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小野小町は本当に美人だった?

花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に

 有名な小野小町の歌ですね。平安時代の女流歌人だった小町は、日本の美人の代表とされています。しかし、現存する小町の肖像画はいずれも後世に描かれたもので、本当はどんな面立ちだったのか全く分かっていないのです。それなのに、なぜ「小町は美人」とされてきたのでしょうか。

 その根拠とされた最大の情報源は、かの紀貫之です。最初の勅撰集である『古今和歌集』の編纂に携わった貫之は、その序文のなかで「小野小町は古(いにしえ)の衣通姫(そとほりひめ)の流れなり」と書いており、そこから小町美人説が生まれたのです。

 衣通姫とは弁恭(いんぎょう)天皇の后で、『古事記』や『日本書紀』に絶世の美女と伝えられる人です。大変に美しい女性であったため、その美しさが衣を通して輝くことからこの名がついています。その「衣通姫の流れ」と紀貫之が書いたために、そこから小町も絶世の美女ということになったのです。

 しかし、衣通姫は歌人としても知られていたことから、紀貫之が「衣通姫の流れ」と書いたのは、歌についての評価ではないかという説があります。つまり歌風が似ている、と。歌集の序文への記述であることを考えれば、こちらのほうに圧倒的に分がありそうな気がします。

 なお、小町の生誕地は現在の秋田県湯沢市小野という説が主流となっており、晩年も同地で過ごしたとする言い伝えがあります。ブランド米「あきたこまち」や秋田新幹線「こまち」は彼女の名前に由来したものです。しかし、同地が小町の生誕地である確証はありません。生誕伝説のある地域は全国に点在しており、数多くの異説があります。

紫式部の身長

 今の若い人は、私らのころに比べて背が高いし、足が長くてスタイルもよいですね。何年か前に、高校生の平均身長、とくに女子の身長が年々高くなっているという記事を読んだことがあります。原因として、牛乳を多く飲むようになったからとか、正座する機会が少なくなったからとか、いろいろ言われていますが、それだけではないという説もあります。

 人類学者の鈴木尚氏によると、日本人の身長には”大人期”と”小人期”の周期があり、現代は”大人期”に当たっているのだといいます。つまり、食べ物や生活環境だけの問題ではないということです。なるほどそういうことがあるのかと合点が行きます。だって、このまま伸び続けたら大変なことになる。やがては縮む時期がやってくる。

 過去の大人期の代表としては、南北朝時代があげられるそうです。たとえば、この時代に活躍した新田義貞などは、180センチもある大丈夫(だいじょうふ)だったといいます。反対に、小人期の代表は、平安時代と江戸時代。とくに平安時代は日本史のなかの”氷河期”ともいえ、寒冷期にも当たっていたため、それが食物の生産に悪影響を及ぼし、当時の人々の身長をより低くさせたんだと。この時期の日本女性の身長は、140センチくらいだったと推定されているそうです。

 かの紫式部も、とくに大きな女性だったという記録は残っていないため、彼女もそんな程度だったのでしょうか。ずいぶんかわいらしいです。
 


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