮(落葉の宮)を大事なお方としてお扱いになりながら、なぜ心から愛しくなさらなかったのだろう」と考えるにつけても訝しく思われる。「実際にお逢いしてがっかりするようなお方なら何ともお気の毒といったところだが、だいたい誰に限らず素晴らしい評判の女こそ必ず期待外れなものだ」など考えると、ご自身のご夫婦仲がこれまで浮気めいたことの疑いもなく仲良く連れ添ってきた年月を数えてみると、雲居雁がいつもこう強気で気位高くふるまっているのも無理もないとお思いになるのだった。

 少しまどろまれた夢に、かの衛門督(柏木)が生前そのままの袿姿で横に座っていて、枕元のこの笛を取って見ている。夢の中ながら、亡き人がこの笛に執着があって音をたずねてここへ来たのだと思っていると、

 (柏木)
竹に吹き寄る風のように、この笛を望んで寄ってくる人は、同じことなら長く子孫に伝えてほしい。

私が笛を伝えたい人は、あなたではなかったのです」と言うので、尋ねようと思ううちに、幼児が寝ぼけてお泣きになる声に目を覚まされた。

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鈴虫(すずむし)

■六条院における鈴虫の宴

 十五夜の夕暮に、仏の御前(おまへ)に宮おはして、端(はし)近うながめ給ひつつ念誦(ねんず)し給ふ。若き尼君たち二三人花奉るとて、鳴らす閼伽坏(あかつき)の音、水のけはひなど聞こゆる、さま変りたる営みに、そそきあへる、いとあはれなるに、例の渡り給ひて、「虫の音(ね)いとしげう乱るる夕(ゆふべ)かな」とて、我も忍びてうち誦(ずん)じ給ふ。阿弥陀の大呪(だいず)、いと尊くほのぼの聞こゆ。げに声々聞こえたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし。「秋の虫の声いづれとなき中に、松虫なむすぐれたるとて、中宮の遥けき野辺(のべ)を分けて、いとわざと尋ねとりつつ放たせ給へる、しるく鳴き伝ふるこそ少なかなれ。名には違(たが)ひて、命の程はかなき虫にぞあるべき。心にまかせて、人聞かぬ奥山、遥けき野の松原に、声惜しまぬも、いと隔て心ある虫になむありける。鈴虫は心やすく、今めいたるこそらうたけれ」など宣へば、宮、

おほかたの秋をば憂しと知りにしをふり捨て難き鈴虫のこゑ

と忍びやかに宣ふ、いとなまめいて、あてにおほどかなり。「いかにとかや。いで思ひのほかなる御言(こと)にこそ」とて、

こころもて草のやどりをいとへどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ

など聞こえ給ひて、琴(きん)の御琴(こと)召して、めづらしく弾き給ふ。宮の御数珠(ずず)引き怠り給ひて、御琴になほ心入れ給へり。月さし出でて、いとはなやかなる程もあはれなるに、空をうちながめて、世の中さまざまにつけて、はかなく移り変る有様も思し続けられて、例よりもあはれなる音(ね)に掻き鳴らし給ふ。

【現代語訳】
 八月十五夜の夕暮、仏前に女三の宮がおいでになり、部屋の端近くで物思いに沈みつつ読経なさっている。若い尼たちニ、三人が仏に花をお供えしようとして閼伽杯の音や水の音を鳴らすのが聞こえる。そんな世間離れしたお勤めに一同が精を出しているのはたいそう哀れな風情だが、そこへいつものように院(源氏)がお越しになり、「虫の声がひどく鳴き乱れる夕べですね」とおっしゃって、ご自分でも小声で経をお唱えになり、阿弥陀の大呪がまことに尊くほのぼのと聞こえる。いかにも多くの虫の声が聞こえている中に鈴虫が鳴き出したようすは、華やかでおもしろい風情である。

 源氏は「秋の虫の声は皆よいが、松虫こそがすぐれていると仰せになって、いつぞや中宮(秋好中宮)が遠い野辺に人をおやりになり、わざわざ探し求めてお庭にお放ちになったが、野原での鳴き声そのままに鳴くのは少なかったそうです。松虫というめでたい名に反して寿命の短い虫なのでしょう。人の聞かない奥山や遥かな野辺の松原では声を惜しまず鳴き、こちらでは鳴かないのも、ひどくよそよそしい虫なのですね。それに比べると、鈴虫は気さくで賑やかに鳴くのがまことに可愛げがありますね」などとおっしゃるので、宮(女三の宮)は、

 
大体のところ、秋は物憂い季節と分かっておりますが、鈴虫の声を聞くと、その秋も振り捨てにくいものです。

とひっそりとおっしゃるのが、まことに優美で気品高く大らかな感じである。源氏が、「何とおっしゃいましたか。まったく思いがけないお言葉です」と、

 
ご自分から草の宿(六条院)をお捨てになったけれども、やはりお声は鈴虫と同じ、若く美しいものです。

など仰せになり、琴のお琴を取り寄せられて久しぶりにお弾きになる。女三の宮は数珠を繰る手を思わずおとめになり、やはりお琴にはお心を惹かれていらっしゃる。月が差し出て美しいのも心打たれるが、院(源氏)は、空を振り仰いで物思いにおふけりになり、かつて契りを交わした恋人たちが様々にあっけなく出家したことを思い続けられて、いつもよりもいっそうしみじみとした音色に掻き鳴らしていらっしゃる。

(注)阿弥陀の大呪・・・極楽浄土を念ずる長句の呪文。

(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

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バナースペース

「若菜下」のあらすじ

(源氏41~47歳)
(紫の上33~39歳)
(女三の宮16~22歳)
(柏木26~32歳)


柏木は女三の宮への想いを捨てきれず、夕霧はそんな柏木の物憂げな様子を訝った。柏木は女三の宮を手に入れられないのなら、蹴鞠の日の猫だけでも手に入れたいと、東宮を経由して猫を借り受け、その猫をせめてもの心の慰めものとして日を送っていた。周囲の女房たちは不思議に思う。

数年が過ぎ、冷泉帝が譲位し、今上が即位した。次の東宮には明石女御の息子が立ち、太政大臣は致仕し、髭黒が右大臣、夕霧が大納言兼左大臣、柏木が中納言に昇進した。10月、源氏は紫の上や明石女御などをつれて、住吉明神に参詣した。まもなく女三の宮は二品(にほん)に叙せられた。紫の上は、一人寝の寂しさを明石女御がもうけた姫君の世話をすることで紛らわせていた。

翌年の正月、源氏は、朱雀院が50歳になる賀宴に先立って、六条院で女楽(おんながく)を催した。紫の上は和琴、明石女御は筝(そう)の琴、明石の君は琵琶、女三の宮は琴(きん)の琴を使い、優雅に合奏した。しかし、その翌朝、紫の上が突然発病し重篤に陥った。源氏はつきっきりで看病し、何とか少しずつ回復していった。

柏木は、女三の宮の姉である女二の宮(落葉の宮)と結婚したが、蹴鞠の日に見た女三の宮が忘れられず、賀茂の斎院の御禊の前日、乳母子の小侍従を介して女三の宮と会い、許されぬ契りを結んでしまった。罪の意識におののきながらも二人の密会は続き、やがて女三の宮は懐妊した。源氏は不審に思ったが、ある日、柏木の手紙を発見し、すべての秘密を知った。そして、かつての藤壺と自分との一件を回想し、宿命の恐ろしさを思い知った。

12月、朱雀院50歳の賀の試楽が催された日、柏木は源氏から冷たい視線を浴び、秘密がばれたことを知る。恐怖と心痛から、柏木はそのまま病床に臥してしまう。

「柏木」のあらすじ

(源氏48歳)
(紫の上40歳)
(女三の宮22~23歳)
(柏木32~33歳)
(夕霧27歳)


翌春、女三の宮は男児(薫)を出産した。周りは源氏と女三の宮の初めての子の誕生を大いに祝福するが、源氏は素直に喜ぶことができない。源氏の冷淡さを肌で感じている女三の宮も、心の悩みから産後も健康がすぐれず、見舞いに来た父、朱雀院に哀訴して出家した。源氏は、事情を知らない朱雀院が自分のいたらなさを責めるのではないかと心配する。

女三の宮の出家を聞いた柏木の病気はますます悪化。柏木は見舞いに来た夕霧に秘密を打ち明け、源氏の許しを乞い、妻の落葉の宮の行く末を頼んで間もなく死去した。長男を失った致仕の大臣の嘆きはひとかたではなかった。女三の宮も、柏木のせいでこのようになってしまったとはいえ、訃報を聞くと胸が痛んだ。4月、柏木の遺言どおり、夕霧は落葉の宮を訪ね、柏木をしのんだ。しばしば訪れるうち、夕霧は落葉の宮にほのかな愛情を持つようになった。

若君(薫)はすくすくと育ち、3月には五十日(いか)の祝いがあった。わが子の顔も見ずして死んだ柏木を、源氏は不憫に思う。薫を抱き上げて顔を眺めてみても、夕霧の赤子のころとは全く似ていない。目元はどこかやはり柏木に似ている。致仕の大臣が、せめて柏木が子を残してくれていたらと嘆いているが、この事実を伝えることなどできない。


※巻名の「柏木」は、夕霧の求愛に対する柏木の妻、落葉の宮の返歌「柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢か」が由来となっている。

「横笛」のあらすじ

(源氏 49歳)
(女三の宮 23~24歳)
(薫 2歳)
(夕霧 28歳)


翌春、源氏は柏木の一周忌を盛大に営んだ。彼が遺した息子の薫は、尼となった女三の宮のもとですくすくと成長している。朱雀院から贈られた筍(たけのこ)を取り散らかしてかじっている無邪気な姿を見て、源氏も一瞬あの憂さを忘れてしまう。

夕霧は落葉の宮を訪ねているうちに、いつしか宮に引かれていった。ある秋の夕暮れ、夕霧は落葉の宮を訪ね、一条御息所(落葉の宮の母)から柏木遺愛の横笛を贈られた。その夜、夕霧は夢に柏木の亡霊と会い、柏木は、横笛は自分の子孫に伝授したいと言う。子孫とは誰かと尋ねる間もなく目が覚める。

翌日、夕霧は六条院に源氏を訪ねた。そこにいた薫の顔を見ると、柏木に似ていると直感した。源氏に昨夜の夢を語ると、その笛は訳あってこちらで預かるといって召しあげられてしまった。そこで、柏木の遺言の真相を聞いたが、源氏は素知らぬふりをしていた。


※巻名の「横笛」は、柏木遺愛の横笛を贈られた夕霧の歌「 横笛の調べはことに変はらぬをむなしくなりし音こそ尽きせね」が由来となっている。

「鈴虫」のあらすじ

(源氏 50歳)
(女三の宮 24~25歳)
(薫 3歳)
(秋好中宮 41歳)
(夕霧 29歳)


夏、蓮の花が咲くころ、まもなく新築される念誦堂のために女三の宮が仏事を営んだ。源氏や紫の上の気配りは格別で、儀式は盛大に行われた。

 8月の十五夜、源氏が女三の宮を訪ねた折、源氏の弟の蛍兵部卿の宮や夕霧たちが集まってきて、鈴虫の声を聞く宴が催された。その席上、源氏は柏木を思い出し、涙を落とした。そこへ冷泉院から招きの使者があり、皆うちそろって参上し、夜を徹して詩歌を作り興を尽くした。

 翌日、源氏は秋好中宮を訪問した。中宮は出家したいと言い出した。亡き母、六条御息所がいまだに物の怪となって現れることがあり、死後も成仏できずにいると悲観してのことだった。源氏は出家をいさめ、追善供養を勧めた。


