平安時代を代表する女流作家といえば、ご存知、清少納言と紫式部ですね。いずれも同時代に生き、甲乙つけがたい才媛ですが、実はこの二人、どちらも一度は結婚しているんです。しかし、紫式部の夫は病死し、清少納言は離婚しています。そのため二人とも宮中で働くようになったというわけです。
紫式部が夫を亡くして未亡人になったのは仕方ないとしても、清少納言はなぜ離婚したのでしょうか。彼女の夫は陸奥守だった橘則光(たちばなののりみつ)という人ですが、その夫が浮気したわけでもなく、また、清少納言が自立したいといって家を飛び出したわけでもありません。真相は、どうやら清少納言との結婚生活に耐え切れなくなった夫のほうが、離縁を申し出たようなのです。
では、彼女のどこに問題があったのか。それは、改めて『枕草子』を読むと、何となく察せられませんでしょうか。そこには才気が外にあふれ、機知に富む彼女の姿が描かれています。たしかに、彼女の才能はすばらしかったのでしょうが、他人が書くならともかく、自分自身をあそこまで持ち上げる性格には、則光ならずとも我慢できなかったのではありますまいか。実際、『枕草子』には、則光を馬鹿にしているような記事もありますものね。
そうした『枕草子』の内容について、その文学的価値を落としてはならないという高尚な?意識が働くためか、学習参考書や解説書などでは、しばしば「無邪気で明るい」などと評しているのを見かけます。しかし、いたいけな少女の文章ならともかく、天邪鬼な私などは、ちょっと違うのではないかと思ってしまいます。本人は、跋文で「まさか人が見ようとすることはなかろうと思って書いた」と言っていますが、それはそうかもしれないと感じます。
清少納言とライバル関係にあった紫式部も、日記の中で彼女をこき下ろしています。現代風に訳すと、「清少納言は、実に得意顔をして偉そうにしていた人です。あれほど利口ぶって漢学の才をひけらかしていますが、よく見れば、まだまだ勉強不足の点がたくさんあります。あれほどいつも他人から抜き出ることばかり考えている人は、いつかボロをだし、末路はいいことがないに決まっています。軽薄な人の終わりはどうしていいはずがありましょうか」。めちゃくちゃ辛らつな言い様です。
もっとも、離婚した後も、元夫婦の二人はちょくちょく会っていたといいます。妻としては今ひとつだったかもしれませんが、恋人として付き合うには、清少納言は魅力的な女性だったのかもしれません。これも何となく察せられるような気がします。男の勘です。
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