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おもな歌人の歌万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

天智天皇・天武天皇・聖武天皇の歌(索引)

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天智天皇
  1. 巻1-13 香具山は畝火を愛しと耳梨と相あらそひき・・・(長歌)
  2. 巻1-14 香具山と耳梨山と会ひしとき立ちて見に来し印南国原
  3. 巻1-15 わたつみの豊旗雲に入日さし今夜の月夜あきらけくこそ
  4. 巻2-91 妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを

天智天皇

 第38代天皇(在位668~671年)。舒明天皇の子で、母は皇極天皇。中大兄皇子ともいう。異母兄に古人大兄皇子、同母弟に大海人皇子がある。中臣鎌足と謀って蘇我氏を滅ぼし、孝徳・斉明両朝の皇太子として大化の改新の諸政策を行なった。斉明天皇崩御後も皇太子のまま称制し、百済援助の軍を派遣したが、白村江で唐・新羅連合軍に大敗。以後、都を大津に移して即位。律令体制成立期の政治を指導し、はじめて戸籍(庚午年籍)をつくり、また漏剋(水時計)をつくって時刻を知らせ、成文法の最初である近江令の制定を行なう。『万葉集』には4首。 

天武天皇
  1. 巻1-21 紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにあれ恋ひめやも
  2. 巻1-25 み吉野の耳我の嶺に時なくぞ雪は降りける間無くぞ・・・(長歌)
  3. 巻1-26 み吉野の耳我の山に時じくそ雪は降るといふ間無くぞ・・・(長歌)
  4. 巻1-27 淑き人のよしとよく見て好しと言ひし吉野よく見よ良き人よく見
  5. 巻2-103 わが里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後

天武天皇

 第40代の天皇(在位673~686年)。舒明天皇の子。名は大海人皇子。兄の天智天皇即位の際、皇太弟となったが、天皇の死を前に吉野山中に退去、672年に大友皇子(弘文天皇)との間に壬申の乱が起こり、旧勢力を平定、都を大和に戻し即位。飛鳥浄御原律令、国史の選修、八色の姓制定を行なって律令体制を強化した。『万葉集』には5首。 

聖武天皇
  1. 巻4-530 赤駒の越ゆる馬柵の標結ひし妹が心は疑ひもなし
  2. 巻4-624 道に逢ひて笑まししからに降る雪の消なば消ぬがに恋ふといふ我妹
  3. 巻6-973 食す国の遠の朝廷に汝らがかく罷りなば平けく・・・(長歌)
  4. 巻6-974 ますらをの行くといふ道そ凡ろかに思ひて行くなますらをの伴
  5. 巻6-1009 橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木
  6. 巻6-1030 妹に恋ひ吾の松原見渡せば潮干の潟に鶴鳴き渡る
  7. 巻8-1539 秋の田の穂田を雁がね闇けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも
  8. 巻8-1540 今朝の朝明雁が音寒く聞きしなへ野辺の浅茅ぞ色づきにけ
  9. 巻8-1615 大の浦のその長浜に寄する波ゆたけく君を思ふこのころ
  10. 巻8-1638 あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室は座せど飽かぬかも
  11. 巻19-4269 よそのみに見ればありしを今日見ては年に忘れず思ほえむかも

聖武天皇

 第45代天皇(在位724~749年)。文武天皇の第一皇子。母は藤原宮子。藤原不比等の娘光明子を皇后とし、皇族を皇后とする慣習を破った。在世中に二度の遣唐使を派遣して唐の文物制度を採用。仏教を深く信仰して国ごとに国分寺を建てて自写した経文を納めた。この時期の仏教芸術は高度の技術と鑑賞眼による華麗な工芸品を中心とする、いわゆる天平文化とよばれるもので、その遺物は正倉院御物として伝えられている。しかし内政は朝廷内部の対立と、藤原広嗣の反乱(740年)などによって動揺し、天皇は国家安泰のため東大寺大仏の鋳造を企図したが、かえって人心の離反をまねいた。『万葉集』には11首。 

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。