| 訓読 |
1665
妹(いも)がため我(わ)れ玉 拾(ひり)ふ沖辺(おきへ)なる玉寄せ持ち来(こ)沖つ白波(しらなみ)
1666
朝霧(あさぎり)に濡(ぬ)れにし衣(ころも)干(ほ)さずしてひとりか君が山路(やまぢ)越ゆらむ
| 意味 |
〈1665〉
妻のために私は玉を拾おう。沖にある玉をこの海辺まで届けよ、沖の白波よ。
〈1666〉
朝の霧に濡れた衣を乾かすこともなく身につけたまま、あなたはひとり山道を今ごろ越えておられるのでしょうか。
| 鑑賞 |
題詞に「岡本の宮に天(あめ)の下知らしめす天皇(すめらのみこと)の紀伊の国に幸(いでま)す時の歌二首」とあり、斉明天皇の紀伊の国(和歌山県)行幸時の歌とされます。ただし作者は未詳。「岡本の宮」は、奈良県明日香村にあった舒明天皇および斉明天皇の皇居のことで、後者には「後の岡本の宮」というのが普通で、単に「岡本の宮」という時は舒明天皇の皇居を指すならいですが、舒明天皇には紀伊の国行幸の記事が見えないため、ここは斉明天皇の皇居を指すとされます。斉明4年(658年)10月15日から翌年正月3日まで紀伊の牟婁(むろ)の湯に行幸のあったことが「斉明紀」に記されています。額田王の巻第1-9の歌が詠まれたのと同じ時で、有間皇子が捕えられて紀伊に連行され、藤白坂で処刑されたのもこの行幸中の出来事です(巻第2-141~142)。
1665は旅行く夫の歌、1666は家で待つ妻の歌という組み合わせになっており、2首とも作者は従駕の官人で、宴で詠まれた歌ではないかとみられています。1665の「玉」は、海岸にある美しい小石や貝。「拾ふ」はヒリフと訓み、ヒロフとある仮名書き例は東歌(巻第14-3400)にあるのみです。「玉」が家に残る妻へのみやげとなったのは、海の霊威が宿るものと信じられていたためとされ、また、妻のために玉を拾うというのは、当時の官人にとって理想的な楽しさだったようです。
1666の「朝霧に濡れにし衣干さずして」は、早朝の出発で、夜霧や朝霧に着衣がしっとり湿ってしまったのを乾かす暇もないという旅立ちの有様を歌っています。また、濡れ衣を干すのは妻の愛情をこめた仕事とされていました。「ひとりか君が」の「か」は、疑問の係助詞。行幸従駕であるので一人ということはなく大勢いたはずですが、妻が旅中の夫を思う慣用表現であり、実際とは無関係とされます。「越ゆらむ」の「らむ」は現在推量の連体形で、上の「か」の結び。

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