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源氏物語

「源氏物語」の先頭へ 各帖のあらすじ

夕霧

■夕霧、落葉の宮と歌の贈答

 日入り方になりゆくに、空のけしきもあはれに霧(き)りわたりて、山の蔭(かげ)は小暗(をぐら)き心地するに、ひぐらしの鳴きしきりて、垣ほに生ふる撫子(なでしこ)のうちなびける色もをかしう見ゆ。前の前栽(せんざい)の花どもは、心にまかせて乱れあひたるに、水の音いと涼しげにて、山おろし心すごく、松の響き木深(こぶか)く聞こえわたされなどして、不断の経(きやう)読む時かはりて、鐘うち鳴らすに、立つ声も居かはるも一つにあひて、いと尊く聞こゆ。所がらよろづの事心細う見なさるるも、あはれに物思ひつづけらる。出で給はむ心地もなし。律師も、加持する音して、陀羅尼(だらに)いと尊く読むなり。

 いと苦しげにし給ふなりとて、人々もそなたに集ひて、おほかたも、かかる旅どころにあまた参らざりけるに、いとど人少なにて、宮はながめ給へり。しめやかにて、思ふこともうち出でつべき折かなと思ひゐ給へるに、霧のただこの軒(のき)のもとまで立ち渡れば、「まかでむ方も見えずなりゆくは、いかがすべき」とて、

 山里のあはれをそふる夕霧にたち出でむ空もなき心地して

と聞こえ給へば、

 山がつのまがきをこめて立つ霧も心そらなる人はとどめず

ほのかに聞こゆる御けはひに慰めつつ、まことに帰るさ忘れはてぬ。

 「中空(なかぞら)なるわざかな。家路(いへぢ)は見えず、霧の籬(まがき)は、立ち止まるべうもあらずやらはせ給ふ。つきなき人はかかる事こそ」などやすらひて、忍びあまりぬる筋もほのめかし聞こえ給ふに、年ごろもむげに見知り給はぬにはあらねど、知らぬ顔にのみもてなし給へるを、かく言(こと)に出でて恨み聞こえ給ふを、わづらはしうて、いとど御答(いら)へもなければ、いたう嘆きつつ、心の中(うち)に、またかかる折ありなむやと、思ひめぐらし給ふ。

【現代語訳】
 日暮れに近づくにつれ、空にもしっとりと霧がかかって山蔭が薄暗くなっていくように感じられる中、ひぐらしがしきりに鳴き、垣根に咲いている撫子が風になびく色合いも美しく見える。御前の前栽の花々は思い思いに咲き乱れ、遣水の音がまことに涼しそうで、山おろしの風音が松の深い木立一面に響き渡るのに、不断の経を読む交代の時になり鐘を打ち鳴らすと、立ち去る僧と交代する僧の声が一つになって尊く聞こえる。こういう場所柄すべてが心細く見えて、夕霧の大将はしみじみと物思いにふけっていらっしゃる。立ち去ろうというお気持ちにもならない。律師も加持祈祷をしているらしく、陀羅尼をたいそう尊い声で読んでいる。

 御息所がひどく苦しそうにしていらっしゃるというので、女房たちも皆そちらに集まり、元々こんな旅先の仮住まいに多くはお供していなかったので、ますます人が少ない中、落葉の宮はぼんやりと物思いに沈んでいらっしゃる。ひっそりしていて、夕霧の大将は胸の内を打ち明けるのによい機会であると思っていらっしゃると、霧が軒の下まで立ち込めてきたので、「帰り道も見えなくなってきましたが、どうしたものでしょう」と言って、

 
山里の寂しい気持ちをつのらせるこの夕霧の中、帰ってゆく気持ちになれません。

と申し上げなさると、

 
いやしい山里の垣根をつつんで立ちこめる霧も、気持ちの浮ついているお方をお引き留めはしません。

こうおっしゃるお声がほのかに聞こえてくる気配に大将は心慰められ、本当に帰る気持ちも失せてしまった。

 大将は、「どうしてよいか判断のつかぬことです。帰り道は見えないし、霧立つ垣根は、立ち止まることもできないように私を追い払おうとします。こういうことに不慣れなので途方に暮れてしまいます」などと、抑えきれないお気持ちを仄めかしになるので、宮はこれまでもお気づきにならなかったわけではないものの、ずっと知らぬ顔で通してこられたのに、大将がこう言葉に出してお恨みになるのを面倒にお思いになり、いよいよ何のお返事もなさらないので、大将は深くため息をつきながら、心の中では「二度とこんな機会があろうか」と思案なさる。

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■一条御息所からの手紙

 大将殿は、この昼つ方、三条殿におはしにける。今宵たち返りまで給はむに、事しもあり顔に、まだきに聞き苦しかるべし、など念じ給ひて、いとなかなか、年ごろの心もとなさよりも、千重(ちへ)にもの思ひ重ねて嘆き給ふ。北の方は、かかる御歩(あり)きのけしきほの聞きて、心やましと聞きゐ給へるに、知らぬやうにて、君だちもてあそび紛らはしつつ、わが昼の御座(おまし)に臥し給へり。

 宵過ぐる程にぞ、この御返り持て参れるを、かく例にもあらぬ鳥の跡のやうなれば、とみにも見解き給はで、御殿油(となぶら)近う取り寄せて見給ふ。女君、もの隔てたるやうなれど、いととく見つけ給うて、這ひ寄りて、御背後(うしろ)より取り給うつ。「あさましう、こはいかにし給ふぞ。あな、けしからず。六条の東の上の御文なり。今朝、風邪おこりて悩ましげにし給へるを、院の御前(おまへ)に侍りて出でつる程、またも参(ま)うでずなりぬれば、いとほしさに、今の間(ま)いかにと聞こえたりつるなり。見給へよ、懸想(けさう)びたる文のさまか。さてもなほなほしの御さまや。年月に添へて、いたう侮(あなづ)り給ふこそうれたけれ。思はむところをむげに恥ぢ給はぬよ」と、うちうめきて、惜しみ顔にもひごじろひ給はねば、さすがに、ふとも見で、持(も)給へり。

【現代語訳】
 夕霧の大将は、この日の昼ごろに三条殿(夕霧の本邸)にお帰りになったが、今宵再び小野へお出向きになるのは、いかにも昨夜に宮との間に何かあったようで、まだそこまで進んでいないのに外聞も悪かろうと我慢なさるが、かえってこれまでのじれったさの千倍にも物思いが重なったようにお嘆きになる。北の方(雲居雁)は、こうしたお忍び歩きの様子を耳にして嫌な気持ちでいらしたが、そ知らぬふりをしてお子たちを相手に気を紛らわしながら、ご自分の昼の御座所で横になっていらっしゃる。

 宵を過ぎるころに、使いの者が小野からのお返事を持って来たが、いつもの落葉の宮とは違う鳥の足跡のような筆跡なので、すぐには判読になれず、灯火を近く取り寄せてご覧になる。女君(雲居雁)は、物を隔てていても素早くお見つけになり、そっと近づいて後ろから手紙を取ってしまわれた。「呆れたことを。何ということをなさるのだ。まったくけしからぬ。それは六条の東の上(花散里)からのお手紙だ。今朝、風邪でご気分を悪くしていらっしゃったが、父院(源氏)の御前に伺候していて、伺わないままに出てしまったので、おいたわしさに、今のお加減はいかがですかと申し上げたのだ。ご覧なさい、これが懸想文めいた書きようですか。何とも下品ななさり方だ。年月が経つにつれて私をないがしろになさるのが情けない。私にどう思われようとも構わないのですか」と呻いて、そう大事そうに取り返そうともなさらないので、女君(雲居雁)は、手紙を奪ったものの、すぐには見ずに手に持っていらっしゃる。

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■夕霧、落葉の宮と契る

 かうのみ痴(し)れがましうて、出で入らむもあやしければ、今日はとまりて、心のどかにおはす。かくさへひたぶるなるを、あさましと宮は思(おぼ)いて、いよいようとき御気色のまさるを、をこがましき御心かなと、かつは辛きもののあはれなり。塗籠(ぬりごめ)も、殊(こと)にこまかなる物多うもあらで、香(かう)の御唐櫃(からびつ)、御厨子(づし)などばかりあるは、こなたかなたにかき寄せて、け近うしつらひてぞおはしける。内は暗き心地すれど、朝日さし出でたるけはひ漏り来たるに、埋(うづ)もれたる御衣(ぞ)ひきやり、いとうたて乱れたる御髪(みぐし)かきやりなどして、ほの見奉り給ふ。いとあてに女しう、なまめいたるけはひし給へり。

 男の御さまは、うるはしだち給へる時よりも、うちとけてものし給ふは、限りもなう清げなり。故君(こぎみ)の異なる事なかりしだに、心の限り思ひ上がり、御容貌(かたち)まほにおはせずと、事の折に思へりし気色を思し出づれば、まして、かういみじう衰へにたる有様を、しばしにても見忍びなむやと思ふも、いみじう恥づかし。とざまかうざまに思ひめぐらしつつ、わが御心をこしらへ給ふ。ただかたはらいたう、ここもかしこも、人の聞き思さむことの罪、避(さ)らむ方なきに、折りさへいと心憂ければ、慰め難きなりけり。

【現代語訳】
 夕霧の大将は、いつもこのような恰好で一条宮に出入りするのも変なので、今日は泊まってゆったりしていらっしゃる。これほど強引なのを、落葉の宮は呆れたこととお思いになり、ますます疎ましいご様子でいらっしゃるのを、大将は、愚かしいお方よと恨めしく思う一方で哀れにもお思いになる。塗籠の中にはそうこまごました調度などが多くはなく、香の御唐櫃、御厨子などをここかしこに集めて手近に御座所をこしらえて座っていらっしゃる。中は暗い感じがするが、朝日の光が漏れ入ってきたので、大将は宮が被っているお召し物を引きのけ、ひどく乱れた御髪をかきあげたりして、わずかに宮のお顔をご覧になる。まことに上品で女らしく優美な感じでいらっしゃる。

 男のご様子は、威儀を正していらっしゃる時よりも、こうしてくつろいでいらっしゃるお姿のほうがこの上なく美しく見える。亡き夫君(柏木)は格別の容貌でもなかったのに、いい気に思い上がって、私の器量が何かと気に入らない気配だった。今はましてひどく衰えている姿を、大将がしばらくの間でも我慢できるだろうかと思うのも、たまらなく恥ずかしい。あれこれ思い巡らしつつ、宮はご自分のお気持ちを静めようとなさる。ただ、あちらのお方、こちらのお方が苦々しくお感じになったら申し開きもできないし、しかも今は喪中であるのもひどく気がかりで、心の慰めようがない。

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御法(みのり)

■紫の上、出家を志す

 紫の上、いたうわづらひ給ひし御心地の後(のち)、いとあつしくなり給ひて、そこはかとなく悩みわたり給ふこと久しくなりぬ。いとおどろおどうしうはあらねど、年月重なれば、頼もしげなく、いとどあえかになりまさり給へるを、院の思ほし嘆くこと限りなし。しばしにても後(おく)れ聞こえ給はむことをば、いみじかるべく思(おぼ)し、みづからの御心地には、この世に飽かぬことなく、うしろめたき絆(ほだし)だにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめまほしき御命とも思されぬを、年ごろの御契りかけ離れ、思ひ嘆かせ奉らむことのみぞ、人知れぬ御心の中(うち)にも、ものあはれに思されける。後(のち)の世のためにと、尊き事どもを多くせさせ給ひつつ、いかでなほ本意(ほい)あるさまになりて、しばしもかかづらはむ命のほどは行ひを紛れなくと、たゆみなく思し宣へど、さらに許し聞こえたまはず。

 さるは、わが御心にも、しか思しそめたる筋なれば、かくねんごろに思ひ給へるついでに催されて、同じ道にも入りなむと思せど、一たび家を出で給ひなば、仮にもこの世をかへりみむとは思し掟(おき)てず。後の世には、同じ蓮(はちす)の座をも分けむと契りかはし聞こえ給ひて、頼みをかけ給ふ御仲なれど、ここながら勤め給はむほどは、同じ山なりとも、峰を隔ててあひ見奉らぬ住み処(か)にかけ離れなむ事をのみ思しまうけたるに、かくいと頼もしげなきさまに悩みあつい給へば、いと心苦しき御ありさまを、今はと行き離れむきざみには捨てがたく、なかなか山水の住み処(か)濁りぬべく、思しとどこほるほどに、ただうちあさへたる思ひのままの道心(だうしん)起こす人々には、こよなう後れ給ひぬべかめり。

 御許しなくて、心ひとつに思し立たむも、さま悪しく本意なきやうなれば、この事によりてぞ、女君は恨めしく思ひ聞こえ給ひける。わが御身をも、罪軽(かろ)かるまじきにやと、うしろめたく思されけり。

【現代語訳】
 紫の上は、いつぞやひどくお患いになってからめっきり病弱になられて、どこということもなくご気分がすぐれないままでいらっしゃる。そう重いご病状というわけではないが、長い年月になるので、回復しそうになくますます弱々しくなっていかれ、院(源氏)のご心痛はこの上もない。ほんの少しの間でもご自分が後にお残りになることを堪え難くお思いになるし、紫の上ご自身はこの世に未練はなく、気にかかるお子たちもない御身なので、無理に生き続けたいお命ともお思いにならないが、院(源氏)との長年の御夫婦の契をたがえ、どんなにお悲しませ申し上げることになろうかと、それだけを人知れず悲しく思っていらしゃる。後生のためにと様々の仏事どもを行わせなさっては、やはり何とかして望みどおり出家を遂げ、ほんの少しでも命の続く限りはお勤めに専念したいと願い、そうおせがみになるけれど、院はどうしてもお許しにならない。

 というのは、院ご自身も出家しようとご決心なさっていることなので、紫の上がこう熱心に仰せになるなら、それを機にご自身も発起して同じ道に入ろうかともお思いになるものの、しかしいったん出家すれば、かりにも俗世を顧みてはならないものと覚悟を決めていらっしゃる。あの世では同じ蓮の座を分け合おうとお約束になり、それを頼みにしていらっしゃるご夫婦仲ではあるが、この世でのお勤めの間は、たとえ同じ山であっても峰を隔てて顔も見られない住処に離れて住むべきとお考えなので、紫の上がこんなにも弱々しく病の床に臥していらっしゃると、いよいよ世を離れようという段になると見捨てがたく、かえって今以上に心が乱れて清い山水の住処が濁ってしまうに違いないとためらっておいでのうちに、ほんの浅い考えで思うままに道心を起こす人々に比べて、ひどく後れをとっておしまいになりそうである。

 女君は、院(源氏)のお許しがないのにご自身の一存で出家を決意なさるのも、体裁が悪く不本意のようでもあるので、まさにこの一事によって院を恨めしくお思いになる。そして、ご自身の御身についても、前世からの罪障が深いせいではないかとご心配なさるのだった。

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■幼き者との別れ

 三の宮は、あまたの御中に、いとをかしげにて歩(あり)き給ふを、御心地の隙(ひま)には前に据(す)ゑ奉り給ひて、人の聞かぬ間(ま)に、「まろが侍らざらむに、思し出でなむや」と聞こえ給へば、「いと恋しかりなむ。まろは、内裏(うち)の上よりも宮よりも、母をこそまさりて思ひ聞こゆれば、おはせずは心地むつかしかりなむ」とて、目おしすりて紛らはし給へるさま、をかしければ、ほほ笑みながら涙は落ちぬ。

 「大人(おとな)になり給ひなば、ここに住み給ひて、この対の前なる、紅梅と桜とは、花の折々に心とどめてもて遊び給へ。さるべからむ折は、仏にも奉り給へ」と聞こえ給へば、うちうなづきて、御顔をまもりて、涙の落つべかめれば、立ちておはしぬ。とり分きて思し奉り給へれば、この宮と姫宮とをぞ、見さし聞こえ給はむこと、口惜しくあはれに思されける。

【現代語訳】
 三の宮(紫の上が養育した匂宮:明石の中宮の子)が、多くの御子たちに交じってとても可愛らしい姿で歩き回っていらっしゃるのを、紫の上は、少しご気分がよい時にはご自分の前にお座らせになって、誰も聞いていない間に、「私がいなくなったら、思い出してくださいますか」とお尋ねになると、匂宮は「ひどく恋しいことでしょう。私は父帝よりも母宮よりも、祖母様(あばあさま)のことがずっと好きですので、いなくなってしまわれたら機嫌が悪くなります」と、目をこすって涙を紛らわしていらっしゃるあどけなさに、紫の上はほほ笑みながらも涙がこぼれる。

 紫の上が「大人になられたら、ここにお住まいになって、この対の屋の前にある紅梅と桜を、花の季節には忘れずご覧ください。何かの折には仏にもお供えください」とおっしゃると、宮はこっくりとうなずいてじっとお顔をご覧になるうちに、涙が落ちそうなので、立ってあちらに行ってしまわれた。上は、この宮(匂宮)と姫宮(女一の宮)を特に心にかけてお育てになったので、これからはそれができなくなるのを残念に悲しく思われるのだった。

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■紫の上の死

(一)
 秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては、御心地もいささかさわやぐやうなれど、なほともすればかごとがまし。さるは身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けき折がちにて過ぐし給ふ。

