『源氏物語』の作者は紫式部ではない?
紫式部が執筆したとされる『源氏物語』について、その大部分が紫式部の作品であるとしても、一部に別人の手が加わっているのではないかとする説が古くから存在します。
たとえば『宇治大納言物語』には、『源氏物語』は紫式部の父である藤原為時(ふじわらのためとき)が大筋を書き、娘の紫式部に細かいところを書かせたとする伝承が記されています。また『河海抄』には、藤原行成(ふじわらのゆきなり)が書いた『源氏物語』の写本に藤原道長(ふじわらのみちなが)が書き加えたとする伝承が記され、一条兼良(いちじょうかねよし)の『花鳥余情』や一条冬良(いちじょうふゆよし)の『世諺問答』などには、宇治十帖が紫式部の娘である大弐三位(だいにのさんみ)の作だとする伝承が記されています。
近代に入ってからも、様々な形で「源氏物語の一部分は紫式部の作ではない」とする説が唱えられてきました。与謝野晶子は、筆致の違いなどから「若菜」以降の全巻が大弐三位の作であるとし、 和辻哲郎は、「大部分の作者である紫式部と誰かの加筆」といった形ではなく、「一つの流派を想定するべきではないか」と述べています。戦後になってからは、登場人物の官位の矛盾などから、武田宗俊らによる巻別作者説といったものも現れました。
なお、作者は紫式部ではないとする説は、その根拠を次のように掲げています。源氏が藤原氏に、政争や恋愛に常に勝利する内容となっており、藤原氏側の一員だった紫式部が書いたというのは不自然。作中の妊娠や出産にかかる記述に、女性(特に出産経験のある女性)が書いたにしてはあり得ない矛盾がいくつもある。作中に婦人語と呼べる言葉が全く見られない、等々です。
まさに侃侃諤諤の様相ですが、いずれも証明できる手立てはなさそうです。一方、これらのさまざまな別作者論に対して、『源氏物語』は紫式部一人で全て書き上げたのではなく別人の手が加わっているとする考え方は、すべて「紫式部ひとりで、あれほどのものを書き上げられたはずはない」とする女性蔑視?の考え方に基づくものだと批判する立場も現れました。もう何が何だかという感じですが、はてさて、真相はいかに?
『源氏物語』が書かれた当時の作者は?
紫式部が『源氏物語』を書いた当時は、いったいどんな人たちが読んでいたのか、また、どれくらいの読者がいたのでしょうか。当然、出版社も本屋もない時代ですからね。また、文字が読める人の数も限られていたはずです。
グーテンベルクが活版印刷術を発明したのは、紫式部が生まれた970年ごろよりはるか後の15世紀です。木版による印刷技術は飛鳥時代からあったものの、それによって印刷されたのは仏典や漢籍に限られ、物語などが印刷されることはありませんでした。ですから『源氏物語』も当時は人の手によって一冊一冊書き写され、写本が回し読みされていました。部数は限られていたでしょうし、みんなで回し読みをしたとしても、読者は多くても数百人にすぎなかったのではないかといいます。
そんななか、確実に読者だったと考えられるのは、当時の一条天皇とその中宮・彰子(しょうし)、摂政の藤原道長、また当時のインテリの代表、藤原公任あたりです。ライバルの清少納言が読んだかどうかは分かりません。なかでも第一読者だったとされる藤原道長は、紫式部の局にやって来てはいつも原稿の催促をしていたといわれます。いずれにせよ、のちに国民的ロングセラーとなる『源氏物語』も、執筆された直後は、貴族社会のなかの、しかも紫式部の顔見知りの間でだけ読まれている本だったはずです。むろん庶民は、その存在すら知りませんでした。
ちなみに、平安時代に書き写された『源氏物語』の初版ともいえる本は、現在まったく残っていません。現存する最古の写本は、鎌倉時代初期に藤原定家によって書き写されたものです。その後も多くの人々によって写本が残されましたが、54帖全部が揃っているものは少ないようです。なお、清少納言は『枕草子』の中で、物語がしばしば劣悪な形に改作されることを嘆いており、この時代には、物語というものは作者が執筆した当初の形がそのまま後世に伝えられるのは稀で、ほとんどの場合は別人によって増補・改作されて伝えられたようです。
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紫式部の身長
今の若い人は、私らのころに比べて背が高いし、顔が小さく足も長くてスタイルがよいですね。何年か前に、高校生の平均身長、とくに女子の身長が年々高くなっているという記事を読んだことがあります。原因として、牛乳を多く飲むようになったからとか、正座する機会が少なくなったからとか、いろいろ言われていますが、それだけではないという説もあります。
人類学者の鈴木尚氏によると、日本人の身長には”大人期”と”小人期”の周期があり、現代は”大人期”に当たっているのだといいます。つまり、食べ物や生活環境だけの問題ではないということです。なるほどそういうことがあるのかと合点が行きます。だって、このまま伸び続けたら大変なことになる。やがては縮む時期がやってくる。今の人はラッキーですね。
過去の大人期の代表としては、南北朝時代があげられるそうです。たとえば、この時代に活躍した新田義貞などは、180センチもある大丈夫(だいじょうふ)だったといいます。反対に、小人期の代表は、平安時代と江戸時代。とくに平安時代は日本史のなかの”氷河期”ともいえ、寒冷期にも当たっていたため、それが食物の生産に悪影響を及ぼし、当時の人々の身長をより低くさせたんだと。この時期の日本女性の身長は、140センチくらいだったと推定されているそうです。
かの紫式部も、とくに大きな女性だったという記録は残っていないため、彼女もそんな程度だったのでしょうか。ずいぶんかわいらしいです。
瀬戸内寂聴さんが語る紫式部
小説家で天台宗の尼僧でもあった故・瀬戸内寂聴さんが、紫式部の人物像について語った記事がありますので、ここに引用させていただきます。
―― 『源氏物語』は、千年前の宮廷を舞台にした大恋愛長編小説です。当時、世界にはまだどこの国にも、そういう恋愛小説、しかも、長編はなかったんです。世界でどこよりも早く、しかも、今読んでも文学と認められるほどの立派な大長編恋愛小説が書かれたのは、日本なんですよ。それを書いたのが、紫式部という子持ちの、30にならない若い寡婦だったんです。そういう意味で、紫式部はもう天才中の天才です。日本の女の天才を一人挙げよと言ったら、まず紫式部でしょうね。その長編小説の中で、さまざまな愛の形が書かれております。
紫式部のお父さんの藤原為時という人は、大臣級の最上級貴族ではありませんが、非常に漢文が上手で、時の天皇に漢詩でほめられたりしたことがある。教養があって、宮廷でも文学的なことで仕えている家系だった。そういう家庭で、家には本がたくさんあったでしょうね。紫式部は、小さいときからそれを読んで、大変な文学少女で、文学的素養は十分にあったんですね。お母さん(藤原為信の娘)の家系も文学的で、その両方の素質を血の中に受けて、それが紫式部の勉強と相まって、おそらく少女のころから物語を書いていたんでしょう。
紫式部は、そういう学者のうちに育って、小さいときから非常に頭がよかった。為時が息子に漢文を教えていたとき、お兄さんか弟かどっちかわからないんですが、あまり頭がよくなくて、なかなか覚えない。ところが、女の子の紫式部が横で聞いていて、全部覚えてしまった。それでお父さんがびっくりして、「ああ、この子が男だったらよかったのに」と言ったというんです。ということは、私は、紫式部は器量が悪かったんじゃないかと思うんです。
当時の貴族の家では、高級であろうが、中級であろうが、男の子が生まれたって喜ばないんです。女の子が生まれることを非常に喜ぶ。女の子が生まれますと、小さいときから一生懸命皇后教育を施しまして、それで、ツテを求めて後宮、つまり天皇のハーレムに送り込むんです。天皇がもしも自分の娘に目をつけて愛してくれて、天皇と自分の娘の間に子供が生まれる。それが男であれば、その子は皇太子に、さらには天皇になる可能性がある。自分の娘の産んだ子、つまり、自分の孫が天皇になれば、その男は外戚と呼ばれまして、あらゆる政治的権力を掌握することができるんです。ですから、貴族の男は何とかして女の子を得たいと思っている。
ですから、紫式部のお父さんが、「男に生まれればよかった」と言って、せっかくの女の子なのに、そこを期待しないということは、よっぽど色が黒いとか、髪が縮れていたんじゃないかと、私は思うんです。当時は、まっすぐで長くて豊かな黒髪が美人の第一条件でしたからね。しかし、彼女はすばらしい頭を与えられまして、千年前の時代では最高の小説家になったのです。
紫式部が結婚したのは27、8歳ぐらいなんですね。当時の27、8歳は、今で言えばもう晩婚なんですよ。12、3歳から女は結婚していいということになっていて、後宮には、上級貴族の娘が11か12のときから入れられていた時代に、27、8まで結婚しないということは、これはよほど不器量だったとか、意地悪だったんじゃないか、と私は想像いたします。
紫式部と夫の藤原宣孝との結婚生活は2年半ぐらいなんですが、宣孝という男は大変なドンファンで、紫式部のお父さんのお友だちで、お父さんぐらいの年だったんです。ですから、もちろんすでに奥さんが何人もいて、何人も子供がある。その後で紫式部と結婚しているんです。宣孝は非常にもてた人ですから、女はもう飽き飽きしていたころでしょう。そのころに不器量な、小説ばかり書いている、そういう変わり種の女もおもしろいと思ったんじゃないでしょうか。それで紫式部と結婚するんです。賢子という女の子を一人得ましたけれども、宣孝は疫病になって、すぐ死んでしまう。紫式部は30歳ころに、もう未亡人になってしまうわけなんです。――
引用記事 →
https://www.yurindo.co.jp/yurin/18809
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