花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に
有名な小野小町の歌ですね。平安時代の女流歌人だった小町は、日本の美人の代表とされています。しかし、現存する小町の肖像画はいずれも後世に描かれたもので、本当はどんな面立ちだったのか全く分かっていないのです。それなのに、なぜ「小町は美人」とされてきたのでしょうか。
その根拠とされた最大の情報源は、かの紀貫之です。最初の勅撰集である『古今和歌集』の編纂に携わった貫之は、その序文のなかで「小野小町は古(いにしえ)の衣通姫(そとほりひめ)の流れなり」と書いており、そこから小町美人説が生まれたのです。
衣通姫とは、第19代、弁恭(いんぎょう)天皇の后で、『古事記』や『日本書紀』に絶世の美女と伝えられる人です。本朝三美人の一人とも称され、大変に美しい女性であったため、その美しさが衣を通して輝くことからこの名がついています。その「衣通姫の流れ」と紀貫之が書いたために、そこから小町も絶世の美女ということになったのです。
しかし、衣通姫は歌人としても知られていたことから、紀貫之が「衣通姫の流れ」と書いたのは、歌についての評価ではないかという説があります。つまり容姿などのことではなく、歌風が似ている、と。歌集の序文への記述であることを考えれば、こちらのほうに圧倒的に分がありそうな気がします。ちなみに小町の歌風は、その情熱的な恋愛感情が反映され、繊麗・哀婉、柔軟艶麗などと評されています。
小町の生誕地については、現在の秋田県湯沢市小野という説が主流となっており、晩年も同地で過ごしたとする言い伝えがあります。ブランド米「あきたこまち」や秋田新幹線「こまち」は、彼女の名前に由来したものです。しかし、同地が小町の生誕地である確証はありません。生誕伝説のある地域は全国に点在しており、数多くの異説があります。
なお、「小町」は本名ではなく、「町」という字があてられているので、後宮に仕える女性だったのではと考えられています。ほぼ同年代の人物に「三条町」や「三国町」が存在しています。
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