 中宮は参り給ひなむとするを、「今しばしは御覧ぜよ」とも聞こえまほしう思せども、さかしきやうにもあり、内裏(うち)の御使ひの隙(ひま)なきもわづらはしければ、さも聞こえ給はぬに、あなたにもえ渡り給はねば、宮ぞ渡り給ひける。かたはらいたけれど、げに見奉らぬもかひなしとて、こなたに御しつらひを殊(こと)にせさせ給ふ。こよなう痩(や)せ細り給へれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりて、めでたかりけれ、と、来(き)し方(かた)あまりにほひ多く、あざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花のかをりにもよそへられ給ひしを、限りもなくらうたげにをかしげなる御さまにて、いとかりそめに世を思ひ給へる気色、似るものなく心苦しく、すずろにもの悲し。

【現代語訳】
 ようよう秋の季節になり、少し涼しくなったので、紫の上のご気分もいくらかよくなられたようであるが、やはりちょっとしたことで悪くなられる。まだ身にしみて感じられるほどの秋風ではないが、涙を誘われがちの日々をお過ごしになっている。

 中宮(明石の中宮)が参内なさるご予定なのを、「もうしばらくご滞在ください」とも申し上げたくお思いになるが、それも出過ぎるようでもあり、帝からのご催促の御使がしきりにあるので、そうも申し上げられずにいらっしゃると、こちらからはお参りになれないご容態なので、中宮の方からお暇乞いにおいでになった。恐れ多いことながら、このまま中宮にお目にかからずにはいられないお気持ちなので、中宮の御座所を特別にしつらえさせなさる。ひどく痩せ細っていらっしゃったが、そのためにかえって上品でお美しさもひとしおとお見受けされ、昔はあまりに色香があり華やかでいらっしゃり、その時にはこの世の花の薫りにもたとえられていらっしゃったが、今は比べようもなくお可愛らしい感じの美しさで、世をはかなくお思いの面持ちなど、たとえようもなくおいたわしく、無性にもの悲しく感じられる。

(二)
 風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽(せんざい)見給ふとて、脇息(けふそく)により居給へるを、院渡りて見奉り給ひて、「今日は、いとよく起き居給ふめるは。この御前(おまへ)にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえ給ふ。かばかりの隙(ひま)あるをも、いと嬉しと思ひ聞こえ給へる御気色を、見給ふも心苦しく、つひにいかに思し騒がむと思ふに、あはれなれば、

 おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩(はぎ)のうは露

げにぞ、折れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたる折さへ忍びがたきを、見出だし給ひても、

 ややもせば消えをあらそふ露の世におくれ先立つほど経ずもがな

とて、御涙を払ひあへ給はず。宮、

 秋風にしばしとまらぬ露の世を誰か草葉のうへとのみ見む

と聞こえかはし給ふ。

 御容貌(かたち)どもあらまほしく、見るかひあるにつけても、かくて千年(ちとせ)を過ぐすわざもがな、と思さるれど、心にかなはぬ事なれば、かけとめむ方なきぞ悲しかりける。

 「今は渡らせ給ひね。乱り心地いと苦しくなり侍りぬ。言ふかひなくなりにけるほどと言ひながら、いとなめげに侍りや」とて、御几帳(きちやう)引き寄せて臥し給へるさまの、常よりもいと頼もしげなく見え給へば、「いかに思さるるにか」とて、宮は御手をとらへ奉りて泣く泣く見奉り給ふに、まことに消えゆく露の心地して、限りに見え給へば、御誦経(みずきやう)の使ども、数も知らず立ち騒ぎたり。さきざきもかくて生き出で給ふ折にならひ給ひて、御物怪(もののけ)と疑ひ給ひて、夜一夜(よひとよ)さまざまの事をし尽くさせ給へど、かひもなく、明けはつるほどに消えはて給ひぬ。

【現代語訳】
 風がひどく吹いてきた夕暮れに、前栽をご覧になろうと脇息にもたれていらっしゃると、院(源氏)がおいでになってこの様子をご覧になり、「今日はよく起きていらっしゃいますね。中宮の御前なので、たいそうご気分も晴れ晴れなさっているようですね」と仰せになる。紫の上は、その程度のことで喜んで下さる院のご様子をご覧になるのも心苦しく、これではいよいよという時にはどれほどお嘆きになるだろうかと思うと、悲しくて、

 
こうして私が起きているとご覧になってもしばらくのこと、萩の葉の上の露のように、吹く風にすぐに消え果ててしまいましょう。

いかにも、風にしなって折れたり元に戻ったりしてとどまらない萩の枝が、ご自身によそえられている。源氏はこらえがたいお気持ちで庭前の風情をご覧になり、

 
どうかすると先を争って消える露にも等しいはかない命なら、先になったり後になったりせず、いっしょに消えたいものです。

とおっしゃり、涙をお拭いになることもできない。宮(明石の中宮)は、

 
秋風に吹かれて、しばらくの間もとどまらずに散る露のはかなさは、誰が草葉の上のことだけと思いましょう。私どももみな同じことです。

と、お互いにお詠み交わしになる。どなたも申し分なくまことに美しいお姿をしていらっしゃるのを、このまま千年を過ごすことができたらよいのにとお思いになるが、心にかなわぬことなので、消えゆく命を引き留める方法がないのは悲しいことであった。

 紫の上が「もうお帰りください。気分がひどく苦しくなってきました。どうにもならないとは申せ、たいそう失礼になりますから」と、御几帳を引き寄せて横になられるご様子がいつもよりもひどく頼りなさそうにお見えなので、「どのような御具合ですか」と、宮(明石の中宮)が紫の上の御手をお取りになり泣く泣くご覧になると、本当に露が消えてゆくようにもはやこれが最期と思われるので、御誦経の使者どもが数知れず差し向けられる騒ぎとなった。以前もこうして正気に戻られたので、今度も御物の怪のしわざとお疑いになり一晩中さまざまの手立てを尽くさせなさったが、その甲斐もなく、夜が明けきる頃にお亡くなりになった。

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■紫の上の死に顔に見入る

 年ごろ何やかやと、おほけなき心はなかりしかど、「いかならむ世に、ありしばかりも見奉らむ。ほのかにも御声をだに聞かぬこと」など、心にも離れず思ひ渡りりつるものを、声はつひに聞かせ給はずなりぬるにこそはあめれ、むなしき御骸(から)にても、いま一たび見奉らむの心ざしかなふべき折は、ただ今よりほかにいかでかあらむ、と思ふに、つつみもあへず泣かれて、女房の、ある限り騒ぎ惑ふを、「あなかま、しばし」としづめ顔にて、御几帳の帷子(かたびら)を、もの宣ふ紛れに引き上げて見給へば、ほのぼのと明けゆく光もおぼつかなければ、大殿油(おほとなあぶら)を近くかかげて見奉り給ふに、飽かずうつくしげに、めでたう清らに見ゆる御顔のあたらしさに、この君のかくのぞき給ふを見る見るも、あながちに隠さむの御心も思されぬなめり。

 「かく何事もまだ変らぬけしきながら、限りのさまはしるかりけるこそ」とて、御袖を顔におし当て給へる程、大将の君も涙にくれて、目も見え給はぬを、強ひてしぼりあけて見奉つるに、なかなか飽かず悲しきこと類(たぐひ)なきに、まことに心惑ひもしぬべし。御髪(みぐし)のただうちやられ給へる程、こちたくけうらにて、露ばかり乱れたるけしきもなう、つやつや美しげなるさまぞ限りなき。灯のいと明かきに、御色はいと白く光るやうにて、とかくうち紛らはす事ありし現(うつつ)の御もてなしよりも、言ふかひなきさまに何心なくて臥し給へる御ありさまの、飽かぬ所なし、と言はむもさらなりや。なのめにだにあらず類なきを見奉るに、死に入る魂(たましひ)の、やがてこの御骸(から)にとまらなむ、と思ほゆるも、わりなき事なりや。

【現代語訳】
 夕霧の大将は、年ごろ、紫の上に対してどうこうしようと大それた気持ちを抱くことはなかったが、「いつの世にか、あの野分の朝に拝見した程度にでもお姿を拝見できようか。ほんのわずかなお声さえもお聞かせいただけなかったではないか」と、ずっと気にかけて思い続けてきたのだが、「お声はついに聞かずじまいになったとしても、むなしいお亡骸なりとも、もう一度拝したいという望みがかなう機会はただ今よりほかにはあるまい」と思うと、隠しようもなく涙があふれ、その場にいるが女房たちがみな取り乱して騒ぐのを、「静かになされ、しばらく」となだめるふりをして、何かおっしゃるのに紛らして御几帳の帷子を引き上げてご覧になれば、院(源氏)は、ほのぼのと明けてゆく朝のかすかな光の中、燈火を近くにかかげて死に顔を見守っていらした。紫の上のどこまでもお可愛らしく尊く清らかに見えるお顔のもったいなさに、院は、大将の君(夕霧)がこうして覗いておいでになるのを見つつも、ことさら隠そうというお気持ちにもならないようであった。

 源氏は「この通り、どこといって、まだ生きておられた時と変わらぬ感じではあるが、もう最期であることははっきりしているのです」と、お袖を顔におし当てていらっしゃるので、大将の君も、涙でいっぱいで目もお見えにならないのを強いて開けて拝すると、かえって深まる悲しみはたとえようもなくまことに取り乱さんばかりである。長い御髪が無造作にかきやられてあるのが実に豊かに清らかで、少しも乱れたところもなく、つややかな美しさは何ともいいようがない。明るい灯影にお顔の色は透き通るように白く、何かと取り繕っていらしたご生前のお姿よりも、こうして無心に臥していらっしゃる今のほうが、何一つ非のうちどころもないと言うのもまだ言い足りないくらいである。並ひととおりの美しさどころか、かように比類ないお姿を拝見なさるにつけ、絶え入ろうとするこのお方の魂がこのままこの亡骸に宿ってほしいと思わずにいられないのだが、それも無理な願いである。

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■紫の上の葬儀

 やがてその日、とかく納め奉る。限りありける事なれば、骸(から)を見つつもえ過ぐし給ふまじかりけるぞ、心憂き世の中なりける。はるばると広き野の、所もなく立ちこみて、限りなく厳(いかめ)しき作法なれど、いとはかなき煙(けぶり)にて、はかなくのぼり給ひぬるも、例の事なれど、あへなくいみじ。空を歩む心地して、人にかかりてぞおはしましけるを、見奉つる人も、さばかりいつかしき御身をと、ものの心知らぬ下衆(げす)さへ泣かぬなかりけり。御送りの女房は、まして夢路に惑ふ心地して、車よりもまろび落ちぬべきをぞ、もてあつかひける。

 昔、大将の君の御母君うせ給へりし時の暁(あかつき)を思ひ出づるにも、かれはなほ物の覚えけるにや、月の顔の明らかに覚えしを、今宵(こよひ)はただ昏(く)れ惑ひたまへり。十四日にうせ給ひて、これは十五日の暁なりけり。日はいとはなやかにさし上(あが)りて、野辺(のべ)の露も隠れたる隈(くま)なくて、世の中思し続くるに、いとど厭(いと)はしくいみじければ、後(おく)るとても幾世かは経(ふ)べきかかる悲しさの紛れに、昔よりの御本意(ほい)も遂げまほしく思ほせど、心弱き後(のち)の譏(そし)りを思せば、このほどを過ぐさむとし給ふに、胸のせきあぐるぞたへ難かりける。

【現代語訳】
 お亡くなりになったその日に、とにもかくにも葬儀を執り行わせられる。何事も限りがあるので、いつまでも亡骸を見つつ過ごすことができないのが、つれない世の中ではあった。はるばると広い野原いっぱいに人が立ち込んで、この上もなく厳粛な儀式であったが、はかない煙となって空にお上りになったのも、常のこととはいえ、あっけなく悲しいものだった。院(源氏)は空を歩くような心地がして人に寄りかかっていらっしゃるのを、拝する人も、あれほど尊く立派なお方なのにと、物をわきまえない身分卑しき者まで泣かぬ者はなかった。野辺のお送りに従った女房はまして夢路に迷う気持ちがして、車からも転がり落ちそうになるので、供人たちの手を焼かせた。

 昔、大将の君(夕霧)の御母君(葵の上)がお亡くなりになった時の暁のことが思い出され、あの時はそれでも正気を保っていたのだろうか、月の顔がはっきりと分かったのにと、今夜はただ目の前が真っ暗で何も分からないお気持ちでいらっしゃる。十四日にお亡くなりになって、この御葬送は十五日の暁のことだった。日がたいそう明るく昇ってきて、野辺の露も残るところなく照らし出す。その露のようにはかない世の中のことをお思い続けになると、いよいよこの世の中が厭わしく悲しいお気持ちになるので、死に遅れたとてどれほどの年月を生きられようか。この悲しさに紛れて昔から念願していた出家を遂げたいとお考えになるが、そうなれば気弱いお方よと世間から非難されるだろうとお考えになり、せめてしばらくの間はこのまま過ごそうとなさるにつけても、胸にこみあげるものに耐えがたいのであった。

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幻(まぼろし)

■源氏、螢兵部卿宮と唱和

 春の光を見給ふにつけても、いとどくれ惑ひたるやうにのみ、御心一つは悲しさの改まるべくもあらぬに、外(と)には、例のやうに人々参り給ひなどすれど、御心地悩ましきさまにもてなし給ひて、御簾(みす)の内にのみおはします。兵部卿宮(ひやうぶきやうのみや)渡り給へるにぞ、ただうちとけたる方(かた)にて対面し給はむとて、御消息(せうそこ)聞こえ給ふ。

 わが宿は花もてはやす人もなしなににか春のたづね来つらむ

宮、うち涙ぐみ給ひて、

 香(か)をとめて来つるかひなく大方の花のたよりと言ひやなすべき

 紅梅(こうばい)の下に歩み出で給へる御さまのいとなつかしきにぞ、これより外(ほか)に見はやすべき人なくや、と見給へる。花は、ほのかにひらけさしつつ、をかしき程のにほひなり。御遊びもなく、例に変りたること多かり。

【現代語訳】
 新春の光をご覧になるにつけても、院(源氏)はいっそう正気が失せたとばかりお感じになり、年は改まってもお胸のうちの悲しさの消えるはずもなく、表には例年どおりに人々がご年始に参られたりするが、ご気分が悪い体をよそおって御簾の内にばかり引きこもっていらっしゃる。しかし兵部卿宮(螢兵部卿宮)がおいでになった時だけは、内々の部屋で対面なさろうと、そのご意向をお伝えになる。

 
私の家には花を楽しむ人ももうおりませんのに、何のために春は訪ねてきたのでしょうか。

宮は、涙ぐまれて、

 
私は梅の香を求めて参りましたのに、その甲斐もなく、ただ一通りの花見に立ち寄ったとおっしゃるおつもりでしょうか。

 紅梅の下に歩み寄っていらっしゃる宮のご様子がいかにも優美なので、もうこの人より他に花を愛で楽しむ人はあるまいとご覧なさる。花はほんの少し開きかかっていて、風情のある美しさである。今年は管弦の御遊びもなく、いろいろと例年と違っていることが多い。

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■源氏、女房と語る

 女房なども、年ごろ経にけるは、墨染(すみぞめ)の色こまやかにて着つつ、悲しさも改めがたく、思ひさますべき世なく恋ひ聞こゆるに、絶えて御方々にも渡り給はず、紛れなく見奉るを慰めにて、馴れ仕うまつる。年ごろ、まめやかに御心とどめてなどはあらざりしかど、時々は見放たぬやうに思したりつる人々も、なかなか、かかる寂しき御独り寝になりては、いとおほぞうにもてなし給ひて、夜の御宿直(とのゐ)などにも、これかれとあまたを、御座(おまし)のあたり引き避けつつ、さぶらはせ給ふ。

 つれづれなるままに、いにしへの物語などし給ふ折々もあり。なごりなき御聖心(ひじりごころ)の深くなり行くにつけても、さしもありはつまじかりける事につけつつ、中ごろ物恨めしう思したる気色の時々見え給ひしなどを思し出づるに、などて、たはぶれにても、またまめやかに心苦しきことにつけても、さやうなる心を見え奉りけむ、何事もらうらうじくおはせし御心ばへなりしかば、人の深き心もいとよう見知り給ひながら、怨(ゑん)じはて給ふことはなかりしかど、一(ひと)わたりづつは、いかならむとすらむと思したりしを、少しにても心を乱り給ひけむことの、いとほしう悔しうおぼえ給ふさま、胸よりもあまる心地し給ふ。その折の事の心を知り、今も近う仕うまつる人々は、ほのぼの聞こえ出づるもあり。

 入道の宮の渡りはじめ給へりしほど、その折はしも、色にはさらに出だし給はざりしかど、事にふれつつ、あぢきなのわざやと、思ひ給へりし気色のあはれなりし中にも、雪降りたりし暁に立ちやすらひて、わが身も冷え入るやうにおぼえて、空のけしきはげしかりしに、いとなつかしうおいらかなるものから、袖のいたう泣き濡らし給へりけるを引き隠し、せめて紛らはし給へりしほどの用意などを、夜もすがら、夢にても、またはいかならむ世にか、と思しつづけらる。曙(あけぼの)にしも、曹司(ざうし)に下(お)るる女房なるべし、「いみじうも積もりにける雪かな」と言ふ声を聞きつけ給へる、ただその折の心地するに、御かたはらの寂しきも、いふかたなく悲し。

うき世にはゆき消えなむと思ひつつ思ひのほかになほぞほどふる

【現代語訳】
 女房なども、長年お仕えしてきた者は、墨染の色の濃い喪服を着ては、悲しさも改め難く、いつまで経っても亡き御方(紫の上)をお慕い申し上げている。院(源氏)が一向に御方々のもとへもお出ましにならずこちらにおいでになるのを慰めに、女房たちは近くでご奉公している。長年、心からご寵愛になったというわけではなく時々は目をかけておやりになったのが交じっていても、今はこうした寂しい独り寝をしていらっしゃるので、普通にお扱いなさって、夜の御宿直などにも、誰彼と多くの女房を御座所から遠ざけて伺候おさせになっている。

 所在なさのままに昔の話などをなさる折々もある。未練のない御道心が深まっていらっしゃるにつれて、ひと頃、そういつまでも続くはずもなかった恋愛沙汰が起こるたびに、上(紫の上)が恨んでいらっしゃる様子が何度かおありだったことなどを思い出される、「どうして自分は、一時の戯れにせよ、また真剣な心苦しい恋愛にせよ、ああいう浮気心を御覧に入れたのだろうか。何事にも分別がおありになったから、こちらの腹の底を見抜いていらっしゃっても、いつまでも恨んではおられなかったものの、その度に『どうなってしまうのだろうか』と心をお悩ましになったであろう」とお思いになり、少しでもそんな苦労をおかけしたのが悔やまれて、思いが胸に余るようにお感じになる。その折の事情をも知り、今も近くにお仕え申し上げている女房たちの中には、その折の紫の上の御様子を、それとなくお話し申し上げる者もいる。

 入道の宮(女三の宮)が六条院にはじめてお移りになった時、当座は嫉妬のそぶりもお出しにならず、折に触れて味気なさそうにしていらしたのが、よそ目にもお気の毒であった中にも、ある雪の降った明け方、宮のもとから戻って部屋の外にたたずみ、わが身も凍る思いの荒れた空模様だった時、上はたいそう懐かしそうにおっとりしていながら、袖はひどく泣き濡らしていらっしゃったのを押し隠し、精いっぱい気づかせまいとなさった時の奥ゆかしさなどを、またいつの世に夢の中にでも見ることができるだろうかと、一晩中お思い続けられる。と、朝早く自分の局に下がる女房であろう、「たいそう雪が積もりましたこと」と言いながら通り過ぎるのをお聞きになり、まさにあの折の気持ちがよみがえり、お側に誰もいらっしゃらない寂しさが、言いようもなく悲しい。

雪が消えるように浮世から姿を消してしまいたいと思いつつ、思いのほか雪が降るように、なおも俗世での月日が過ぎていく

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■源氏、わが生涯を思う

 例の、紛らはしには、御手水(てうづ)召して行ひ給ふ。埋(うづ)みたる火おこし出でて、御火桶(ひをけ)まゐらす。中納言の君、中将の君など、御前(おまへ)近くて御物語聞こゆ。「独り寝(ね)常よりも寂しがりつる夜のさまかな。かくてもいとよく思ひ澄ましつべかりける世を、はかなくもかかづらひけるかな」と、うちながめ給ふ。我さへうち捨てては、この人々の、いとど嘆きわびむ事のあはれにいとほしかるべき、など見わたし給ふ。忍びやかにうち行ひつつ、経など読み給へる御声を、よろしう思はむ事にてだに涙とまるまじきを、まして、袖のしがらみせきあへぬまで、あはれに、明け暮れ見奉る人々の心地、尽きせず思ひ聞こゆ。

 「この世につけては、飽かず思ふべき事をさをさあるまじう、高き身には生まれながら、また人より異(こと)に、口惜しき契りにもありけるかなと思ふこと絶えず。世のはかなく憂きを知らすべく、仏などの掟(おき)て給へる身なるべし。それを強ひて知らぬ顔にながらふれば、かく今はの夕(ゆふべ)近き末(すゑ)に、いみじき事のとぢめを見つるに、宿世(すくせ)のほども、みづからの心の際(きは)も、残りなく見はてて心安きに、今なむ露の絆(ほだし)なくなりにたるを、これかれ、かくて、ありしよりけに目馴らす人々の、今はとて行き別れむ程こそ、いま一際(ひときは)の心乱れぬべけれ。いとはかなしかし。わろかりける心の程かな」とて、御目おし拭(のご)ひ隠し給ふに、紛れずやがてこぼるる御涙を見奉る人々、ましてせきとめむ方(かた)なし。さて、うち捨てられ奉りなむが愁(うれ)はしさをおのおのうち出でまほしけれど、さもえ聞こえず、むせ返りてやみぬ。

【現代語訳】
 院(源氏)は、いつもようにご気分を紛らわすためにと、お手を清めて勤行をなさる。女房たちが埋もれ火を掻き起して火桶を差し上げる。中納言の君、中将の君(紫の上付きの女房)などが御前近くでお話相手をしてさしあげる。「独り寝がいつもより寂しい昨夜であった。このように殊勝に行い澄ましていられたはずなのに、今までつまらなく世俗に関わり続けてきたことよ」と沈んでいらっしゃる。自分までがこの世を逃れてしまえば、この人たちはいよいよ嘆き悲しむだろう。それが不憫で気の毒だ、などと居並ぶ女房たちをお見渡しになる。ひっそりと勤行をしながら経をお読みになるお声をお側で聞かせていただくと、ふつうの時でさえ涙がとまらないのに、まして「袖のしがらみ」でも涙をせき止められぬほどにおいたわしく拝している女房たちは、どこまでも悲しく存じ上げるのである。

 「この世では、不足に思うことはめったにないほど高い身分には生まれながら、一方では誰よりも不本意な宿命でもあったとの思いが絶えない。人生がはかなく辛いものと知らせるために仏などがお定めになった身なのだろう。それを強いて知らない顔で生きながらえると、このように晩年に痛ましい結末となったので、運命の拙さも私自身の至らなさもすっかり見極めがついて気が楽になり、今はもう露ほどもこの世への執着がなくなった。しかし、ここにいる皆々とは、紫の上の存命中に増して親しくなったので、いよいよこれでと別れる時は一段と心が乱れるに違いない。本当にはかない浮世だが、我ながら思い切りの悪いことだ」と、御目を拭って涙を隠されるが、隠しきれずにこぼれる御涙を拝する女房たちは、まして涙のせき止めようがない。院が出家あそばして自分たちが捨て置かれる悲しさを各々口に出したく思いながら、そうも申し上げかねて涙にむせ入るばかりであった。

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■匂宮、遺愛の桜をいたわる

(一)
 后(きさい)の宮は、内裏(うち)に参らせ給ひて、三の宮をぞ、さうざうしき御慰めにはおはしまさせ給ひける。「母の宣ひしかば」とて、対の御前(おまへ)の紅梅はいととりわきて後見(うしろみ)ありき給ふを、いとあはれと見奉り給ふ。二月(きさらぎ)になれば、花の木どもの盛りになるも、まだしきも、梢(こずゑ)をかしう霞みわたれるに、かの御形見の紅梅に鶯(うぐひす)のはなやかに鳴き出でたれば、立ち出でて御覧ず。

 植ゑて見し花の主(あるじ)もなき宿に知らず顔にて来ゐる鶯

と、うそぶき歩(あり)かせ給ふ。

 春深くなりゆくままに、御前の有様いにしへに変らぬを、めで給ふ方(かた)にはあらねど、静(しづ)心なく何事につけても胸いたう思さるれば、大方、この世の外(ほか)のやうに、鳥の音(ね)も聞こえざらむ山の末ゆかしうのみ、いとどなりまさり給ふ。山吹などの、心地よげに咲き乱れたるも、うちつけに露けくのみ見なされ給ふ。

【現代語訳】
 后の宮(明石の中宮)は宮中にお戻りになり、院(源氏)の寂しさをお慰めするためにと、三の宮(匂宮)を残しておかれた。「祖母様がおっしゃったので」と、西の対のお庭先の紅梅を格別に見廻っていらっしゃるのを、たいそういじらしくご覧になっている。二月になると、梅の木々の花が盛りなのも、まだ蕾なのも、梢が趣深く霞んでいる中に、あのお形見の紅梅に鶯が楽しげに鳴き出したので、院は外にお出になってご覧になる。

 
この梅の木を植えて見ていた主人もいない宿に、それを知らぬ顔で来て鳴く鶯よ。

と、口ずさみながら歩き廻っておられる。

 春が深まるにつれて、お庭の景色は紫の上のご生前と変わらないが、特に花をお愛でになろうというのではなくても、心が落ち着かず、何事につけても胸が痛くお感じになるので、およそこの世とは別世界の鳥の声も聞こえぬ山奥に行ってしまいたいお気持ちがますます強くなられる。山吹などが気持ちよさそうに咲き乱れているのも、つい涙の露に濡れているように見えてしまわれる。

(二)
 外(ほか)の花は、一重(ひとへ)散りて、八重(やへ)咲く花桜(はなざくら)盛り過ぎて、樺桜(かばざくら)は開け、藤はおくれて色づきなどこそはすめるを、そのおそくとき花の心をよく分きて、いろいろを尽くし植ゑおき給ひしかば、時を忘れずにほひ満ちたるに、若宮、「まろが桜は咲きにけり。いかで久しく散らさじ。木のめぐりに帳を立てて、帷子(かたびら)を上げずは、風もえ吹き寄らじ」と、かしこう思ひえたり、と思ひて宣ふ顔のいとうつくしきにも、うら笑(ゑ)まれ給ひぬ。「おほふばかりの袖求めけむ人よりは、いとかしこう思し寄り給へりかし」など、この宮ばかりをぞもて遊びに見奉り給ふ。「君に馴れ聞こえむことも残り少なしや。命といふもの、今しばしかかづらふべくとも、対面はえあらじかし」とて、例の、涙ぐみ給へれば、いとものしと思して、「母の宣ひし事を、まがまがしう宣ふ」とて、伏目(ふしめ)になりて、御衣(ぞ)の袖を引きまさぐりなどしつつ、紛らはしおはす。

【現代語訳】
 よそでは、一重の桜が散って八重咲きの桜も盛りが過ぎ、樺桜が咲き始めて藤は遅れながら色づいていくようだが、紫の上が、その遅く咲いたり早く咲いたりする花の心をよく心得て様々の種類を植えておかれたので、それらが時を忘れず一面に色づいているのを、若宮(匂宮)が「私の桜が咲いた。どうすれば長く散らさないようにできよう。木のまわりに几帳を立てて帷子を上げずにいたら、風も吹き寄せてこないだろう」と、妙案を思いついたようにおっしゃる顔がとても可愛らしく、院(源氏)はお笑いになる。「『大空に覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ』と言った人よりは、とてもよいことを思いつかれましたね」などと、この宮だけを遊び相手にしていらっしゃる。「あなたと親しくしていられますのも残り少ないでしょう。命というものがもう少しこの世にとどまるとしても、お目にかかれなくなるでしょう」と、いつものように涙ぐまれると、宮はひどく悲しまれ、「祖母様と同じことを、縁起でもなくおっしゃる」と、伏し目になって御衣の袖を引っぱったりなどしてお涙を隠そうとしていらっしゃる。

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■源氏、明石の君を訪ねる

 夕暮の霞(かすみ)たどたどしく、をかしき程なれば、やがて明石の御方に渡り給へり。久しうさしものぞき給はぬに、おぼえなき折りなれば、うち驚かるれど、さまようけはひ心にくくもてつけて、「なほこそ人にはまさりたれ」と見給ふにつけては、またかうざまにはあらで、「かれはさまことにこそ、ゆゑよしをももてなし給へりしか」と思しくらべらるるにも、面影に恋しう、悲しさのみまされば、「いかにして慰むべき心ぞ」と、いとくらべ苦し。

 こなたにては、のどやかに昔物語などし給ふ。「人をあはれと心とどめむは、いとわろかべき事と、いにしへより思ひえて、すべていかなる方(かた)にも、この世に執(しふ)とまるべき事なくと、心づかひをせしに、大方たの世につけて、身のいたづらにはふれぬべかりし頃ほひなど、とざまかうざまに思ひめぐらししに、命をもみづから棄てつべく、野山の末にはふらかさむに殊(こと)なる障りあるまじくなむ思ひなりしを、末の世に、今は限りのほど近き身にてしも、あるまじき絆(ほだし)多うかかづらひて、今まで過ごしてけるが、心弱うも、もどかしきこと」など、さして一つ筋の悲しさにのみは宣はねど、思したるさまのことわりに心苦しきを、いとほしう見奉りて、「大方の人目に何ばかり惜しげなき人だに、心の中の絆(ほだし)おのづから多う侍るなるを、ましていかでかは心安くも思し棄てむ。さやうにあさへたる事は、かへりて軽々しきもどかしさなども立ち出でて、なかなかなる事など侍るを、思したつほど鈍きやうに侍らむや、つひに澄みはてさせ給ふ方(かた)深う侍らむと、思ひやられ侍りてこそ。いにしへの例(ためし)などを聞き侍るにつけても、心におどろかれ、思ふより違(たが)ふ節ありて、世を厭(いと)ふついでになるとか、それはなほわるき事とこそ。なほしばし思しのどめさせ給ひて、宮たちなどもおとなびさせ給ひて、まことに動きなかるべき御ありさまに、見奉りなさせ給はむまでは、乱れなく侍らむこそ、心安くもうれしくも侍るべけれ」など、いとおとなびて聞こえたる気色、いとめやすし。

【現代語訳】
 夕暮れの霞がぼんやりと立ち込めて、風情ある時分なので、そのまま明石の御方の元においでになった。長らく御顔を出されなかったので、不意のことに驚かれながらも如才なく奥ゆかしい取りなしをなさるのに、「やはり並の人には勝っている」とお感じなるが、亡きお人(紫の上)はこのようなとはまた違った、格別に深いおたしなみがおありだったと、ついお比べなさり、御面影が浮かんで恋しく、悲しさばかり募るので、どうしたら慰められる心だろうかと、たまらなく辛くお感じになる。

 こちらでは、のんびりと昔物語などをなさる。「あまりに人に心惹かれるのはよくないことだと、前々から思うようになって、全てどの方面にもこの世の執着が残らないようにと気をつけてきましたので、いつぞや都落ちをして、世間から我が身が葬られてしまおうとした時など、あれこれ思案して、いっそ命を捨てる覚悟で野山の末にさまよい出たらどうか、別段の障害もないだろうと思ったほどでしたが、とうとう寿命が尽きるまでの年になってもなお、現世の縁に多く関わってうかうかと過ごしてきましたのが、何とも心弱くもどかしい気がしまして」など、亡き人を悼むお気持ちだけを仰せにはならないながら、思い詰めていらっしゃるのは当然のことで、明石の御方はおいとおしく思われて、「世間の目からは、出家してもどうということもない人でさえ、当人の身には様々な葛藤があると申しますから、まして君のような御方はどうして易々と俗世をお捨てになれましょうか。浅はかに出家するのは軽率だとの非難も起こりましょうから、かえってなさらぬ方がよいと思いますし、出家をご決意されるまでゆっくりなさっているようなのが、結局、道心も堅固におなりになるのではないでしょうか。昔の例などを聞きましても、強く心を動かされたり、思い通りにならないことがあって、それをきっかけに世を厭うようになるものだと申しますが、それはやはり浅はかなのではございますまいか。やはり今しばらくはゆっくりとお考えになり、宮たちなどもご成長なさって、本当に動かしようもない御代になられるのをお見届けになるまでは、お心を乱さずにいらっしゃることこそ、心丈夫にも嬉しく存ぜられます」など、まことに思慮深く申し上げる様子は、実に好ましいものである。

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■紫の上の遺文を焼く

 今年をばかくて忍び過ぐしつれば、今はと世を去り給ふべきほど近く思し設(まう)くるに、あはれなること尽きせず。やうやうさるべき事ども御心の中(うち)に思しつづけて、候ふ人々にも、程々どにつけて物賜ひなど、おどろおどろしく、今なむ限りとしなし給はねど、近く候ふ人々は、御本意(ほい)遂げ給ふべき気色と見奉るままに、年の暮れゆくも心細く、悲しきこと限りなし。

 落ちとまりてかたはなるべき人の御文ども、「破(や)れば惜し」と思されけるにや、すこしづつ残し給へりけるを、物のついでに御覧じつけて、破(や)らせ給ひなどするに、かの須磨の頃ほひ、所々より奉り給ひけるもある中に、かの御手なるは、ことに結(ゆ)ひあはせてぞありける。みづからし置き給ひける事なれど、久しうなりにける世の事と思すに、ただ今のやうなる墨つきなど、げに千年(ちとせ)の形見にしつべかりけるを、見ずなりぬべきよ、と思せば、かひなくて、疎(うと)からぬ人々二三人ばかり、御前(おまへ)にて破(や)らせ給ふ。

 いと、かからぬ程の事にてだに、過ぎにし人の跡と見るはあはれなるを、ましていとどかきくらし、それとも見分かれぬまで降りおつる御涙の、水茎(みづくき)に流れそふを、人もあまり心弱しと見奉るべきが、かたはらいたう、はしたなければ、おしやり給ひて、

 死出(しで)の山越えにし人を慕ふとて跡を見つつもなほ惑ふかな

 候ふ人々も、まほにはえ引きひろげねど、それとほのぼの見ゆるに、心まどひどもおろかならず。この世ながら遠からぬ御別れの程を、いみじと思しけるままに書い給へる言の葉、げにその折よりもせきあへぬ悲しさ、やらむ方なし。いとうたて、いま一際(ひときは)の御心まどひも、女々(めめ)しく人わるくなりぬべければ、よくも見給はで、こまやかに書き給へるかたはらに、

