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日本人の原点〜『平家物語』

 関西大学名誉教授で文芸評論家でもあった故・谷沢永一さんは、かつて「日本の古典作品の中でもっとも重要な作品は『平家物語』だと思う」と語っていました。日本人の価値観の基準が、この物語に入っている、日本人の原点が『平家物語』にある、と。その根拠として次の2点を強調していました。

 ―― 第一に、誰の頭にも浮かぶ、「権力を握ったからといって、栄耀栄華を極めてはならない」ということが、実に美しく書かれている。『平家物語』があったために、それ以後の日本の政治家たちは再び平清盛のような栄耀栄華を極めようとしなくなった。

 源頼朝は平家の没落ぶりを直接目の当たりにしたわけだが、足利尊氏などは、琵琶法師が語る『平家物語』によって教わったわけだ。日本の政治のあり方を規定した功績が、ほかならぬ『平家物語』なのだ、と。

 第二に、それでも、とにかく平家の特色は、やることなすことが全て、人間的に美しい。人間としてどのように振舞うことが美しいか、どうすることが醜いのか、という日本人の出処進退、価値判断の基準を、『平家物語』が後世に残した。

 『源氏物語』は一部の連歌師によって流布したが、国民性、国民の常識にまで浸透はしていない。『平家物語』が、日本国民に、何が美しいのか、何が後世に残すべき価値なのか、ということを教えた。

 たとえば、薩摩守の平忠度が、いったん都を落ちながら、また京に引き返し、自作の歌の巻物を師の藤原俊成のもとに密かに持参する。勅撰集がもし編さんされたときに、自分の歌が一首なりとも入ることができたら、人間として最高の光栄であると思うという日本独自の美意識を、この物語は美しく描いている。――


 そして、谷沢さんは、もし自分が、たった一つだけ日本の古典を子どもに教えるとしたら、文句なしに『平家物語』を選ぶとおっしゃっていました。

平忠度の都落ち

 平忠度(たいらのただのり)は清盛の異母弟で、優れた歌人でもあった人です。その忠度が源氏に追われ、京の都を落ちていき、山崎あたりまで逃れたところで、急きょ6人の従者と共に引き返しました。そして、歌の師であった藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)の屋敷を訪ねました。

 すでに平家追討令が出ているので、忠度も勅勘の身です。俊成の邸内は「落人が帰ってきた!」と大騒ぎになりました。いくら師弟の関係といっても、門を開けて忠度を迎え入れるわけにはいきません。忠度は、

「格別のことはございません。お願いしたいことがあって引き返して参りました。門を開かれなくとも、この際までお寄り下さい」

と叫びました。俊成は「何か事情があるのだろう」と思い、わずかに門を開けて対面しました。忠度は一巻の巻物を取り出し、

「もし世が鎮まって、勅撰集を編むというときがくれば、この中から一首なりともお採りいただければ悔いはありません」

と言って、そっと置いていきました。そこには忠度の詠んだ歌が百余首収められていました。このときの忠度は、すでに死を覚悟していました。もはや、自分の歌が勅撰集に収められる日を見ることができないのは分かっている。だけども、自分の命よりも大切にしたいものがある。彼にとって、後世に長く伝えられるであろう勅撰集に、自分の歌が載せられることのほうが、何より大切なことだったのです。

 忠度はこの後の一の谷の戦いで討死、享年41歳でした。忠度の死後、後白河院の勅撰によって『千載集』が編まれましたが、選者となった俊成は忠度が遺した巻物の中から、「故郷の花」と題された、

 さざ波や 志賀の都はあれにしを 昔ながらの山ざくらかな

という一首を載せました。しかし、平家は勅勘の身だったので、作者は「詠み人知らず」とされました。
 

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「平家物語」について

 『徒然草』226段に、後鳥羽院の時代に信濃前司行長が『平家物語』を作り、盲目の琵琶法師の生仏に語らせたと書かれているが、ほかにも葉室時長、吉田資経を作者とする説もあり確定できていない。
 
 しかしながら、源平興亡の歴史に関しては、多くの記録・文書・話題の類があり、これらが収集総合される段階があり、整理され物語として洗練される経緯があったとみるべきで、そのなかで複数の行長?、複数の生仏?の手で現在の『平家物語』が成立したと考えられる。数十種の本文があり、琵琶法師の巨匠覚一によって1371年に完成された覚一本が、一般的にはよく知られている。
 
 『平家物語』は全12巻で、大きく分けて3つの柱からなる。第一部は、権力を掌中に収めた平清盛を中心とする平家隆盛のありさま、第二部は、平家討伐の旗揚げをした源頼朝、木曽義仲と平家軍との合戦、そして、第三部は、平家滅亡跡の戦後処理と人間模様について描かれている。
 
 現存する『平家物語』には全12巻の跡に潅頂巻一巻が加えられている。ここでは壇ノ浦で命を救われた建礼門院を後白河院が大原に訪ね、昔日の日々を語り合う場面が描かれており、「平家物語」の語りおさめとなっている。


(平清盛)

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