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マーラーの《交響曲第1番》

 もし、これからマーラーの交響曲を聴き始めようという人から「どの曲から始めたらいい?」と尋ねられたら、やっぱり《第1番》と答えるでしょうかね。マーラーの交響曲には、分かりにくいというか、ひねくれた?曲が少なくないなか、最も親しみやすいのは第1番だろうと思います。第4番も候補に挙がるかもしれませんが、あれは一見親しみやすそうで、実は少々ひねくれたところがありますから、初心者にはやや不向きと思います。

 《第1番》は、マーラーが若き24歳から28歳にかけて仕上げた作品で、最初は交響詩として発表、5年後に『巨人』という標題つきの交響曲に改作、さらに3年後に4楽章の純粋な交響曲に改作し『巨人』の標題も削除したという経緯があります。『巨人』というのは、マーラーが青春時代に愛読したジャン・パウルの長編小説『巨人』から採った題名だそうです。これらの紆余曲折にはどんな心理の変遷があったのでしょう。「若きウェルテルの悩み」ならぬ「若きマーラーの悩み」の表れのようです。

 とまれ、この《第1番》は、幻想的なドラマ性に富む魅力あふれる作品で、また馴染みやすいメロディーに満ちた音楽だと思います。マーラーの解説によれば、第1楽章で、雄大で美しい自然のなかで生まれ育った若者が、第2楽章で力みなぎり帆をいっぱいに張って人生の航海に踏み出すものの、第3楽章で座礁して死んでしまい、第4楽章で天国への道を歩む、というものです。夢と希望と不安と絶望が錯綜する、まさに若者らしい作品というべきではないでしょうか。

 私がとくに楽しく聴いている楽章が、ウサギやカエル、カラス、シカ、キツネなどの森の獣たちが、死んだ狩人の棺に付き添い、墓へと行進する風景を表現した第3楽章です。悲しく重苦しい葬送の音楽のはずなのに、しばしば陽気におどけた感じになって、実に愛らしいメロディが登場します。動物たちによる、統制の取れていない、風変わりで滑稽ともいえる葬列が目に浮かぶようです。

 愛聴盤は、マリス・ヤンソンス指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による2006年のライブ録音です。ヤンソンスが紡ぎ出す音形が実に美しく、とりわけ第3楽章での大きなテンポの変化が新鮮で魅力的です。

マーラーの《交響曲第9番》

 傑作中の傑作とされる、マーラーの《交響曲第9番》。とても哲学的でメッセージ性の強い作品であり、一種独特の世界観が繰り広げられています。曲の全体のテーマは「人生との別れ」すなわち「死」そのものとされます。しかも英雄とか誰か特別の人の「死」というわけではなく、ごく普通のありふれた人たちの「死」。
 
 言い換えれば、英雄も天才も、私たちのような凡百の人間も死ぬときはみな同じ。そうした「普通の死」を描いている。だから、特段に劇的というものではないので、私たちも素直な気持ちになって、この「死」に対する怖れと「生」への憧憬に満ちた曲に心が揺さぶられる、そして、自身の人生に関しての色々な思いをこの曲に対して寄せることができるんだと思います。

 マーラーと同じ時代に生きたシェーンベルクは、「知性的冷たさと感覚的温かさを、同時に理解できる人だけが感じとることのできる客観的な美が表現された作品であり、《第9番》は、ひとつの極限。これを書いてしまった人は、あまりにも来世に近すぎるところにいた」と、言葉を尽くしての大絶賛。

 また、同じく同時代のベルクは「地球と自然への愛による最高の表現」だといい、マーラーの直接の弟子だったクレンペラーは「マーラー自身が残した、最後で、かつ最高の作品」、かのカラヤンも「これは永遠という別の世界からやって来た作品」などと、数多くの称賛の言葉が残されています。不肖私でさえも、よくもこんな境地を音楽に落とし込むことができたなと、ひたすらおののくばかりです。つくづく、音楽って、スゴイ!

 元オーボエ奏者の宮本文昭さんは、この曲について「かなりとっつきにくいので、最初から誰にでもお薦めするわけにはいきません」としながらも、「クラシックの上級者になったら、ぜひとも聴いてください!」って。僭越ながら私からも、これからクラシック音楽を始められる方に、とにかくこの曲に行き着くまでがんばってください!と申し上げたいです。
 

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