 かきつめて見るもかひなし藻塩草おなじ雲居(くもゐ)の煙(けぶり)とをなれ

と書きつけて、みな焼かせ給ふ。

【現代語訳】
 院(源氏)は、今年一年をこうして悲しみをこらえてお過ごしになったので、いよいよ俗世をお捨てになる時が近いとお思いになるにつけ、しみじみとした感慨が尽きない。次第にそういうお心づもりで出家のご準備などをなさりながら、お仕えする女房たちにも、身分に応じて形見の品をお与えになるなど、大げさには最後の別れというふうにはなさらないが、もう念願をお遂げになるらしいと察せられ、年の暮れてゆくのも心細く悲しくてならない。

 あとに残っては見苦しいような数々のお手紙なども、破るのは惜しいとお思いになってか少しずつ残していらしたのを、何かの折にお見つけになって破り捨てさせたりなさると、あの須磨にいた頃にあちこちから送られたお手紙がある中に、紫の上のお手紙だけわざわざ一つに結んであった。ご自身がそうしておかれたのではあるが、それも遠い昔になってしまったとお思いになるにつけ、たった今書いたような墨の色など、まことに千年の形見にもしてよかろうものを、出家すればもう見ることもなくなるだろうとお思いになると、残しておいても甲斐がなく、親しい女房ニ、三人ばかりに御前にて破らせなさる。

 それほど懐かしいお手紙でなくても、亡くなった人の筆の跡と思えば胸が痛むのに、まして紫の上のご筆跡となれば、なおさら目の前が真っ暗になるお気持ちで、どれがどれとも見分けられないほど降り落ちる御涙が字に添って流れるのを、女房たちもあまりに心弱いと拝しそうなのが苦々しく決まりも悪いので、手紙を脇へ押しやられて、

 
死出の山を越えていった人を慕うといって、その筆の跡を見ながらも、今だに悲しみに惑っている。

 お仕えする女房たちも、あらわに広げて拝見できないものの、紫の上のご筆跡であると察せられるので、一同の悲しみも並々でない。この世にいながらそれほど遠くはない須磨と都のお別れなのに、ひどく悲しまれるお気持ちのままお書きになった文面をご覧になると、その当時にも増して募る悲しさをこらえることができない。ひどく情けなく、これ以上お取り乱しになっては女々しく見苦しくなりそうなので、よくもご覧にならないで、紫の上がこまやかに書いていらっしゃる横に、

 
かき集めて見てもかいのないことだ。この藻塩草(手紙)は、亡き人と同じ空の煙となってしまうがよい。

と書きつけて、皆お焼かせになった。

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■仏名会の日

(一)
 御仏名(おぶつみやう)も、今年ばかりにこそは、と思せばにや、常よりもことに、錫杖(さくぢやう)の声々などあはれに思さる。行く末長きことを請ひ願ふも、仏の聞き給はむことかたはらいたし。雪いたう降りて、まめやかに積(つも)りにけり。導師(だうし)のまかづるを、御前に召して、盃(さかづき)など常の作法よりも、さし分かせ給ひて、ことに禄(ろく)など賜はす。年ごろ久しく参り、朝廷(おほやけ)にも仕うまつりて、御覧じ馴れたる御導師の、頭(かしら)はやうやう色変りて候ふも、あはれに思さる。例の、宮たち上達部など、あまた参り給へり。梅の花のわづかに気色ばみはじめて、雪にもてはやされたるほど、をかしきを、御遊びなどもありぬべけれど、なほ今年までは物の音(ね)もむせびぬべき心地し給へば、時によりたるもの、うち誦(ずん)じなどばかりぞせさせ給ふ。まことや、導師の盃のついでに、

 春までの命も知らず雪のうちに色づく梅を今日かざしてむ

御返し、

 千代(ちよ)の春見るべき花といのりおきてわが身ぞ雪とともにふりぬる

人々多く詠みおきたれど漏らしつ。

【現代語訳】
 院(源氏)は、御仏名も今年が最後だとお思いになるからか、例年よりも格別に錫杖の声々などをしみじみとお感じになる。長寿を請い願うのも、仏がどうお聞きになるかと決まりが悪い。雪がたいそう降って本格的に積もった。導師が退出するのを御前に召して、盃などをいつもの作法よりも特別にお勧めになり、ことに禄などお与えになる。長年久しく六条院に参上し、朝廷にもお仕えして、いつもご覧になっている御導師の頭がだんだん白くなっているのも感慨深くお思いになる。例年のように親王、上達部などが大勢参上なさった。梅の花が少し芽吹きはじめて雪に輝いているところは風情があり、管弦の御遊びなどもあってよいのだが、やはり今年中は楽器の音も涙を誘われる心地がなさるので、時にあっているのを口ずさんだりなさるだけである。そういえば、導師に盃を賜る時に、

 
春までの命も分からないので、この雪に色づく梅を、今日かざしにしよう。

導師の御返し、

 
千代の春を見るだろう梅の花と君のご長寿をお祈りしました。わが身は雪とともに年老いてしまいましたが。

人々が多く歌を詠んだが、書き漏らしてしまった。

(二)
 その日ぞ出で給へる。御容貌(かたち)、昔の御光にもまた多く添ひて、あり難くめでたく見え給ふを、この旧(ふ)りぬる齢(よはひ)の僧は、あいなう涙もとどめざりけり。

 年暮れぬと思すも心細きに、若宮の、「儺(な)やらはむに、音(おと)高かるべきこと、何わざをせさせむ」と、走り歩(あり)き給ふも、をかしき御ありさまを見ざらむ事と、とよろづに忍びがたし。

 もの思ふと過ぐる月日も知らぬ間(ま)に年もわが世も今日や尽きぬる

 朔日(ついたち)の程のこと、常よりことなるべく、とおきてさせ給ふ。親王(みこ)たち、大臣(おとど)の御引出物(ひきいでもの)、品々の禄どもなど二(に)なう思し設(まう)けてとぞ。

【現代語訳】
 その日、久しぶりに院(源氏)は表の間にお出になった。お姿は、昔ながらの光り輝くお美しさがさらに増してまたとなく素晴らしくお見えになるのを、この老僧はわけもなく涙をとどめることもできなかった。

 院は、今年も暮れてしまうと心細く思っていらっしゃると、若宮(匂宮)が「鬼やらい(追儺:大晦日に悪鬼を追い払う儀式)には何をしたら大きな音が出るでしょうか」と走り廻っていらっしゃり、この愛しいお姿をもう見られなくなることだと、万事につけて耐え難くお感じになる。

 
物思いに過ぎていく月日も知らぬ間に、この一年も、わが俗世での生活も、今日で最後になってしまうのか。

 元旦から一連の正月行事は、例年より格別に念入りに行うようお命じになる。年賀に参上される親王方や大臣への御贈物、それぞれの人々への御下賜品など、またとないくらいにご用意なさったということである。


(注)
 ここまでが光源氏の物語であり、続く巻は源氏が亡くなった後の話から始まり、いずれにも源氏の出家や死の様子は書かれていません。この二つの巻の間には八年間もの空白があり、古来、ここに巻名のみで本文のない「雲隠(くもがくれ)」を置くことが行われています。源氏の死を暗示する巻名に違いありませんが、これが作者の措置によるものか、後人によるものかは不明です。また、もともと巻名だけで本文は書かれなかったとする説と、本文はあったが紛失したとする説があります。

(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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「夕霧」のあらすじ

(源氏 50歳)
(紫の上 42歳)
(女三の宮 24~25歳)
(夕霧 29歳)
(雲居雁 31歳)


一条御息所(朱雀院の更衣で落葉の宮の母)が物の怪に取り憑かれ、加持を受けるために、落葉の宮とともに比叡山の麓の小野山荘に移った。8月中旬、夕霧は小野山荘を見舞いに訪れた。御息所に代わって応答する落葉の宮に恋情を訴えながら、落葉の宮のそばで一夜を明かしてしまう。母の御息所は、夕霧が昨夜宿泊したことを加持の律師から聞かされ、二人が一夜の契りを結んだものと思い、当惑する。

 夕霧から落葉の宮に宛てた手紙が届き、御息所がその返事を書いた。その内容は、二人の仲を許すというものだった。夕霧が宮からの文と思ってあけてみると御息所の筆跡である。夕霧が読もうとするところへ、後ろから雲居雁が寄ってその手紙を奪い隠してしまった。夕霧は返事を書くことができず、御息所は夕霧から返事が来ないのに落胆し、病も悪化してあえなく死んでしまった。

 訃報を聞いた夕霧は小野山荘を訪れるが、母が亡くなったのは夕霧のせいと思っている落葉の宮は口もきいてくれない。夕霧は、意に添わぬままの落葉の宮を京へ連れ戻し、一条の宮(落葉の宮邸)で強引に契りを交わした。雲居雁は激怒し、姫君たちと赤子を連れて、実家である父の致仕の大臣(頭中将)邸に帰ってしまった。あわてた夕霧が連れ戻しに邸を訪れるが、雲居雁は頑として応じなかった。


