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大伴家持
『万葉集』末期の代表歌人で、官人(?年~785年)。大伴旅人の子。坂上郎女は叔母にあたる。新興貴族の藤原氏が勢力を増す中、没落の途にある大伴家の家長として苦しんだ。746年越中守として赴任、751年少納言として帰京。754年4月兵部少輔となり、このとき防人の事務をつかさどり、防人歌を収集した。758年6月に因幡守となり、759年までの歌が残っている。『万葉集』の編集者の一人と目され、収録作品も最も多く長短歌合わせて473首が載る。すぐれた技巧と繊細な抒情歌に特色があり、その美意識や自然観照の態度などは、平安時代和歌の先駆となる点が少なくない。
大伴家持の歌風
奈良時代末期の万葉歌壇を代表する大伴家持の歌風は、一言で言えば「繊細で叙情的な美意識」と「万葉集の集大成としての多様性」に特徴づけられます。『万葉集』の編纂者(中心人物)でもあった家持は、古典的な万葉歌の伝統を受け継ぎつつも、次の平安貴族社会へとつながる和歌の新しい美的感覚(繊細さ・美意識・内省)を開拓しました。彼の歌の主な特徴を整理すると、大きく4つの要素に分けられます。
天平18年(746年)、家持は越中守として赴任します。この5年間の地方官生活において、立山連峰や布勢の水海など北陸の豊かな自然に触れ、また都への情憬や孤独感と向き合う中で、その歌風は完成の域に達しました(巻17〜19に多く収載)。家持の歌風は、『万葉集』の素朴・雄渾・直情的な「万葉調」の締めくくりであると同時に、後に平安時代へと続く繊細・優美・主観的な「古今調」「新古今調」の美意識の芽生え(過渡期)を明確に象徴しています。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |