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| 天智天皇 |
天智天皇
第38代天皇(在位668~671年)。舒明天皇の子で、母は皇極天皇。中大兄皇子ともいう。異母兄に古人大兄皇子、同母弟に大海人皇子がある。中臣鎌足と謀って蘇我氏を滅ぼし、孝徳・斉明両朝の皇太子として大化の改新の諸政策を行なった。斉明天皇崩御後も皇太子のまま称制し、百済援助の軍を派遣したが、白村江で唐・新羅連合軍に大敗。以後、都を大津に移して即位。律令体制成立期の政治を指導し、はじめて戸籍(庚午年籍)をつくり、また漏剋(水時計)をつくって時刻を知らせ、成文法の最初である近江令の制定を行なう。『万葉集』には4首。
| 天武天皇 |
天武天皇
第40代の天皇(在位673~686年)。舒明天皇の子。名は大海人皇子。兄の天智天皇即位の際、皇太弟となったが、天皇の死を前に吉野山中に退去、672年に大友皇子(弘文天皇)との間に壬申の乱が起こり、旧勢力を平定、都を大和に戻し即位。飛鳥浄御原律令、国史の選修、八色の姓制定を行なって律令体制を強化した。『万葉集』には5首。
| 聖武天皇 |
聖武天皇
第45代天皇(在位724~749年)。文武天皇の第一皇子。母は藤原宮子。藤原不比等の娘光明子を皇后とし、皇族を皇后とする慣習を破った。在世中に二度の遣唐使を派遣して唐の文物制度を採用。仏教を深く信仰して国ごとに国分寺を建てて自写した経文を納めた。この時期の仏教芸術は高度の技術と鑑賞眼による華麗な工芸品を中心とする、いわゆる天平文化とよばれるもので、その遺物は正倉院御物として伝えられている。しかし内政は朝廷内部の対立と、藤原広嗣の反乱(740年)などによって動揺し、天皇は国家安泰のため東大寺大仏の鋳造を企図したが、かえって人心の離反をまねいた。『万葉集』には11首。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |