がんばれ人生!名言集
諸子百家をはじめとする古代中国の偉人・思想家たちの金言名句です。
なお、孔子・韓非・孫子については別のページに掲載していますのでご参照ください。
⇒孔子/韓非子/孫子
いくら強そうに見える相手であっても、しょせんは同じ人間。自分と大差があるわけではない、自信を持ってぶち当たろう!
もっと深く自分を愛そう。自分が人間としてこの世に生まれ、人間としてこの世に生きていることは、この上なく尊い。
水の深さが足りないと、大きな舟を浮かべることはできない。広く深い海には、大きい舟がいくらでも浮かんでいる。これと同じで、人間も、心を広く深くすれば、思わぬ想像力が浮かんでくる。
どんなに近い所でも、そこへ向かって行かなければ到達できない。どんな小さなことも、やってみなければ成就しない。
相手のことを本当に思いやる気持ちがあれば、相手に対して見当違いのことはしないものだ。
桃やスモモなどの果実は物を言わない。しかし美しい花や美味しい果実には自然と人が集まり、小道ができる。それと同じで、魅力ある人には自然と多くの人が慕ってくる。
まだ起こってみないことを、ああでもないこうでもないと心配したところでどうなるものではない。先のことばかりに思いをめぐらすのではなく、現実をしっかり見つめよう!
一つの欠点のみで人を判断してはならない。ダメな奴だと思っていたら、ふとした所で思わぬ才能を発揮するかもしれない。
高徳の人は、純粋な心をいつまでも失わない。
高い地位についたり、すばらしい功績をあげても、誇ったり威張ったりしてはいけない。逆に、謙虚であればこそ、信愛され、尊敬されるリーダーとなる。
人間は相手の意気にこそ感じるものだ、功を立て名を揚げようなどとすることは、誰が問題にするものか。
たくさんの善行を積み重ねた家には、必ず子孫に喜びごとがあり、悪事を重ねた家の子孫には、必ず災難がやって来る。
過去の成功体験ばかりにこだわって、その方法を今に当てはめようとしてもうまくいかないものだ。
礼儀正しくすれば、人と仲良くなれる。外にあらわれる態度が柔軟でしなやかであれば、人と楽しい仲間になることができる。
徳は事業をするための基本である。徳のある理念や目的のもとでなければ、事業は決して成功しない。
勉強でも仕事でも、一つのことに集中して努力すればしっかりと理解できるようになり、成果も格段にあがってくる。
家族の者が過ちを犯した時は、怒鳴りつけてはならないし、黙っていてもならない。言い難いのであれば、他のことにかこつけてそれとなく戒めるのがよい。それでも効果がなければ、時間をおいてまた別の機会に注意をすればいい。
幸福になるのも不幸になるのも、必ず原因があるものだ。不幸の原因を見つけ、克服していかなければ、いつまでたっても幸せになれない。
からだ全体、髪の毛や皮膚にいたるまで、すべて父母から受けたものだから、大切にしなさい。
成功するには長い時間がかかる。悪いことの結果はすぐに出るが、よい結果というものはなかなか出ない。
我が身を常にあくせくする必要のない状態においていれば、世間の思惑がどうあろうと、少しも動揺させられることはない。我が心をいつも静かな境地に落ち着かせていれば、世間の評価がどうあろうと、少しもかき乱されることはない。
貧しい時から連れ添って苦労を共にしてきた妻は、自分が立身出世した後も大切にして座敷からおろすなどせず、まして他の女性に心を動かしてはならない。
人徳のある人は、たとえ絶交するようなことになっても決して相手の悪口を言わない。
定まった生業を持たない者は、自然に人間として当然持っていなければならない正しい心が持てない。
身近なところから一歩ずつ着実に歩いていく人が、最後にはいちばん遠くまで行けるものだ。物事は順を追って行うべきで、最初からあまりに高い目標を掲げても届かない。
自分ひとりの力で成し遂げたと思っていても、そこには多くの人たちの助けがあったことを忘れてはいけない。
人に従い仕えるということが分かっている者が、はじめて人を使うことができる。
重いものは、どっしりとした根っことなって、軽い枝や花を支えている。強い者は弱い者の支えとならなければならない。
恨みに思うときこそ、徳でをもって返す!
管を通して空を見上げても、空の広さは理解できない。錐を地面に突き刺しても、大地の深さを知ることはできない。物事の本質をつかむ見方をしなければならない。
幸せも災いも、地からわいてくるわけではない、天から降ってくるわけではない、すべては自分の行いや考えから生じるものだ。
いくら愛している人にも欠点はあり、どれほど憎んでいる人にも長所はある。相手を冷静に見る姿勢を示さなければ、人を理解することはできない。
世界は広く、人間はこんなにたくさんいるのに、「よい人材がいない」などと嘆くのは間違っている。
学びたいのに暇がないと言う人は、たとえ暇があっても学ぼうとはしないものだ。本当に学びたければ、時間などいくらでも作れるはず。
チャンスを見逃してはならない、たとえ見逃したとしても、すぐに次の手を打つべきだ。何もしないでいると、ロスはますます拡大する。
豹が死んで皮を残すように、人は死後に美名を残さなくてはならない。
戦いは疾風のように素早く、攻撃は川が決壊するときのような迫力で!
兵隊を千日もかかって養うのは、ほんの一朝の戦いのためである。今は無駄に思えても、必ず必要になると思えるものは残し続けなければならない。
言葉は簡潔なのがいちばん!
人生はいろいろ変わるから楽しい。いろいろな変化を楽しんで生きることが、道に生きるということだ。
真にすぐれた人物は、上にへつらい、下におごることもない。こび、へつらうのは、自分への信頼を閉ざしてしまうこと。
その子どもの性格のよしあしが分からないときは、その友だちを見れば分かる。
飢えた者は、食べ物を選ばず喜んで食べようとするし、のどが渇いた者は、飲み物を選ばず飲もうとする。
人々は口を開けば「天下国家」と言う。しかし、天下の根本は国にあり、国の根本は家にあり、家の根本は自分自身にある。天下国家を真に思うなら、もっと身近なわが身を修めよ。
強大な者は、威張り散らして、人の上へ上へ上がろうとしてはならない。強大な者ほど、下へ下へと降りていく態度が必要だ。川の流れのように、下へ下へと流れていけば、川の幅はどんどん広がって大きくなっていくのだ。
他人のことをよく知っている人は智者であるが、自分のことを知っている人は賢者である。人に勝つ者は力があるが、自分に勝つ者は真の強者である。
山は高いからといって貴いのではない、そこに木が生えているから貴いのだ。人も見かけが立派だからといって貴いのではなく、人格や知恵などの内容が備わってこそ立派なのだ。
目的までの道がどんなに近いといっても、まず足を踏み出さなければ行き着くことはできない。どんなに小さなことであっても、始めなければ達成できない。
百里の旅をする者は、九十里まで来たところで、旅程の半分に達したぐらいのつもりでいることが大事だ。
一生の目標があれば、日々の小さな失敗など気にならなくなる。
天が与えてくれるものを受け取らないと、後で悔いても間に合わない。絶好のチャンスを逃してはならない。
大きな事業を成す者は、決して衆人に諮ることなどせず自分自身で決定する。
花の観賞は五分咲きのころがよい。酒を飲むならほろ酔い加減がよい。
あやふやな根拠や気持ちで事を決すると、必ず見当はずれな結果になる。
危険を察知したら、進むのをやめて立ち止まる。それが知者である。
真の雄弁とは、訥弁と変わりがない。
地位の低い人間が、地位の高い人間の仕事についてあれこれ批判めいたことを言うべきでない。
栄誉が長く続くことは不祥(不吉)であり、禍のもとになる。
行き詰まってどうしようもならなくなると、何かが変わざるをえなくなる。そして何かが変われば、あのずと道は通じる。