※巻名の「夕霧」は、夕霧が亡き柏木の妻、落葉の宮に贈った歌「 山里のあはれを添ふる夕霧に立ち出でむ空もなき心地して」が由来となっている。

「御法」のあらすじ

(源氏 51歳)
(紫の上 43歳)
(明石中宮 23歳)
(夕霧 30歳)
(匂宮 5歳)
(薫 4歳)


紫の上は、数年前に大病を患って以来、日増しに衰弱してきて、源氏の心配もこの上ない。紫の上は、最近では後世のために出家を願うようになったが、独りになりたくない源氏は許そうとしない。3月10日、紫の上の発願による法華経千部の供養が二条院でを行われた。六条院の女君たちのほか、源氏の関係者がこぞって参列し、源氏は紫の上のすぐれた心用意に改めて感心させられた。そのなかで紫の上はみずからの死を予感し、明石の君や花散里と歌を詠み交わすなかで、それとなく別れを告げた。

夏になると 暑さのなかで紫の上はいっそう衰弱し、明石の中宮と匂宮(におうのみや)にさりげなく遺言をした。秋になっても紫の上の容態は好転せず、8月14日暁、源氏と明石中宮に見守られながら、静かに息を引き取った。源氏は、出家を許してやらなかったことをいたわしく思い、僧に命じて髪を削いでやった。それでも紫の上が亡くなったことが信じられず、その顔を見つめ続けている。葬儀のいっさいは夕霧が取り仕切った。送りの女房は夢路に惑う心地がして、車から転げ落ちそうになった。心から頼り信じていた妻を失った源氏は悲嘆に明け暮れ、出家の志を固めた。


※巻名「御法」は、紫の上と花散里の贈答歌が由来となっている。紫の上「絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にと結ぶ中の契りを」。花散里「結びおく契りは絶えじ大方の残り少なき御法なりとも」

「幻」のあらすじ

(源氏52歳)
(明石の上43歳)
(明石中宮24歳)
(夕霧31歳)
(匂宮6歳)
(薫5歳)


当時、妻の喪は三か月とされていたが、翌年の正月になっても年賀の人に会わず、御簾の中に閉じ籠っていた。六条院の女性たちを訪ねることもせず、わずかに、昔馴染みの女房たちとの会話に心が慰められるばかりである。そうした会話の中で、源氏は初めて、女三の宮が降嫁したときの紫の上の苦悩を聞き、改めて胸が塞がる思いがする。一周忌には、紫の上が生前に用意しておいた曼荼羅(まんだら)の供養を行った。

年末になり、源氏はようやく出家の心を決めて身辺の整理をし、紫の上の手紙も焼いてしまった。さすがに涙がとめどなく流れる。明日は元日、孫の匂の宮(におうのみや)は追儺に興じて走り回っている。この幼い人の姿を見るのも今年が最後と覚悟して、源氏はしみじみと我が人生を振り返る。


※巻名の「幻」は、源氏が紫の上を偲んで詠んだ歌「 大空に通ふまぼろし夢にだに見えこぬ魂の行方たづねよ」が由来となっている。

「雲隠」について

「幻」の巻までが光源氏の物語であり、続く巻は源氏が亡くなった後の話から始まりますが、いずれにも源氏の出家や死の様子は書かれていません。この二つの巻の間には8年間もの空白があり、古来、ここに巻名のみで本文のない「雲隠(くもがくれ)」が置くことが行われています。

源氏の死を暗示する巻名に違いありませんが、これが作者の措置によるものか、後人によるものかは不明です。また、もともと巻名だけで本文は書かれなかったとする説と、本文はあったが紛失したとする説があります。

年 立

1歳
桐壺更衣、若宮(源氏)を出産
3歳
若宮の袴着
桐壺更衣が亡くなる
4歳
一宮が立太子(のちの朱雀院)
6歳
若宮の外祖母(桐壺更衣の母)が亡くなる
7歳
若宮が読書始
年齢不明
高麗人の予言
源の氏を賜わる
元服し、葵上と結婚
17歳
夏、雨夜の品定め
空蝉に逢う
空蝉に拒まれる
夏、夕顔の家に通う
秋、廃院で夕顔が急死
冬、空蝉が夫と共に伊予に下る
18歳
春、紫上を見出す
夏、藤壺と密会
藤壺が懐妊
秋、末摘花に逢う
雪の朝、末摘花の醜貌に驚く
冬、紫上を二条院に迎える
春、藤壺が皇子を出産(のちの冷泉院)
19歳
試楽で青海波を舞う
20歳
秋、朧月夜に逢う
21歳
桐壺帝譲位、朱雀帝即位
22歳
夏、葵上と六条御息所の車争い
秋、葵上が夕霧を産み、まもなく亡くなる
冬、紫上と新枕
23歳
秋、六条御息所親子が伊勢に下る
冬、桐壺院が崩御
24歳
右大臣方が外戚として権勢をふるう
冬、藤壺が出家
25歳
夏、朧月夜との密事が露見する
花散里を訪ねる
26歳
春、須磨に退去
27歳
春、暴風雨に遭う
夢告により明石に移る
秋、明石上と逢う
28歳
夏、明石上が懐妊
秋、召還の宣旨が下り帰京する
29歳
春、朱雀帝が譲位、冷泉帝が即位
内大臣に昇進
明石の姫君が誕生
秋、末摘花と再会
住吉詣で
石山に詣で、帰京する空蝉一行と出会う
冬、六条御息所が帰京、娘を源氏に託して死去
31歳
春、梅壺女御が入内、弘徽殿女御と対立
絵合が行われる
秋、二条東院完成
明石上、明石姫と上京
32歳
春、藤壺が亡くなる
夏、冷泉帝が出生の秘密を知る
秋、従一位に昇叙
冬、明石姫君が紫上の養女となる
33歳
夏、夕霧が元服
源氏、太政大臣に
夕霧が大学に入学
34歳
夕霧が進士に及第
35歳
秋、六条院完成し、人々移転。明石上も六条院に入る
玉鬘、六条院に入る
36歳
春の御殿の船楽
夏、内大臣が近江姫君を引き取る
源氏、玉鬘に懸想
秋、夕霧が紫の上を垣間見る
37歳
春、内大臣に玉鬘のことを明かす
冬、大原野行幸
髭黒大将が玉鬘と結婚
38歳
玉鬘が男子出産
39歳
夏、夕霧が雲居雁と結婚
明石姫君が入内
秋、准太上天皇となる
冬、冷泉帝・朱雀院が六条院に行幸
朱雀院出家、女三宮を託される
春、女三宮を六条院に迎える
紫上の苦悩
40歳
源氏の四十賀
夕霧が右大将に昇進
41歳
明石女御が男児出産
六条院の蹴鞠に、柏木が女三宮を見る
柏木、女三宮への恋慕を募らせる
46歳
冷泉帝譲位、今上帝(朱雀院の皇子)即位。明石女御腹の第一皇子が東宮に
冬、住吉詣で
47歳
春、六条院での女楽
紫上が発病
柏木が女三宮と契る
女三宮が懐妊
源氏、柏木と女三宮の密事を知る
柏木が病む
48歳
春、女三宮が男児出産(薫)
女三宮が出家
柏木、夕霧に後事を託して死去
49歳
秋、夕霧が柏木未亡人の落葉宮を訪う
落葉宮から柏木遺愛の笛を贈られる
夕霧の夢に柏木が現れる
50歳
女三宮のもとで鈴虫の宴
夕霧、落葉宮を得る
51歳
春、紫上が法華経千部供養
秋、紫上が亡くなる
52歳
源氏、傷心のうちに一年を過ごし、出家の準備

出家した女性たち

藤壺
光源氏の求愛から逃れるために出家(10帖・賢木)。

六条御息所
病気を患って出家(14帖・澪標)。

空蝉
義理の息子の求愛から逃れるため出家(16帖・関屋)

朧月夜
出家した夫・朱雀院を追うように出家(35帖・若菜下)。

朝顔の姫君
信仰心の高まりから出家(35帖・若菜下)

女三の宮
病気と罪の意識から出家(36帖・柏木)

浮舟
自殺未遂後、比叡山の僧に助けられ出家(53帖・手習)。

参考文献

日本の古典をよむ・源氏物語(上・下)
~阿部秋生ほか/小学館

明解 源氏物語五十四帖
~池田弥三郎ほか/淡交社

源氏物語(1~10)
~玉上琢彌/角川ソフィア文庫

新明解古典シリーズ 源氏物語
~桑原博史/三省堂

ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 源氏物語
~角川書店

新訂国語総覧
~京都書房

千年の名文すらすら 源氏物語
~岩佐美代子/小学館

谷崎潤一郎訳 源氏物語
~古典教養文庫

誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ
~林真理子・山本淳子/小学館

紫式部と源氏物語 見るだけノート
~吉田裕子/宝島社

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