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大伴坂上郎女
生没年不詳。父は大伴安麻呂、母は石川郎女。旅人の異母妹で、家持の叔母にあたる。はじめ天武天皇第5皇子の穂積皇子に嫁したが死別。その後、藤原麻呂の寵を受け、さらに後に異母兄の宿奈麻呂の妻となり、坂上大嬢と二嬢の二人の娘を生んだ。佐保の坂上里に住んでいたためこの名で呼ばれる。神亀年間(724~729年)、大宰府にあった旅人の妻の死により筑紫に下り、旅人の身辺の世話をするとともに家持の養育にもあたったらしい。家持の作歌への開眼は、郎女によってなされたろうという。730年(天平2年)に帰京、旅人の死後も家刀自(いえとじ)として大伴家に重きをなした。『万葉集』には長歌6首、短歌77首、旋頭歌1首を残しており、女性歌人としては最多。歌風は理知的、技巧的で、社交的性格が濃く認められる。
大伴坂上郎女の歌風
大伴坂上郎女は、『万葉集』第3期を代表する歌人であり、集中に長歌・短歌合わせて83首もの歌を残した『万葉集』最大級の女性歌人です。額田王と並び称される才女ですが、個人の情念を深く掘り下げた抒情歌や、異母兄の旅人が亡くなった後に見られる、大伴一族の繁栄と和を維持するための「刀自(とじ)」としての公的な歌など、多様で洗練された歌風を確立しました。
郎女の歌風としては、初期万葉の素朴で直情的な抒情から一歩進み、虚構(設定)を交えた情念の表現や、修辞的で技巧的な美しさを備えているのが大きな特徴です。相聞歌においては、激しい恋心や嫉妬、焦燥感を詠みつつも、万葉の言葉の美しさを最大限に活かしての計算された構成が見られます。また、神々を祀る歌や、異母兄・旅人を悼む歌、娘・大嬢に贈る歌など、大伴家の家長的な立場からの品格ある歌も多く残しています。郎女の詠んだ歌の表現や技法は、そのまま甥である大伴家持へと継承され、万葉集の掉尾を飾る第4期の繊細な歌風へと繋がっていくことになります。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |