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ブルックナーの《交響曲第9番》

 1つの交響曲を11回作曲した、というような表現をされるブルックナー。それほどに彼の交響曲のほとんどが、あたかも1つの交響曲ではないかと思うほどに似ています。弦楽器のトレモロによる開始、ゲネラルパウゼ(全楽器の中止)、オルガンの響きに似たユニゾンの多用などの共通点。そして、音楽を超えた別世界の音楽というか、人間味とか人間臭さが殆ど感じられない、まさに大自然、大宇宙そのもののような音楽。

 そんなブルックナーのファンって、やっぱり少数派なのでしょうかね。宇野功芳先生でさえ、最初はブルックナーが皆目わからなかったそうですし、ブルックナーの演奏会に行くのは男性客ばかりで、女性の姿がほとんど見られないという話もあります。僭越ながら私も、クラシック音楽ファン駆け出しのころは、マーラーとかブルックナーは生理的に受けつけない感じでした。特にブルックナーは退屈の極致だった。

 しかし一方では、宮本文昭さんのように、若いときにいちばん感動したのはブルックナーの交響曲第8番だと言っている人もいますし、ほかにもブルックナーに夢中になっている高校生たちの話が紹介されている本を読んだことがあります。ひょっとしてブルックナーの音楽には、若い人たちに特別に訴えかける何かがあるのでしょうか。私も高校生のころに聴いたら、すぐさま虜になったのでしょうか。

 とはいえ、宇野先生も、あるとき突然にブルックナーの魅力がわかったそうですし、再び僭越ながら私も同様です。何かの拍子に急に好きになっちゃった。そして、いざわかってしまうと、最初の無骨で退屈で冷徹な?印象とは違って、実にやさしく繊細な音楽だと気づかされます。なぜ今までその素晴らしさがわからなかったのかと、自分自身の感性に疑いを抱いてしまいます。さほどにブルックナーの音楽の世界は不思議であり、また、決して万人に媚びない魅力に満ち溢れていると感じます。

 《交響曲第9番》は、ブルックナーが最後に書いた交響曲であり、未完に終わったとはいえ、まさに宇宙の深奥に突き進んでいくような最も深い内容の音楽といってよいのではありますまいか。あまりにも深いもんだから、宇野先生は、この曲を聴く前には覚悟が必要だとおっしゃっていたほどです。あの崇高な世界へ連れ去れるのが怖い、って。

 私は残念ながらそこまでの鋭敏な感覚を持ち合わせないので、大した覚悟も恐怖も感じませんが、それでもこの曲を聴くときには、何がしかの心の準備をもって臨んでいるような気がします。いつでもどこでも、また、お気軽にのんびりと聴ける音楽ではないです。いやいや、そんな小難しいこと言うから、ブルックナーがますます女性のクラシック音楽ファンに敬遠されるのかもしれませんね。反省。

 そして、ブルックナーの交響曲に共通する大きな魅力の一つである「秘めた?優しさ」の吐露、そう、この《第9番》の深遠で長大な第1楽章の中にも、ふっと、優しく美しく慈愛に満ちたメロディが登場します。たとえて言えば、漆黒の宇宙空間に突如見えてくるほのかな宇宙船の明かりのように。そのコントラストが何ともいえない柔らかな気分にさせてくれます。個人的には、これぞブルックナーの真骨頂!とさえ思っています。

 愛聴盤は、アーノンクール指揮、ウィーン・フィルによる2003年の録音です。CDは2枚組みになっていまして、うち1枚目に、未完の第4楽章をめぐるアーノンクールのトークと断片の演奏が収録されています。アーノンクールの繊細さと相まって、録音もよいのでオススメです。


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言葉よりも音楽の場合はね、本当にニュアンスの差がちょっとで違うから、幅というか高さなのか知らないけど、奥深いんですよ。それを指揮者の場合は、意識してやっておかないと、味が出ないっていうかね
 
〜小澤征爾

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