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防人の苦難

韓衣(からころむ)裾(すそ)に取りつき泣く子らを置きてぞ来(き)のや母(おも)なしにして

 この歌は『万葉集』に収められている防人の歌です。信濃国の歌で「韓衣の裾に取りすがって泣く子どもたちを置き去りにして来てしまった。母親もいないままで」と、防人として家を離れる辛さを歌っています。『万葉集』には、この歌のほかにも、防人になった男たちの、妻子との別れ難い感情や家族を思いやる気持ちを歌った歌が数多く収められています(巻20に98首)。

 防人は、663年に百済救済のために出兵した白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れたのを機に、北九州沿岸の防衛のため、軍防令が発せられて設置されました。大宰府に防人司(さきもりのつかさ)が置かれ、おもに東国の出身者の中から選抜、定員は約1000名、勤務期間は3年とされていました。 

 防人の徴兵は、逃げたり仮病を使ったりさせないため、事前連絡もなく突然にやってきて連れていったといいますからずいぶん乱暴です。まず都に集め、難波の港から船で筑紫に向かいました。家から難波までの費用は自前でした。なお、『万葉集』に防人の歌が数多く収められているのは、当時、出港地の難波で防人の監督事務についていた大伴家持が、彼らに歌を献上させ採録したからだといわれます。

 ところで、防人として徴兵されたのは、わずかな例外を除いて、ずっと東国の出身者でした。これは何故か?

 白村江の戦い以降、日本に逃れてきた百済の宮廷人や兵士は、それぞれ朝廷で文化や軍事の担い手として活躍しました。しかし、身分の低い人や兵士らは幾度かに分けて東国に移植されました。同族間の憎しみは、ときにより激しいものになるといいます。天智天皇は東国で新たな生活を始めた百済人を防人として、再びかり出し、日本を襲ってくるかもしれない彼らの祖国の同胞に立ち向かわせたというのです。何とも切ないお話です。

桜子の物語

 女の子の名前に「桜子」というのがありますね。ちょっと字余り的なところが好きでして、これは上代のはるか昔、『万葉集』にも見える名前です。そこには、桜子の次のような物語が記されています。 

 桜子は、あるとき、二人の男から同時に求婚された。そして、二人の男は命をかけて争うようになった。桜子はこれを悲しみ、「昔から、二人の男に嫁ぐ女はいません。でも、あなたたちは私のために争っていて止めようがありません。私が死んで、争いを止めていただくしかありません」と言って、自ら命を絶った・・・。

 不幸なお話の主人公ではありますが、何ともいえない情緒深い響きを感じる名前なのであります。あ、そういえば、松嶋菜々子さん主演のテレビドラマ『やまとなでしこ』の主人公の名前も「桜子」でしたね。「ばっかじゃ中目黒、なに祐天寺」の桜子の過激なセリフが忘れられません。ちょっとミーハーな話ですみません。
 


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