※巻名の「鈴虫」は、庭の虫の音に耳傾けながら、源氏と唱和した女三の宮の歌「大かたの秋をば憂しと知りにしをふり捨て難き鈴虫の声」などが由来になっている。

女君の性格

葵の上
 源氏の最初の正妻で、4歳年上。典型的なお嬢様タイプで、性格は冷たく、感情があまり表に出ない。関係が早いうちに冷めていたせいか、源氏が他の女性のもとに通うようになっても不満一つ漏らさない。

藤壺
 源氏の父・桐壺帝の中宮。亡き桐壺の更衣に酷似するというので源氏に慕われ、不義の子を産む。罪の意識にさいなまれ、また源氏とわが子の立場を守るために出家する。慕われる相手からの押しには弱い面があるが、よくないことはきっぱりと乗り越える強さもある。

六条御息所
 源氏の愛人。情熱的で嫉妬深さを併せ持つ。人目を気にして表面は気持ちを抑えるが、生霊や死霊になって祟るほど執念深い。

紫の上
 10歳のころに源氏に見初められ、後に正妻格となった。無邪気で素直な性格で、源氏最愛の女性。源氏が須磨に退隠した時期を除き、常に源氏の傍らにあったが、子どもはできなかった。

花散里
 源氏の父・桐壺帝の女御だった女性。その縁から、宮中で関係を持つ間柄となった。妻になれないのを不安に思うが、たまに源氏がやって来ると、嬉しい気持ちがまさって恨めしくおもっていたことも忘れてしまう。世話好きな性分で、後に源氏の息子・夕霧の養育を託される。

明石の上
 源氏が明石に退隠した時の愛人。地方役人の娘という低い身分ながら、謙虚で奥ゆかしく気品もある。源氏の一人娘を産んだことにより、紫の上、花散里に次ぐ地位を得る。

夕顔
 源氏の親友・頭の中将の愛人だった女性で、二人の間には子供も生まれていた。あちこちの女性にうつつを抜かす頭中将に、不満を漏らすことなく、いじらしく尽くす。従順でおっとりした、かよわい雰囲気の女性。

朧月夜
 右大臣の娘で、母は弘徽殿女御(天皇の母)という高貴な身分だが、自分の気持ちに素直にふるまう女性。皇太子妃になる予定がありながら、源氏との関係を持つ。自由奔放ゆえに悩みの多い人生だった。

末摘花
 常陸宮の娘だが、父を亡くしてからは生活に困窮するようになる。容姿は醜悪で、不器用で古風で頑固なところがあったが、その裏面にある誠実な一途さに源氏は心を打たれる。

玉鬘
 源氏の親友・頭の中将の生き別れの娘(母は夕顔)。先に見つけた源氏が引き取って自分の養女にした。田舎育ちながら母よりも美しく聡明で、出処進退や人への対応の見事なことよと源氏を感心させた。

浮舟
「宇治十帖」に登場するヒロイン。母親に守られながら育てられ、母の言うことを絶体とし、自己決定ができず、ひたすら受け身の性格。東国からいきなり都へ連れてこられ、薫に一目ぼれされたと思ったら、宇治へ連れていかれる。

年中行事

1月(睦月)
四方拝
白馬節会
七草・人日
県召除目
射礼
子日宴
卯杖・卯槌

2月(如月)
祈年祭

3月(弥生)
司召除目
曲水宴
上巳(雛祭)

4月(卯月)
更衣
灌仏(仏生会)
賀茂祭

5月(皐月)
端午節会

6月(水無月)
大祓

7月(文月)
乞巧奠(七夕)
盂蘭盆
相撲節

8月(葉月)
仲秋観月

9月(長月)
重陽

10月(神無月)
更衣

11月(霜月)
五節
新嘗祭
豊明節会

12月(師走)
御仏名
荷前の使
大祓
追儺