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大伴池主
大伴氏の一族ながら、系譜未詳。池主が文人活動として姿を見せるのは、天平10年(738年)10月に行われた橘奈良麻呂結集の宴(巻第8-1590)が最初です。この頃、春宮坊少属従七位。天平18年8月に家持が越中国守として赴任する以前に、掾(従七位相当)として越中国にありました。8月7日の家持歓迎の宴(巻第17-3943~3956)以来、家持との親交が深まり、二人の間に多くの歌々が取り交わされました。翌19年9月頃に越前掾に遷任し、天平勝宝9年(757年)7月、橘奈良麻呂の変に連座して投獄されました。その後の消息は不明で、杖下に死を遂げたものと見られます。『万葉集』には29首。
大伴池主の歌
大伴池主は、大伴家持の親友・風雅の友として『万葉集』巻8や巻17を中心に多くの贈答歌や漢文書簡を残した人物です。越中守として赴任してきた家持のもとで越中介(次官)を務め、二人が交わした文学的交流は『万葉集』の後半(特に「越中詠」)を大きく彩っています。彼の歌の特徴や文学的特色は、主に以下のポイントにまとめられます。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |